そんな。。。。
まだ68歳。。。星野さんに続いて、また思い入れのある選手が。。。。
片平さんは、私が子供の頃、スポーツ少年団で野球をやってたころ、一番好きな選手でした。
島根では唯一というくらい珍しい南海ファンで、ファーストを守っていた私は、本当に大好きで、尊敬していて、目標にしていた選手でした。
美しい一本足打法でした。。。
残念です。。。
御冥福を、お祈りいたします
片平晋作さん死去 西武連続日本一に貢献、一本足打法で活躍
一本足打法で活躍した片平晋作さん
元南海、西武、大洋で主に内野手としてプレーした片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。68歳。大阪府出身。葬儀・告別式の日程は未定。現役時代は一本足打法で活躍し、引退後は西武2軍監督などを歴任。2013年には女子野球、イースト・アストライア(現埼玉アストライア)の初代監督に就任した。
1メートル84の長身と、人当たりの良さから「ダンディー」の愛称で親しまれた片平氏が、帰らぬ人となった。
大阪・上宮高から東農大を経て、1972年ドラフト4位で南海(現ソフトバンク)に入団。王貞治(巨人)を参考にした一本足打法で、76年にレギュラーに定着した。順風満帆な野球人生だったが、翌77年にバセドー病を発症。震えを伴う難病で出場機会が激減したが、克服して78年から3年連続で2桁本塁打。見事に復活を果たした。
82年に西武、87年に大洋(現DeNA)と2度のトレード移籍を経験するも、そのたびに勝負強い打撃で一塁の定位置を獲得。守備にも定評があり、83年にはダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞に選出された。40歳まで現役を続け、通算1181安打、176本塁打をマーク。引退後は西武でコーチや2軍監督などを歴任。大砲候補の鈴木健を熱心に指導し、才能を開花させた。
2013年には女子野球界にも進出。イースト・アストライア(現埼玉アストライア)の初代監督に就任し、優勝に導いた。昨季も精力的に西武の本拠地、メットライフに足を運び、辻監督や選手らを激励していた。優しいまなざしで、天国から後輩たちの戦いを見守っていく。
プロ入りから3年間、片平氏とチームメートだった西武・辻監督
「昨年もグラウンドに来て仕事をされていた。正月に具合が悪いと聞いて心配していた。(現役時代の)1年目の高知キャンプでの部屋長だったよ。忘れもしない。一塁手と二塁手だったし、自宅も近くて、いろいろな話をした。ダンディー(な人)。残念だし寂しい。まだそういう(亡くなった)ふうに思えないよ」
片平 晋作(かたひら・しんさく)
1949(昭和24)年8月5日生まれ。大阪府出身。上宮高から東農大を経て72年ドラフト4位で南海(現ソフトバンク)入団。82年に西武へ移籍し、83年に一塁手としてダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞を受賞。87年から大洋(現DeNA)でプレーし、89年限りで現役を引退。西武で1軍コーチ、2軍監督などを歴任後、編成部長を務めた。その後は解説者をしながら2013年には女子プロ野球、イースト・アストライア(現埼玉アストライア)で監督として指揮を執った。左投げ左打ち。