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カテゴリ:格闘技
両親の介護、そして見送り。。。
引退後は、かなり大変だったようですね。 全日本プロレスで、試合後暴走が止まらないスタンハンセンに、いつもライアットを食らっていて また阿修羅原だ!!と子供のころは思っていました。。。 そのやられ役から、ヒットマン・ラリアットで活躍されました。 残念です。。。 ご冥福を、お祈りいたします。 阿修羅原さん死去 ラグビーから転身 2015年4月28日 亡くなった元プロレスラーの阿修羅原さん 亡くなった元プロレスラーの阿修羅原さん 現役当時の阿修羅原さん(右)とラッシャー木村さん 元プロレスラーで天龍源一郎とのタッグで活躍した阿修羅原さん(本名・原進)が28日午前5時15分、肺炎のため長崎県雲仙市内の病院で死去したことが分かった。68歳だった。 原さんはラグビー日本代表から転身、77年に国際プロレス入りし、海外遠征を経て78年にデビュー。作家・野坂昭如氏から「阿修羅原」と命名され、活躍した。国際プロ崩壊後は全日本に新天地を求め、87年には天龍と天龍同盟を結成。一時代を築いた。94年10月にWARの故郷・長崎大会で引退した。得意技はヒットマンラリアート、雪崩式ブレーンバスターなど。 29日午後7時から諫早市のJAながさき県央協同社小野斎場で通夜、30日午後1時から同所で葬儀・告別式が営まれる。喪主は原さんの妹・山田咲子さん。 阿修羅原さん死去 G小鹿会長も沈痛 2015年4月28日 拡大写真はこちら 試合後、控え室で天龍源一郎(左)と取材に応じる阿修羅・原さん=後楽園ホール、1992年1月12日1991年7月23日、SWSに入団し、天龍源一郎(左)とタッグを組んだ阿修羅・原さん=静岡県伊豆高原 天龍源一郎とのタッグで活躍した元プロレスラー・阿修羅原さん(享年68)の訃報を受け、28日に行われた大日本プロレスの後楽園ホール大会で、全日本時代に同僚だったグレート小鹿会長をはじめ、出場選手、観客が黙とうを捧げた。 小鹿会長は大会前に取材対応。原さんは、この日が73歳の誕生日だった小鹿さんの5歳下とあって「早いよな」と残念そうにコメントした。 かつての原さんの印象について「国際から来た選手で、孤独感を持ってた人間。ラグビー界で有望だったし、プライドがあったのかな」と振り返った。選手としては天龍同盟結成後に急成長したとし、「はじめは大したことないと思ったけど、天龍のパートナーになって伸びた。素質があったのが開花した。天龍が光ったのは阿修羅がいたから。身体能力は抜群で、特に足は、タラバガニの太い足みたいだった。やられてもやられても起き上がる打たれ強さは、ラグビーで鍛えた足がものをいってた」と力を認めていた。 また、同じく死去が判明した“AWAの帝王”バーン・ガニアさんについては「対戦はないけど、パット・オコーナー、ニック・ボックウィンクルとともに世界三大テクニシャン」と持ち上げ、冥福を祈った。 元プロレスラー阿修羅原さん死去 68歳 [2015年4月28日18時6分] 元プロレスラーの阿修羅原(本名、原進)さんが28日の午前5時すぎ、実家のある長崎県諫早市近郊の病院で死去したことがわかった。68歳だった。 ◆阿修羅原(あしゅら・はら) 本名・原進。1947年(昭22)1月8日、長崎・北高来郡出身。東洋大卒業後、社会人ラグビーの近鉄時代にプロップで世界選抜に選出された逸材で、71年のイングランド戦に出場した。76年に30歳で国際プロレス入り。全日本プロレスでは87年6月に天龍源一郎と「天龍同盟」を結成し、一時代を築いた。その後SWS、WARと行動をともにした。94年8月にヒザや腰の故障による体力の限界を理由に引退を発表した。現役時の身長、体重は183センチ、110キロ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 29, 2015 12:13:06 AM
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