まだ67歳でしたか。。。
猪木さんより、かなり若かったのですね。
御冥福を、お祈りいたします。
“熊殺し”空手家ウィリー・ウィリアムスさん死去 80年猪木氏と死闘
1980年2月、アントニオ猪木と対戦したウィリアムスさん
「熊殺し」の異名を取った米国出身の空手家、ウィリー・ウィリアムスさんが今月7日、うっ血性心不全のため米国で死去していたことが10日、分かった。67歳。オランダのメディアが報じた。1976年公開の映画「地上最強のカラテ Part2」ではヒグマと戦って世界を驚かせ、80年には「格闘技世界一決定戦」としてプロレスラーのアントニオ猪木(76)とも対戦した。
巨熊に何度押し倒されても、再び立ち上がって応戦する。映画「地上最強のカラテ Part2」で、ウィリーは「熊殺し」の異名を取った。
1980年には「格闘技世界一決定戦」でアントニオ猪木と対戦。国民的人気を誇ったプロレスと極真空手のトップ選手の対決は大きな注目を集めた。ウィリーの突き、蹴りと猪木のアリキックが交錯。結果は両者リングアウト(引き分け)だったが、世界の格闘技ファンを熱狂させた。
極真空手黎明期の名選手にして名伯楽の大山茂氏(故人)の猛特訓を受け、突きや蹴りを武器に活躍。猪木戦の後もたびたび来日し、総合格闘技のリングなどに参戦した。2000年に現役を引退した後は、空手のインストラクターや木彫り職人として生計を立てていた。近年は心臓病を患っていたという。
ウィリー・ウィリアムス(Willie Williams)
1951年7月14日、米ノースカロライナ州出身。極真会館コネチカット支部で空手を始める。84年に師匠の大山茂がUSA大山空手を創設したことに伴い、極真空手を離脱。バスの運転手をしながら格闘家として活躍し、91年は正道会館との対抗戦に出場。92年にリングスで前田日明と対戦した。97年にアントニオ猪木の引退興行にも参戦。99年にプロレス団体・FMWにも出場。