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カテゴリ:野球
FAで巨人に行くという、一番嫌いなタイプの選手でしたが
独立リーグでも野球をやり続けたいという姿勢は応援します! 頑張って欲しいです! 野口 茂樹(のぐち しげき、1974年5月13日 - )は、三重スリーアローズに所属するプロ野球選手(投手)。愛媛県東予市(現:西条市)出身。 現在は、株式会社オーガニッククルー顧問も務めている。 中日時代 2002年は故障のためにわずか5試合の登板にとどまる。 2003年のシーズンはギリギリで規定投球回に達したが、防御率は4点台中盤だった。シーズン終了後に10年近く住んでいた選手寮を退寮した。 2004年8月7日の広島市民球場における対広島戦で初回1死を取っただけで5失点KOされ、その試合中に二軍行きを通告され新幹線で名古屋に強制送還された。それ以降登板機会が減って一軍と二軍を行ったり来たりすることになり、結局シーズンは4勝に終わり、同年の日本シリーズは登板機会がなかった。オフにはトレード要員に挙げられることもあった。 2005年は3勝に終わる。シーズンオフにFA権を行使するが、前述のようなこともあり中日はほとんど慰留を行なわなかったとされる。結果的に11月17日2年契約・年俸1億円で巨人軍に移籍。それに伴う人的補償として小田幸平が中日に移籍することになった。 巨人時代2006年は1試合の登板に終わる(5月15日の西武ドームでの対西武ライオンズ戦で同い年・プロ入り同期で自主トレ合同実施の親友の捕手村田善則と共に先発した) 2007年は開幕ローテーション入りこそ逃したものの、リリーフとして開幕一軍入りした。5月1日に古巣である対中日戦で移籍後初勝利を挙げる。しかし、徐々に打ち込まれるようになり8月中旬に一軍登録を抹消された。全てリリーフでの登板で31試合登板、防御率は4.30に終わった。契約更改では年俸1億円から75%減俸の2500万円となった。これは巨人史上当時最大、日本球界全体でも当時3位となる減俸率である(金額は推定)。 2008年は二軍でも6試合しか登板せず、結局ルーキーイヤー以来の一軍登板無しに終わった。そして、10月1日に球団から戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトには参加せず、東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けるも不合格。その後、12月23日には同じ巨人から自由契約になった門倉健とともにシカゴ・カブスのトライアウトを受けた。 2009年2月12日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約で合意したと報道されたが、契約前のメディカルチェックで左肘に異常が見られたため、契約を破棄された。 元中日の野口が再スタート/四国IL 野球の独立リーグ、四国アイランドリーグplusの三重に入団が決まった元中日のエース、野口茂樹投手(37)が24日、津市内で記者会見を行い「投げられるチャンスをいただいた。精いっぱい自分のできることをしたい」と晴れやかな表情で話した。 プロ野球では実働14年間で81勝79敗。中日と巨人でプレーし、中日時代の1999年には19勝を挙げ、セ・リーグ最優秀選手(MVP)に輝き、最優秀防御率のタイトルを2度獲得した。 三重の壁矢慶一郎代表は「中日ドラゴンズのエースが来てくれた。観客動員も増えると思う」と期待を寄せた。(共同) 野口茂樹 「納得できるところまでやって、辞めたいと思っていた。一番に声を掛けていただいたので(入団を)決めた。全盛期とは雲泥の差だと思うが、2年間のブランクがあって、投げないことには前に進めないと思った」 三重・壁矢慶一郎代表 「選手が一番喜んでいると思う。投球術、メンタル面でいい勉強になると確信している。試合にも投げてもらって、三重にとっていろいろな意味でプラスになるんじゃないかな」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 24, 2011 10:08:28 PM
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