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非常に適当な本と映画のページ

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2013.09.07
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カテゴリ:洋画

 アメリカのDCコミックスの代表的なヒーロー・スーパーマンの映画版。
 2006年に公開された「スーパーマン・リターンズ(ブライアン・シンガー監督作)」は、1978年と1980年に公開された「スーパーマン」「スーパーマン2」の続編、という位置付けで製作されたが(テーマ曲も1978年版のを流用している)、本作はキャラをリブートさせる目的で製作されており、1978年版、そして「スーパーマン・リターンズ」は無視されている(「スーパーマン・リターンズ」は、興行収入的には決して失敗作ではなかったものの、製作費を考えると成功作とも言えず、ブライアン・シンガーは監督の座を干されてしまったらしい)。
 製作を手掛けるのは、バットマンを「ダークナイト」としてリバイバルさせたクリストファー・ノーラン。監督はザック・スナイダー。
 スーパーマン/クラーク・ケントを演じるのはヘンリー・カヴィル(「スーパーマン・リターンズ」でも主役候補に挙がっていたらしい)。ロイス・レーンを演じるのはエイミー・アダムス。スーパーマンの実父ジョー・エルを演じるのはラッセル・クロウ。クラーク・ケントの育ての親ジョナサン&マーサ・ケントを演じるのはケビン・コスナーとダイアン・レイン。意外にも名優揃い。
 原題は「MAN OF STEEL」。スーパーマンの別の呼び方である。


粗筋

 高度な文明を誇りながらも、それが原因で滅びる運命になってしまった惑星クリプトン。
 滅亡を予言していた科学者ジョー・エル(ラッセル・クロウ)は、生まれたばかりの息子カル・エルを宇宙船に乗せて地球へと送り出す。
 カル・エルは、宇宙船を発見したジョナサン(ケヴィン・コスナー)とマーサ(ダイアン・レイン)のケント夫妻に拾われ、クラーク・ケント(ヘンリー・カヴィル)として育てられる。
 成長したクラークは、自身が何者であるかを探る為、旅に出る。1万年前に地球にやって来たとされる宇宙船を発見。そこで彼は実父が残したメッセージにより、自分が何者で、どこからやって来たのかを知る。満足した彼は育ての親の元へと戻り、以前通りの生活を続ける筈だった。
 しかし、彼の元を、「超人」の噂を聞き付けて記事にしようと考えていたデイリー・プラネット紙のロイス・レーンが訪れる。彼は、彼女に対し自分の過去を話す。同情した彼女は、彼の事を記事にするのを断念した。
 惑星クリプトン星の生き残りで、滅亡直前にクーデターを試みていたゾッド将軍は、カル・エルを追って地球にやって来る。カル・エルは、クリプトン復興の鍵を託されている、とされたからだ。
 ゾッド将軍は、地球に対し、カル・エルを引き渡すよう要求する。
 突然現れた宇宙人の要求に動揺する全世界の人々を見て、クラークはアメリカ政府に出頭。クラークは、ゾッド将軍がいる宇宙船へ送られる。
 ゾッド将軍は、クラークに対し人体実験を行い、ジョー・エルが託した「鍵」を探そうとする。絶対絶命の危機に、一緒に人質になっていたロイス・レーンの機転により、宇宙船を脱出。
 ゾッド将軍は、地球をクリプトン惑星へとテラフォームする計画を実施。クリプトンは地球より重力があるので、地球人は生存出来なくなる。
 クラークは、スーパーマンとして、ゾッド将軍の計画の阻止へと動く。


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感想

 2006年に公開された「スーパーマン・リターンズ」は、1978年公開の「スーパーマン」の続編という位置付けで、キャラの設定も1978年の作品を踏襲している。
 本作は、スーパーマンというキャラを完全にリブートする目的で製作されたので、以前の作品とは関連性がなく、「新スーパーマンの誕生編」という位置付け。
 ただ、ストーリーの内容は、「スーパーマン」と「スーパーマン2」を掛け合わせた感じで、新しさはない。
 流石に、30年以上のものとは比べ物にならないほど特撮技術は向上している(2006年公開のリターンズと比較しても向上していると感じさせる)。

