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カテゴリ:洋画
オランダ出身監督ポール・ヴァーホーヴェンの出世作。 ピーター・ウェラー、ナンシー・アレン、ロニー・コックス出演。 本作は、大ヒットをきっかけにシリーズ化され、更にテレビドラマ化された。 粗筋 近未来のデトロイト。 犯罪が多発するこの地域では、警察の経営が民間のオムニ社に委託されていた。 凶悪犯罪を撲滅を掲げるオムニ社は、ジョーンズ副社長(ロニー・コックス)の指揮の下、重装備の大型警察ロボットED209を開発。これを大量生産して警察に売り込んだ後、更に開発を進めて軍にも売ろうと計画する。 が、ED209は、デモンストレーションで問題を起こし、大失敗の烙印を押される。 そんな中、サイボーグ警官「ロボコップ」を開発していたボブが、自身のプロジェクトを売り込む。ジョーンズ副社長は反対するが、社長(ダニエル・オハーリヒー)は了承。ロボコップの開発が急遽進められる。 そんな中、地元警官のマーフィ(ピーター・ウェラー)は女性警官ルイス(ナンシー・アレン)とコンビを組み、クラレンスら強盗一味を追跡していた。だが、逆に一味に取り囲まれ、マーフィは惨殺されてしまう。 オムニ社のボブにとって、これは願ってもないチャンスだった。マーフィの遺体は回収され、ロボコップとして復活。 ロボコップは、デトロイトの治安維持に多大なる影響を与える。 開発者のボブは、ロボコップの成功により重役にのし上がった。ジョーンズ副社長を時代遅れの老いぼれだ、と公然に批判する様になる。 ジョーンズ福社長がこれを面白く思う訳がない。直ちに行動に出る。 実は、ジョーンズ副社長はクラレンスと繋がっていた。ジョーンズ副社長は、クラレンスにボブを始末させ、自身の会社での立場を保持する。 一方、ロボコップには、マーフィの記憶が残っていた。記憶に基づいて捜査を進め、クラレンスに行き着く。ロボコップはクラレンスを逮捕するが、クラレンスは、警察を運営するオムニ社のジョーンズ副社長と繋がりがある。直ちに釈放されてしまう。 が、ロボコップには観たものを録画する機能が装備されており、クラレンスが「自分はジョーンズ副社長と繋がりがある。その繋がりで、ボブを殺害した」と白状する場面もきちんと記録されていた。 ジョーンズ副社長にとって、ロボコップは危険な存在になり、始末を決める。クラレンスに武器を渡して始末させようとする。 が、ロボコップは、ルイスの助けもあり、クラレンス一味を一掃。 ジョーンズ副社長の逮捕に向かう。 ただ、ロボコップはある問題を抱えていた。ジョーンズ副社長の提案で、ロボコップには「オムニ社の役員を逮捕出来ない」というプログラムが組み込まれていた。逮捕しようとするとシャットダウンしてしまうのだ。 そこで、ロボコップはオムニ社の社長も出席する重役会で、自身の録画システムの記録を再生。そこでは、ジョーンズ副社長が「俺はボブを殺した」と明白に述べていた。 ジョーンズ副社長は社長を人質に取り、脱出を図るが、社長はジョーンズ副社長をその場で解雇。 ロボコップは、オムニ社の重役でなくなったジョーンズを射殺した。 感想 「警察官はサイボーグ」 ……というのは、今となっては特に珍しい概念の映画ではないが、本作は当時ハリウッドに衝撃を与えた作品。 子供が観て喜ぶ様なヒーローを、大人が真面目に大人向けの映画にしたのである。しかも大金を投じて。 本作以前にも、大金を投じてコミックのヒーローを映画化した例はあったが、一家全員で楽しめるファミリー映画として製作されていた。大人が観たところで問題はないものの、いい年こいた大人(というか男性)が一人で映画館に足を運んで観る、というタイプの映画ではなかったのである。 本作は、要するに、「大人向けのお子様映画」。 ヒーロー物であるにも拘わらず、内容からして子供を家に置いて観に行かなければならない。 本作以降、「大人の鑑賞にも充分堪えられるお子様映画」というのが製作される様になる。 ただ、「子供が全く観れらないヒーロー物というのは儲からない」と製作会社は考えてしまうらしく、ポール・ヴァーホーヴェンほど徹底して子供の鑑賞を排除する作品は、現在も殆ど見られない。 