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星見当番の三角テント

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歌織@星見当番

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2014.02.15
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(さて、まさかの四分割四番目です)

当番偏愛の作家・橋本治の作品に『窯変源氏物語』という長編小説があります。これは『竹取物語』に対する『かぐや姫の物語』のように、橋本治が『源氏物語』を解釈し直し、光源氏の一人称視点で書き上げた小説です。つまり『光源氏の物語』といったところですね。なぜ唐突に『窯変源氏物語』の話を持ち出したかというと『かぐや姫の物語』のある場面を見たら、『窯変源氏物語』と、著者自身による『窯変源氏』の解説書『源氏供養』を思い出したからです。竹取の翁が姫を連れて都に買った御殿へと移り住む場面。山里から着てきた裾の短い野良着のまま、髪も整えていないざんばら髪のままではしゃいで走り回る姫が、「若紫」の巻で「雀の子が逃げたの!」と走って登場する若紫と重なって見えました。そのように
走り回っていた姫君が、やがて自由に走ることを禁じられ、狭い帳台へ閉じ込められるようになる展開も、後になって初めて男性から性的な接触をされて強く「いやだ」と思ってしまった展開も。『源氏物語』の若紫と『かぐや姫の物語』のかぐや姫は、色々な点が重なるように思えます。

『源氏物語』も、最初はハッピーエンドへ向かうように見えるのですが、必ず後に数々のバッドエンドが続き、最後は「すべては空しい」というゴールへ走っていくような物語です。なぜ、ハッピーエンドのその先がどんどんバッドエンドになってしまう物語を紫式部は書いたのか。「今の時代では、私たちはここまでしか行けない。物語の中でさえ、ここまでしか行けない」紫式部は、結婚が嫌だからといって月へ帰る訳にもいかない(その当時の)リアルなかぐや姫の物語を書いたのではないか、と、これは私の考えたことではなく、橋本治の書いた『源氏供養』からの受け売りです。

橋本治は『源氏供養』の中で以下のようなことを書いています。ちょっと長いけれど『かぐや姫の物語』にも通じる話だと思うので、引用しておきますね。

「拒絶する女=浮舟の物語」だけは遂に書けて、しかしその作者には、遂に「走って行く女の物語」だけは書けなかった。その時代、少女はある瞬間だけ走ることを許されて、その後には絶対にそれが許されなくなってしまう。

でも、もうその少女は自由に走り回ることが出来るのです。紫式部が絶対に選ぶことが出来なかった物語の「その先」は、その時代が一千年経って、もういくらでもあるのです。そのように、「前提」は変わってしまっているのです。

だから「その前提をどう活かしたらいいのだろう?」ということを考えなければ、この一千年の時の流れというものは、無意味になってしまうということですね。

「結局絶望がある」というのは、まだ様々な「仮の世」を経験する以前の、一千年の昔にやっと辿り着くことが出来た結論で、それから一千年経った現在には、また「違った結論」が用意されなければならないのです。(引用終わり)


その「違った結論」とは何なのか、というのは(源氏物語という)長大な物語をひとりで書き終えた紫式部の問題ではなく、それを読んでしまった読者の問題だ、と橋本治は続けます。書くことで、紫式部の役割は終わった。それを読み終えてそこから前へ踏み出すのは読者の役割である、と。であるならば、それは『源氏物語』だけでなく、『かぐや姫の物語』も同じなのではないかしら。当番、そのように思います。ふたたび『源氏供養』から引用いたします。

だからこそ我々は、一千年の昔に、たった一人でこんな物語を書き終えてしまった「紫式部」と呼ばれた女性に対して、こう言えばよいのです。
「紫式部さん、どうもご苦労さま」と。
そのつもりで私は、この文章に対して、『源氏供養』という題を与えました。
(引用終わり)


『かぐや姫の物語』と高畑勲監督に対しても、同じようにしていいと当番は思うのでございます。ですから、橋本治に倣って当番も高畑監督に申し上げます。「高畑勲監督、どうもご苦労さま」(お疲れさま、と言わなければならないのかもしれない…ちょっと不安)と。私たちはもう、かぐや姫でもないし竹取の翁でもない。過去にこんな悲しいことがあった、ということだけを記憶して、あとはバッドエンドにならない道を現実の中で探していくしかない。めでたしめでたしで終わらない物語を見聞きした後は、立ち上がって自分のハッピーエンドを探していくばかり。そのように当番は『かぐや姫の物語』を見ました。

長々と拙い文を綴ってまいりました。これが当番の『竹取供養』でございます。ここまでお読みくださった皆様、どうもありがとうございました。おやすみなさい。


(2月16日・追記)
ここまでをテントに載せた後、ツイッターでひとりごとを言っておりました。どうしても本文に組み込めなかった、占星術視点で見るかぐや姫のお話。勿体ないので、ここにまとめておきます。

西洋占星術で使われる感受点(天体や計算上の点を総合してそう呼びます)で「リリス(リリト)」と呼ばれるものがあります。綴りはLilith。これは天体ではなく、天文学で言うところの「月の遠地点」のことです。

