幕末会津藩の悲劇・サイトマップ&免責事項
幕末会津藩の悲劇
京都~江戸~そして会津若松、幕末会津藩の悲劇をたどるコーナーです。
▼ほか、日光、宇都宮城等、幕末史の舞台となった史跡も掲載中!
序文:愛すべき会津の人達
どうしても会津藩の味方をしたくなる。どうしても早乙女貢先生の会津士魂をガイドブック代わりに使うクセがある。冷静に考えたら当たり前のことだった。私は生まれこそ大阪だけれども、母方の先祖は南部盛岡藩の家老の一人だった。南部盛岡藩は、他の東北諸藩に同じく薩長新政府に対する恭順か抵抗かでもめていた。ところが、御一新の現実は純朴な岩手人の理解の範疇を超えていた。御一新の実態が薩長の私的な権力奪取の陰謀であること、彼らの標榜する勤皇が政権奪取の手段としての似非勤皇であること、東北鎮撫総督府の参謀世良修蔵らの「夷をもって夷を征す」式の卑劣な行動を知るにおよび、彼らは義と武士の道に殉じることに決してしまった。もはやとっくに時代の流れは東北の山河にアームストロング砲をぶっ放しながら攻め込んで来た西軍に有利だったが、律儀でバカ真面目な我が先祖は東北最後の降伏した藩となった。結果は惨憺たるもの、最後に降伏した藩だから、一番最初に廃藩となった。それからの苦難の日々は、下北半島に幽閉された会津の人たちに比べたらましだったかも知れないが、それでも子から孫へ語り継がれていった訳だ。
紀州や尾張など、徳川の御三家すら裏切ってるというのに、ご先祖の要領の悪さは言葉を失うが、御一新の醜悪な実態に、彼らこそ言葉を失ったのだ。政権奪取の為には「ぎょく」と称して天皇を利用することも平気な討幕派などと、単純律儀な東北人の想像を超えるというものだった。しかも、京都守護職として王師に励んだ松平容保以下会津藩主従は、東北人ならではの純粋さ故に悲劇的運命をたどるのである。早乙女先生曰く 「世紀末的に人間が悪くなってる以上、だまされぬようにするしかないが、会津藩の教育はこの点で決定的に欠けていた」と。純朴で律儀な東北人の典型を見るようで、だからこそ愛すべき人々なのである。
こんな訳で、このコーナーは会津藩の人達の戦いを中心に追っていく訳であるが、明治政府以来の歴史観が正当だと思っているお人好しな皆さんに不愉快な思いをさせてしまうかもしれない。前もってお詫びしておきます。各藩には各藩の考えがあった訳で、「当家には当家なりの考え」がありますので・・(そもそも娯楽風の写真集&読み物であることをご承知おき下さい)。
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