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JAFの趣味なページ

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戦自1549登場装備2



戦国自衛隊1549登場装備の続きです。
一覧
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87式偵察警戒車
96式装輪装甲車
82式指揮通信車
MLRS
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軽装甲機動車
90式戦車回収車
89式小銃
カールグスタフ84mm無反動砲
9mm拳銃
12.7mm重機関銃M2
5.56mm機関銃MINIMI
AH-1S「コブラ」
UH-1J「ヒューイ」
OH-1「ニンジャ」


9mm拳銃
9mm拳銃

スイスとドイツのピストルの名門シグ(スイスの本社)/ザウエル(シグの傘下だった会社)社が開発した半自動式拳銃です。もとの名は「P220」、陸上自衛隊ではかの有名なコルト社の「M1911」の後継としてミネベア社のライセンス生産で1982年から導入が開始され、陸上自衛隊での正式名称は「9mmけん銃」となりました。映画では自衛官が持ってました。森三佐のこれが印象的ですね。

ベースは同社の開発したP210で、これが命中精度など大変高性能の銃だったのですが、それ故に極めて精巧なつくりだったために値段が高騰し、その反省としてプレス加工などを使って生産コストを安くしたタイプがP220です。もっともそれでも決して安いと言える値段ではなかったのですが、P210に比べだいぶ値段が下がり、また性能はほぼ維持していたために性能嗜好の人々に受け入れられ、スイスのシグ/ザウエルの名を天下に轟かすことになりました。口径はその名の示すとおり9mmで、使用弾薬は9mm×19弾、装弾数はマガジンに9発で弾が銃の中に残った状態でマガジンを変えれば最大10発が装填できます。

スペック
全長:198mm
重量:810g
弾薬:9mmx19弾
装弾数:9発+1発


12.7mm重機関銃M2
ブローニングM2
陸上自衛隊公式サイトより転載

アメリカ人ジョン・M・ブローニングが設計開発した「超」をつけてもいいくらいの傑作重機関銃です。開発は何と1930年代、カールグスタフの50年代なんか目じゃありません。第二次世界大戦以前です。1933年に対軽装甲車両用にアメリカ陸軍に採用されて以来、現在に至ってもアメリカ軍含め各国軍で現役です。自衛隊においては自衛隊発足と同時にアメリカ軍から供与され、1985年からは住友重工でライセンス生産が行われています。
映画では各車両に搭載されていたのはもちろん、取り外して陣地防衛にも使用されていました。

第一次世界大戦において、戦車・飛行機などの登場で既存の火器では火力不足であることとが指摘され、それに対処するためアメリカ陸軍ではかなり厳しい要求性能で各社に新型機関銃を開発するよう要請しました。その要求性能ゆえに開発は難航しましたがコルト社にいたブローニング氏が第一次世界大戦末期に開発していたM1機関銃(M1917)に改良を加え、これがM1921と名づけられて正式採用されました。しかしこのM1921は第一次世界大戦終結とその後に訪れた軍縮の波に飲まれて少数生産に留まり、陽の目を見ないまま細々と改良型の開発が進められていきました。
そして1930年代初頭、遂にごく簡単な部品交換を行うことによって左右のどちらからでも給弾できるように給弾機構に改良が加えられました。左右どちらからでも給弾できるということは、弾薬のスペースや射手立ち位置といった搭載する車両などの設計上の問題を大幅に解決することが可能ということで、事実、この改良によって様々なものへの搭載が可能になりました。さらに銃全体の構造を簡素化することによって整備性を向上させ軽量化も行い、このタイプを"M2"としました。当初のM2は水冷式の冷却機構で後に軽量化を行った空冷式を開発、そして空冷式M2の銃身を太くして持続発射速度を向上させたM2HBが1933年に正式採用されたのです。

M2はその信頼性や性能バランスのよさから車両の自衛用武器としての搭載はもちろんのこと、陣地防衛用火器やアメリカ軍のほとんどの戦闘機などに搭載されるようになり、特に第二次世界大戦へのアメリカ参戦によってさらに増産され、この大戦中だけに限定しても200万挺以上が生産されています。
口径は12.7mm×99弾(Cal.50弾)で小銃弾の高初速と相まっての威力は凄まじいものです。フジテレビの「トリビアの泉」において日本刀と戦ったことがありましたが、その時の後ろの壁の惨状をご覧になられた方はよく分かるでしょう。作動方式はショート・リコイル式というもので、発射の衝撃を利用して銃身全体を僅かに後退させ薬室とボルトのロックを解除、ボルトが後退し次弾を装填するものです。後はこの一連の作業が引金を引き続ける限り繰り返されます。