 本作の最大の問題点は、クラークの育ての親であるジョナサン・ケントが叩き込んだ筈の「教訓」を、クラークが完全に無視している事。それを、クラークは勿論、映画製作者自体が忘れてしまった感じも問題である。
 ジョナサン・ケントは、クラークに対し、超人的な力を無闇に使うな、という事をくどい程述べる。その力は、もし一般に知れ渡ってしまったら必ず多大なる被害をもたらし、人類から憎悪されるだけだ、その力はいつか本当に必要とされる時の為に取っておけ、と。この約束を守らせる為、クラークの目の前でジョナサンは命を落とす。クラークが超人的な力を使っていれば助かっていたにも拘わらず。
 ゾッド将軍が地球にやって来て、人類は滅亡の危機に陥る。クラークは、自分の力はこの危機に対処する為にあるのだ、と悟り、ゾッド将軍と総力戦を繰り広げる。
 この戦いで、クラークとゾッド将軍は大都市を破壊しまくる。人が死んでいる姿こそ映像化されていないものの、これだけ破壊すればかなりの死傷者が出ただろう。
 地球が滅亡の危機に瀕していたのだから、この程度の被害で済んだ事を寧ろ感謝すべき、という考えも出来るかも知れないが、被害に遭った者がそんな言い訳で納得するとは思えない。人類は、本作の描き方では、スーパーマンを憎悪の対象と見なすとしか思えない。ジョナサン・ケントの予言は当たっていた。にも拘わらず、製作者自体がその伏線を忘れてしまった様で、スーパーマンがゾッド将軍を倒した段階で「めでたしめでたし」となっていて、スーパーマンがもたらした被害やその影響について、一切言及していない。
 1978年の作品では、スーパーマンは自身の行動で人に危害が及ばないよう、気を付けていた様子があるが、本作ではそういう配慮を示さない。暴れっぷりは、スーパーマンより超人ハルクである。

 本作は誕生編。
 ゾッド将軍を倒したクラークは、「世間の情報を得易い仕事に就く」という理由で、ロイス・レーンが所属するデイリー・プラネットに入社する、という場面で終わっている。
 1978年のシリーズでは、ロイス・レーンはクラークがスーパーマンである事を全く気付かないが、本作ではクラークがスーパーマンである事を知っている、という展開になっている。1978年版でスーパーマンの世界に入った者として、おかし過ぎる設定。大元のDCコミックスでは、最近はロイス・レーンがクラークがスーパーマンである事を知っている、という設定になっているらしいので、本作で初めて映画版を観る者は、違和感がないのかも知れないが。ただ、最近のDCコミックスでは、クラークはデイリー・プラネットを退職し、ネットジャーナリストに転じる、という展開になっているらしい。それは反映されないのか。

 1978年のスーパーマンは、ジョン・ウィリアムズによるテーマ曲(スター・ウォーズ、インディ・ジョーンズのテーマ曲も手掛けた)があり、現在も一部を聞いただけでも映像が記憶から蘇って来る。
 一方、最近の映画は、テーマ曲を設定しない。
 これは、1990年代からの傾向らしく、ノーランのバットマンも、バートンのバットマン(1980年代後半に公開)も、テーマ曲はない。そんな事もあり、観ている最中は「凄い」と思っても、観た後はあまり記憶に残らない。
 本作も同様である。映像は凄いが、それだけで終わってしまい、何も残らない。サウンドトラックは当然ながらあるが、それをどこかで耳にしても、「マン・オブ・スティールのテーマだ」を気付いて、映像が記憶から蘇る、という事はないと思われる。
 何故最近の映画は、特撮(CG)には物凄く力を入れるのに、テーマ曲をおろそかにするのか。
 テーマ曲・テーマソングの本家ともいえる007シリーズも、テーマ曲の扱いはおざなりになってしまっていて、期待している側としてはがっかりさせられる。テーマソングも、ここ数作は全く印象に残らないものばかり。

 次回作の製作も決定しているらしい。
 ただ、宇宙からやって来たゾッド将軍という強大な敵を倒してしまった後、次はどんな敵と戦うのか。
 シリーズの宿敵レックス・ルーサーの登場?
 所詮人間の悪党がお出まししたところで、スケールダウンの感は否めないと思うが。

 世間的には、本作の方が「スーパーマン・リターンズ」より上、と見なされているらしい。
 単なる「アクション物」として考えた場合は、確かにそうだが、スーパーマン・シリーズ全体で見ると、リターンズの方がイベント性があり、記憶に残る。


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Last updated  2013.09.07 18:07:03
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