もちろん、見たことはないし、当時は知らないのですが、天才としては、あまりにも有名なボクサーでした。
御冥福を、御祈りいたします。
五輪「金」ボクサー桜井孝雄さん死去/BOX
日本の五輪史上、ボクシング競技で唯一の金メダルを獲得し、プロでも活躍した桜井孝雄氏が10日未明、都内で食道がんのため死去した。70歳だった。葬儀・告別式などの日時は未公表。桜井氏は千葉・佐原市(現香取市)出身で、1964年東京五輪バンタム級で金メダルを獲得。翌65年6月に三迫ジムからプロデビューした。68年7月に世界バンタム級王座に挑戦したが獲得はならず、69年10月に東洋同級王者となった。
日本の五輪史で輝きを放つ“天才ボクサー”桜井氏が逝った。折しも五輪イヤーの幕開けに…。
千葉・佐原高(定時制)で体育の選択科目にボクシングがあったことが、競技との運命の出合いだった。トレーナーもいないボクシング部では、サウスポーからスイングパンチを振り回すだけ。それでも2年のときに県大会新人王、4年時の高校総体ではバンタム級王者となった。
中大にスカウトされ、東京五輪で人生の晴れ舞台を迎える。決勝では鄭申朝(韓国)に1回からワンツー、右カウンターを有効にヒットさせ、2回には2度のダウンを奪ってRSC(レフェリーストップ・コンテスト)の完勝だった。アマでの戦績は155戦138勝13敗。金メダルを手にプロ入りしたが、日本アマチュアボクシング連盟は強い不快感を示し、中大の同窓会名簿から削除されたこともあった。
プロではデビューから無傷の22連勝。そして1968年7月、同年2月にファイティング原田(笹崎)から世界バンタム級王座を奪ったライオネル・ローズ(豪州)に挑戦する。2回に左ストレートでダウンを奪うと、日本武道館を埋めた8000人の大観衆は総立ち。しかし、ポイントを意識した桜井氏は消極的になり、判定の末にプロ初黒星を喫した。
師匠だった三迫ジム・三迫仁志会長によると、まな弟子のWBA世界Sウエルター級王者・輪島功一の歴史的奇襲といわれる「カエル跳び」を最初に試みたのは、実は桜井氏だったという。だが、「体も硬かったし、(奇襲攻撃に)積極的でもなかったな」。そのスタイルは「安全運転」と酷評もされたが、ファイターが多かった時代にあってスタイリッシュな匂いを漂わせた。
プロ通算32戦30勝(4KO)2敗で引退後は、都内にジム「ONE TWOスポーツ」を開設。ボクシングの基本コンビネーションと、自身の残像を看板に刻んだ。