12.7mm弾は非常に強力なため、国際条約で建前上は対人戦闘に使用してはならないことになっています。が、「他に有効な防御手段がない場合」使用は認められるので、実質上条約はあってないようなものです。銃手としてもM16などのアサルトライフルをとりにいっている間に撃たれてしまってはたまらないでしょうしね。

スペック
全長:1650mm
使用弾薬:12.7mm×99弾(Cal.50)
乾燥重量:49kg
装弾数:110発メタルリンク(ベルト式)
有効射程:対地1000m・対空700m
発射速度:450~550発/m
作動方式:ショートリコイル


5.56mm機関銃ミニミ
ミニミ
陸上自衛隊公式サイトより転載

スウェーデンのFN社が開発した軽機関銃で、本来の名前は"FN MINIMI"です。
現在アメリカを始めベルギー、イタリア、スウェーデン、カナダ、日本、オーストラリア、ニュージーランド等で分隊支援火器として採用されています。陸上自衛隊では主要アサルトライフルの89式小銃への移行に伴い、それ以前に配備されていた62式7.62mm機関銃の後継として1995年から導入が開始されました。62式機関銃が大駄作の失敗作だったためにミニミは相対的に大変な火力向上に繋がりましたが、何故か日本でライセンス生産されたミニミは不具合が多いようです。映画ではパラトルーパーモデル、つまり空挺部隊用をロメオ隊が使用していました。

ベトナム戦争においてアメリカ軍は北ベトナム軍の歩兵に対して手を焼き、アサルトライフルよりも高威力で、M2より遥かに小型で持ち運びも容易な小口径の小型軽機関銃、すなわち分隊支援火器が必要であることに気がつきました。これはその名の通り分隊レベルに配備され、その高火力でもって敵を制圧・味方歩兵を支援するという火器です。第二次世界大戦においてはアメリカ軍はこの手の火器としてブローニングM1918BARを使用していましたが、その必要性が再認識されたのです。それを受けてアメリカ軍は1966年からSAWP(分隊支援火器開発計画)をスタートさせました。
採用が決まったのは1982年のことで、多くの企業の中からFN社が制式採用を勝ち取り、M249の名で採用されました。米軍などでの評価は上々です。

使用弾薬は5.56mm×45弾で、部品交換無しでのベルト給弾・200発入り弾薬箱からの給弾・89式小銃(もちろんアメリカではM16)のマガジンのどれからでも給弾可能で、その汎用性も大きく評価できるところです。分隊支援火器のため少人数での運用を考慮し軽機関銃としてはとても軽量で、かつ700~1000発/mの連射ができます。

スペック
全長:1040mm
使用弾薬:5.56mm×45弾
乾燥重量:7.01kg
装弾数:200発箱型弾倉・30発マガジン・ベルトリンク
有効射程:対地1000m・対空700m
発射速度:750~1000発/m
作動方式:ガス圧利用


AH-1S「コブラ」
AH-1S

陸上自衛隊が初めて装備した攻撃ヘリコプターです。開発はアメリカのベル社(UH-1からの改造)、その開発の発端は「行け行け!攻撃ヘリコプター!」に記しておりますので、そちらを参考にしていただけると幸いです。西側諸国の攻撃ヘリコプター代表のような存在である攻撃ヘリで、幾度もの改修を経て現在の最新型、AH-1WやAH-1Zは初期のものとは別物といってもいいほどの性能を取得しています。なお陸上自衛隊のAH-1Sはアメリカ軍で言うところのAH-1Sではなく、AH-1Fに該当するものです。日本では1・2号機であるAH-1Eが輸入、3号機から最終機である90号機までがAH-1Fを富士重工がライセンス生産しています。そのうち73号機以降はシーナイト仕様です。
映画では第3特別実験中隊に1機配備されていました。

上記のリンク先で記したとおり、AH-1は高火力で敵を制圧しヘリボーン作戦を成功させるための機体として生まれ、その後対戦車攻撃が行えるようになりました。本命として開発されていたAH-56は開発遅延(これによって開発費は余計にかかるし1機あたりの価格も上がる)によりAAFSS(発達型空中火力支援システム)計画はキャンセルされ、繋ぎのはずのAH-1は主力攻撃ヘリコプターとして運用されるようになります。

