てくてくお散歩 - 神田~日本橋(中央通り)
秋葉原の電気街からちょこっと入ると特徴的な陸橋があります。この上を総武本線が走っています。この橋はすごく印象的なので、よく夢に出てきます。反対側をみると…上のんが総武本線で、左のトンネルが中央本線。川のすぐ上、遠くのほうを走っているのは、東京メトロ丸ノ内線。その上の橋はたぶん、本郷通りの聖橋です。沢山の鉄道が交差してて面白いでしょ?川の反対側をみると…まるで小樽みたいな雰囲気。右側を川沿いに走っているのは中央本線で、その裏っかたに交通博物館があります。昌平橋を秋葉原のほうを背にを見ると、右側に川に面したテラスにレストランがあります。逆に後ろのほうにちょっと行くと、明神下の交差点があり、「明神下神田川本店」のうなぎ屋さんがあります。昌平橋を渡り、左側の神田郵便局の裏手あたりに、甘味処の「竹むら」(日記)、あんこう鍋の「いせ源」、そば屋の「まつや」(日記)などがあります。靖国通りと中央通りの交わる「須田町」の交差点から中央通りに入り南下します。神田のガードをくぐり抜けると、山手線の内側から外側に出ます。ずっと南下すると、日本橋三井タワーがあります。三井生命には沢山保険料を払っているので、少しは寄与があるのかなとか思ったり(笑)にしても、最近の「未払い事件」を思うに、腹立たしいきもする。保険金出し渋られたら、何のために保険料払ってるんだかわからん。んで、これはその1階にあるフルーツパーラーの「千疋屋」さんの本店。きれいな入り口ですなー。中に入ったら、レトルトのカレーがあったから、とりあえず買っておきました。1個630円ぐらいで高いのなんのって…。千疋屋のHP千疋屋さんは、元々は天保5年(1834年)創業の果物野菜を商う「水菓子安うり処」が始まり。「安うり処」って「安売り」ってこと?もしそうなら、現在の状態は想像してなかったろうね(笑)1833年は天保の大飢饉、1837年は大塩平八郎の乱。千疋屋さんが出来たころから現在まで、日本も大きく変わったね。そして、「千疋」は、現在の越谷市の付近の「千疋の郷」に由来するとのこと。創業者の出身地みたいですね。明治に入ってから、のれんわけ、のれんわけで、京橋千疋屋、銀座千疋屋ができたらしい。京橋千疋屋は明治14年(1881年)、銀座千疋屋は明治27年(1894年)創業。最近話題の「吉兆」みたいなかんじですね。(たとえがわるいか…。)そういえば、藪蕎麦もそうですね。日本橋三井タワーの1階のトイレの前のあたりに、ひっそりとこんな表札が…くいずたーいむ!さて、これはなんでしょう?なんでこんなところにドアと、表札が?メインロビーはこんなふうにぴかぴかです☆この奥にトイレがあって、その前に↑のドアと表札があるのです。外に出て少し南下すると、こんなお店が…鰹節の大和屋さんです。そしてこれは…三越の新館です。なかなかごーじゃすな建物ですなぁ~。日本橋の上にかかる首都高速。これは銀座一丁目のほうから見た姿です。景観台無しだけど、首都高作るためにはしかたなかったのかなぁ。さてさて、歩いたらまだなんか食べれそうな気分になってきた。。