やはりヒーロー物は家族で観れないと、という固定概念があるらしい。 本作は、ヴァーホーヴェンが社会風刺を描くのが好きなのか、あるいは単にひねくれ者なのかは不明だが、所々に架空のテレビ番組の放送が挟まれていて、世界情勢や、最新製品や、サービスを紹介している。 いずれも、本物のニュースだったら大事なものばかり。 ヴァーホーヴェンは、後に製作するスターシップ・トルゥーパーズでも同様の架空番組を挟み込んでいる。 当然ながら、本作にもおかしな部分が多い。 ・そもそも民間企業が警察を運営する、というのはおかしい。地方政府が治安を放棄する程困窮したら、州や連邦政府が救済に乗り出す筈。利益を何よりも優先する企業(特にアメリカのはその傾向が強い)に、公共サービスを移管するのは異常である。 ・ロボコップ、という名から、自己完結型のロボットかと思いきや、人間の警察官としての記憶や経験を活用出来る様、人の脳を使っている。要するに、サイボーグ。「ロボ」は正しくない。何故オムニ社のものはここまで人間の頭脳を使う事にこだわったのか。人間の頭脳を使用したが故に、様々なトラブルを抱える事になる。 ・ロボコップの有効性も疑問。歩行等では、動作がやけにぎこちなく、速く走るのは無理っぽい。起き上がるにも四苦八苦する様で、転倒したら一気にやられそう。何故二足歩行にしたのか、と思ってしまう。人間に近い姿でないと、映像的に格好いいと見られないからだろうけど。 ・強盗集団のリーダー・クラレンスと、ジョーンズ副社長の関係。ジョーンズは、クラレンスの黒幕、という事だが、クラレンスはジョーンズのオフィスを堂々と訪れるシーンがある。クラレンスは犯罪者として名をはせているにも拘わらず。ここまで堂々と会っていたら、黒幕でも何でもなく、普通の知人。犯罪者と関係を持つ事を、会社が咎めないのはおかしい(重役会では、他の重役は全く知らなかった様子だが。どこまで情報の風通しが悪い組織なのか、と思ってしまう)。ジョーンズは、犯罪者との関係を殆どオープンにしているのに、ロボコップが彼とクラレンスの関係について知ると、「関係が知られては不味い。ロボコップを処分しろ」と慌てる。ロボコップを始末したところで、クラレンスとの関係を最早隠せなかっただろうに。 本作が公開されたのは1987年。 CGによる特殊効果がまだ限定的だった時代。 そんな訳で、大型警察ロボットED209は、ストップモーション法によって撮影されている。動きが、いかにもストップモーションとの合成で、CGの場合と違い、スムーズさに欠ける。 ただ、個人的には、ロボットの動作はCGよりストップモーションの方が「本物」っぽく見えてしまうから不思議(ターミネーターも同じ)。 近未来を演出する小道具も、興味深い。 最新車6000SUXは、1980年代のアメリカ車の流れを汲む架空の自動車(当然ながら、映画の為に実車を改造したと思われる)。有り得そうで有り得ないデザインなのが面白い。 クラレンスがロボコップを倒す為に利用する大型ライフル「コブラ」も、実在のライフル(バレット・スナイパーライフル)に手を加えたプロップガンらしい。 本作はデトロイトを舞台としているが、撮影はダラスだったという。 実際にデトロイトで撮影したかったが、高層ビルが少な過ぎてダラスで撮影したとか。 ヴァーホーヴェンは、資本主義という制度に相当危機感を抱いていたらしい。 オムニ社は、アメリカの汚い資本主義を象徴している。 本作で描かれている汚い資本主義は、公開当初は「資本主義が行き過ぎるとこうなるよ」の警鐘だったが、20年経った現在は将来予測として捉えられる。 現に、今の世界情勢は、ロボコップで描かれている社会と大差がない。 ヴァーホーヴェンは、男女共同参画推進派らしい。 本作では、男女の警察官が同じ更衣室で着替えるシーンがあり、女性警官が当たり前の様に乳房を見せていた。 これと同様のシーンは、スターシップ・トルゥーパーズでも見られる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.06.06 10:15:30
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