AH-1G
最初の量産型AH-1G 機首のターレットにミニガンとグレネードがついているのが確認できます

AH-1は正面からの被弾面積を極力小さくするために胴体幅99cmと非常に細身になっており(映画のポスターからもそれが確認できます)、この細身の機体にタンデム複座で前席に射撃手(ガンナー)、後席に操縦手が乗ります。
最初の量産型AH-1Gは機の幅は95cm、機首には7.62mmミニガン及びM129 40mmグレネードランチャーを装備(ミニガン×2もしくはM129×2でも可)し、胴体横のスタブウィングに2.75インチロケットポッドを搭載するという現在までの攻撃ヘリコプターに繋がる形を既に完成させています。もともと制圧用かつ繋ぎであることもあって武装はその2種類とスタブウィングのパイロンに取り付けるミニガンポッドや20mmガンポッドでしたが、運用目的上の相手は人間もしくは小型舟艇ですのでこれで十分でした。AH-1の初陣は1967年9月4日、ビエンホア基地近辺で試験飛行中に友軍のUH-1と北ベトナム軍の小型舟艇数隻が交戦している現場に遭遇、これにミニガンとロケット弾を使って加勢し、1隻を撃沈する戦果を挙げました。この後AH-1は本格的に運用されるようになり、ベトナムからのアメリカ軍撤退まで多大な戦果を残しました。1968年には陸軍における多大な戦果を目の当たりにした海兵隊がAH-1の採用を決定、当初はAH-1Gを、1970年からはエンジンが双発のAH-1Jシーコブラ(これは当初から20mm機関砲搭載)として導入を始めました。なお陸軍型を「ヒューイコブラ」と呼ぶこともあります。

ベトナム戦争後、これもリンク先で示したとおり新たな脅威として数で西側に大きく勝る、ワルシャワ条約機構の機甲部隊が浮上しました。これに対してアメリカを始めとする西側諸国はその脅威への対処を考えるようになり、その1つがMLRSであり、またAH-1の対戦車攻撃への転用でした。
AH-1Gに対戦車能力を持たせるため、まず当時の主力対戦車ミサイルBGM-71TOWと搭載・運用できるように改修し(運用試験はAH-1Gで行いました)、また機首のミニガンも3砲身型20mmバルカン砲であるM197に換装され、AH-1Qと名づけられました。これによって装甲目標に対して強力な攻撃力を得ることができましたが、重量増加に現在のエンジンの出力では不十分であること、またAH-1Gの火器管制システムのままでは旧式化が目立つことなどから、さらに近代化したAH-1Sの開発及び全機の改修計画が1976年にスタートしました。

この開発計画はステップ1~3に分かれていました。
ステップ1は主に飛行性能を中心とした改修です。ローターを新素材を使った高性能なものに換装、セミフラット型キャノピーも新しく設計して視界を確保し、また匍匐飛行時に見やすいようにコントロールパネルのレイアウトも変更されました。このとき同時にTOW対戦車ミサイル運用能力を付加され、またM128ヘルメットサイトシステム(ヘルメットにも情報を表示したりするシステム)を搭載、コンピューターもM28A3に換装しています。そして肝心であったエンジンも強力なものに変更されました。これがまず100機作られています。後にAH-1Pと呼ばれるようになります。

ステップ2は武装強化が図られ、それまで搭載していたミニガンを20mmもしくは30mm機関砲に換装し対軽装甲目標に対する攻撃力を高められました。他にM138ロケット弾射撃装置(RMS)が搭載されこれによってロケット弾の命中率を高めることが可能になりました。ローターもグラスファイバーを使った強度の高いものになっています。また自衛用にチャフフレアディスペンサーも搭載するようになりました。これが98機作られました。後にAH-1Eと呼ばれます。

ステップ3は最も飛躍的な発展を遂げた型です。「近代化AH-1」と呼ばれていたこともありました。火器管制システムが一気に近代化され、HUDの搭載やM136ヘルメットサイトサブシステムの搭載、レーザー測距追跡装置、M147ロケット弾射撃装置(RMS)の搭載、新型のM26コンピューターといった最新設備を搭載しています。RMSは様々なロケットポッドをスムーズに運用するためのもので、M158(7発)、M200(19発)、M260(7発)、M261(19発)といった様々なロケットポッドが簡単に運用できるようになっています。後にAH-1Fと呼ばれるようになります。
AH-1S199号機以降143機は全てステップ3でつくられ、またAH-1G/Qからも387機が改造されました。一部は夜間戦闘能力を付加され、(シーナイト)AH-1の中で最も一般的な形です。陸上自衛隊が導入しているのもこの型です。
陸上自衛隊では最初の2機だけがAH-1Eで残りは全てAH-1F、そのうちAH-1Eはどちらも早々に退役したので完全にAH-1Fだけなのですが、依然としてAH-1Sの名称を使い続けており、混乱を招くこともしばしばです。ただし陸上自衛隊のAH-1Fは従来のAH-1Fと少々違い、IRサプレッサー(外部へ放出される赤外線を抑える装置)を従来のものとは他のものを使っています。アメリカ製のIRサプレッサーは品質が悪く痛みやすかったのだそうです。


現在アメリカ陸軍では完全に後継のAH-64がとってかわり、陸上自衛隊でも平成17年度からAH-64Dへの更新も始まっており(年度末1・2号機受領予定)だんだんと世界の空から姿をけしつつありますが、1つの時代を飾った名機であったことに間違いはありません。
アメリカ海兵隊では依然としてAH-1を使っており、さらに強力になったエンジンを2基搭載しAIM-9サイドワインダー空対空ミサイルやAGM-114ヘルファイア対戦車ミサイルも搭載可能になり、コクピットや電子機器も大幅に近代化され性能も格段によくなったAH-1Wが使用されています。また、現在さらに改造した次世代型AH-1「バイパー」の計画も進んでいます。

AH-1W
アメリカ海兵隊現用機AH-1W アメリカ海兵隊公式サイトより転載

スペック(AH-1F 陸上自衛隊呼称AH-1S)
全長:13.59m(ローター含む16.16m)
全幅:3.28m(スタブウィング含)(ローター含む13.41m)
全高:4.19m
ローター直径:13.41m
乾燥重量:2,993kg
全備重量:4,536kg
最大速度:315km/h
実用上昇限度:3,960m
航続距離:456km
エンジン:ライカミング社製T53-K-703(1,485馬力/1基)
武装:M197三砲身20mm機関砲1期・BGM-71TOW発射管8本・2.75インチロケットポッド2基


UH-1J「ヒューイ」
UH-1J

アメリカのベル社が開発した汎用ヘリコプターです。愛称は「イロコイ」ですが当初HU-1と名づけられていたことから「ヒューイ」とよく呼ばれ、自衛隊ではそのまま採用しています。映画ではロメオ隊に1機配備されていました。
世界各国の軍及び民間で1万機以上が配備・ライセンス生産され、傑作といっても良い機体です。輸送から外部兵装を搭載しての攻撃まで様々な任務に使うことが可能で、ベトナム戦争を始めとする数々の戦争でその存在意義を示してきました。現在は後継のUH-60が生産されていますが、まだまだ配備数は多くまだしばらくは使い続けられるでしょう。
自衛隊では最初は1961年、UH-1Bのライセンス生産を開始し、1973年にはその後継として性能向上型であるUH-1Hのライセンス生産を開始しました。UH-1JはUH-1Hの性能向上を行ったものです。なお現在のところ陸上自衛隊専用機です。AH-1Sと同じエンジンを搭載し、速度・機動性などの向上を行っています。中には機体下部にFLIR(前方赤外線監視装置)や機体上部に球体上カメラを搭載した機体も存在します。

UH-1は朝鮮戦争においてヘリコプターの実用評価試験を行ったアメリカ軍はその有用性を認め、新型ヘリコプターの開発を各社に指示しました。その競争に勝利したのがベル社のXH-40で、これを原型に改良を加えたベルモデル204が1959年にアメリカ陸軍に正式に採用されHU-1Aとなりました。この機体は信頼性・整備性も高く、また軽量化のために初めてターボシャフトエンジンを採用し、後方にスライドするキャビン両側の大型ドア、その後ろの燃料タンク、その上にエンジンという構造を持ち後のヘリコプターの手本のような存在です。
この量産型はベトナム戦争において初めて大々的に戦線に投入され、輸送任務・制圧任務・ヘリボーンといった様々な任務に応用が利き、また攻撃ヘリAH-1の原型にもなりました。

UH-1HとUH-1Jの区別は機首で行えます。機首がやや鋭いのがUH-1J、まるっこいのがUH-1Hです。といっても結構微妙な差なので完全に判別できるようになるまではある程度慣れが必要だと思います(笑)

スペック
全長:12.77m(ローター含む16.16m)
全幅:2.86m(ローター含む13.41m)
全高:3.97m
ローター直径:14.69m
乾燥重量:2,360kg(UH-1H)
全備重量:4,760kg
最大速度:240km/h
実用上昇限度:5,300m
航続距離:439km
エンジン:ライカミング社製T53-K-703(1,485馬力/1基)
武装:なし(載せようと思えば重機関銃など)


OH-1「ニンジャ」
日本の川崎重工が開発・生産している国産観測ヘリコプターです。OH-6Dの後継として1992年から開発が開始され、1996年には試作1号機が初飛行し、現在部隊への配備が進んでいます。映画ではロメオ隊に1機配備されていました。

コクピットはタンデム複座、機動性を重視したためにローターマストの根元に配置された索敵サイト、91式携帯地対空誘導弾を改造した国産空対空ミサイルなど、観測ヘリにもかかわらずさながら攻撃ヘリのような形状をしています。なので恐らくは対ヘリ戦闘を考慮してこのような形状と装備となり、将来は対地ミサイルの運用能力を持たせる可能性もある、と私は考えています。

この機体の外見上の最大の特徴と言えば、従来のヘリコプターのテイルローターと違い機内に収納(オフセット配置)されたダクテッドファンでしょう。このダクテッドファンは、テイルローターがヘリコプターにとって安定した飛行に欠かすことができないかつ狙われやすい最大の弱点であることを考慮し、機内に収納することで安全性を高め、また騒音を軽減することもできます。
ローターは高い機動性を得るためにヒンジレス(無関節)・ハブという方式を採用しローターブレードも複合材を使用した、12.7mm弾の直撃にも耐えられるという頑丈で損傷に強い4枚ブレード(同時に騒音も軽減し、ダクテッドファンの採用と共に高い静粛性をもっています)となっています。これに加えターボシャフトエンジンを2基搭載しており、この2つがあいまってOH-1は機動性を重視して開発されたため、ヘリコプターにも関わらず宙返りをしたり、急角度で機首上げをしながら急上昇する「ピレネースプリット」と呼ばれる機動など、ヘリとは思えないような機動をやってのけます。
索敵サイトはFLIR(前方赤外線監視装置)、可視光線のカラーテレビ、レーザー測距装置を1つにまとめたもので、これをアメリカ軍の観測ヘリOH-58では発見されないことを重視してローターマストの上に装備していますが、OH-1では前述のように機動性を重視したためにローターマストの根元に装備しています。
また自動空中静止装置の性能も大変優れており、大変難しいといわれるホバリングもパイロットが手放しでも可能で、航空祭においてOH-1が展示飛行する際にはホバリングしながら手放しであることをアピールするパフォーマンスが恒例らしいです。残念ながら管理人はまだ本物のOH-1を見たことがありませんが。

この機体の高性能ぶりは国際的にも認められ、優秀なヘリコプターに贈られる権威ある賞「ハワード・ヒューズ賞」にアメリカ以外の機体で初めて輝きました。

しかしながら2004年度に発表された新防衛大綱では防衛関係の予算が削減されてしまい、同時にMD配備の関係もあって戦車・火砲・護衛艦などの削減が求められヘリコプターにしても同じ現象が起こっています。現在の状況のままだと1機種1年あたり3機前後の配備しかできず、それを回避するため用途の似たヘリの統合が検討されています。川崎重工はOH-1の重武装化によってこれに対応するべきだとして、一方アメリカのボーイング社はAH-64Dを偵察にも使うべきだと主張、仮にボーイング社の意見が受け入れられれば良くても配備数大幅減、悪くすれば調達打ち切りにもなりかねない状況です。
個人的にはOH-1には頑張って欲しいものです(現在の国際情勢下で防衛費を削減すること自体が私には信じられない決定ですが)。

スペック
全長:12.0m
全幅:1.0m
全高:3.8m
ローター直径:11.5m
乾燥重量:2,500kg
全備重量:3,500kg
最大速度:290km/h
実用上昇限度:5,300m
航続距離:550km
エンジン:三菱重工業製XTS1-10ターボシャフト×2(884馬力/1基)
武装:空対空ミサイル×4、増槽×2

ただいま構築中であります by日本空軍施設科


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