遠地点というのはですね、文字通り「地(球)からいちばん遠い点」。月は地球の周りを公転しているわけですが、その軌道はちょっと偏っていて地球に最も近い点と最も遠い点というのがあるのですね。その最も遠い点(遠地点)のことを西洋占星術では「リリス」と呼んで、天体ではないのだけれど天体のように(=感受点として)扱います。

リリス(リリト)というのは、ざっくり申し上げればユダヤ教その他、あのあたり(オリエント)の伝承において「アダムの最初の配偶者」とされている女性の名前です。アダムの配偶者はエバ(イブ)じゃないの、と思われるかもしれませんが、神がアダムの肋骨からエバをつくる前に、アダムを作った土と同じ土からリリスを作った、という伝承が一部にあるのですね。その根拠は創世記の第1章27節「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」なんですって。エバ(イブ)が登場するエピソードはもっと後、創世記の第2章18節あたりから始まるので、最初の女はエバではなく、第1章で既にアダムと女性Xがいた、ということらしいです。そして、その女性Xこそリリスだと言うのですって。詳しいことはWikipediaなどご覧ください。

伝承におけるリリスは、アダムの下風に立つのをよしとしなかったといいます。アダムはアダムで、リリスがおとなしく三歩下がってついてくるような奥さんになってくれないのを快く思わなかった。それで、リリスは「空気の中へ逃げた」と言われております。「空気の中へ逃げた」というのは「空気に溶け込んで透明になってしまった」ということではなく「空中へ」つまり「空を飛んで逃げた」ということのようです。リリスはその後、男に従わず婚姻関係を結ばない女、夜に飛び回り男を誘惑する魔物と呼ばれるようになったそうです。

この言い伝えから、西洋占星術ではリリスを「性的な魅力・刺激」をあらわす点、魔性の女(魔性の男)、誘惑者、道を踏み外させるもの、抗いがたい魅力、と設定しています。リリスの伝承からすると、男の従属物的な立場になることや男の支配を受けることをよしとせず、逃げていく女性。逃げることで男の中に彼女を追って行きたいという気持ちを掻きたてる存在。そういうものを、このポイントは意味します。

なぜ「月の遠地点」に「空気に逃げたリリス」の名前を与えたかというと、「月」というのは西洋占星術において「妻」「母親」「子供」をあらわすからです(なんでそうなんだ?というのは後で書くからね)。その「妻・母・子供」であるような月が、地球(月がその周りを回っているんだから、まあ月の「旦那」と言ってもそう間違いではない)からいちばん遠くなるポイントが「月の遠地点」。つまりですね、「おとうさん(夫・父)」である地球から、月(おかあさん・おくさん・むすめ)が逃げ出そうとしてる場所。だから、「アダムから逃げていった女」であり、実は「アダムが追っかけていきたい女」でもあったりするリリスの名前がついているんです(これも後で解説)。

脱線解説1・月が「妻・母・子供」である理由
つまり、むかしむかしの伝統において「『男』と結びついて家族を構成するもの」はぜーんぶ、「月」カテゴリに放り込まれていたんです。そんな大雑把な、と思うでしょ。だけど、日本だってむかしむかし、「女」っていう漢字を「つま」とも「むすめ」とも読ませていた時代がありました。『更級日記』の著者「すがわらのたかすえのむすめ」って「菅原孝標娘」じゃなくて「菅原孝標女」って書くでしょ。こう言っちゃ何ですが西洋占星術の主要天体なんて、古典占星術なら特に太陽と月と水金火木土の合わせて七つしかないもんだから、ひとつひとつの天体に含まれる意味の範囲がものすごーく広いんですよ。おおざっぱなんです。月が、たとえば平安時代の「女」という漢字ひとつで「つま」「はは」「むすめ」「こども」あたりを全部含むのと同じように、太陽だって、たとえば「人」あるいは「男」という漢字ひとつで「そのひと自身」「主君」「お頭」その他「ある集団のメインっぽい存在全般」を指す、というくらい、指し示すものの範囲が広いんです。

脱線解説2・月が「妻・母・子供」で、地球が「夫・父」である理由
なぜ月の遠地点=リリス=夫から逃げた女、夫が追いかけていきたい女であるか。どうして、この場合の「月(とリリス)」の夫に当たる存在が太陽ではなく地球か。これはですね、リリスの伝承においてリリスの元夫の名前が「アダム」であることにヒントがあります。アダムの語源って「アダマ(土)」なのですよ。神が土を捏ねてかたちを作り、鼻に息を吹き込んだら生きるようになった、それがアダムです。土から生まれたのだから、アダム=アダマ=地球なのです。そして同じアダマから作られた筈なのにアダムから逃げていった女がリリス。その後アダムの肋骨からつくられ、アダムに従属する妻となり、アダムの子を産んだエバを象徴するのが月。

脱線解説が長くなりました。さて、月の遠地点・男に従属せず婚姻の契りも結ばない、空中へと逃げる女リリス。これ、何かに似ていませんか。すべての男の求婚を斥け、帝が無理矢理連れて行こうとすると「きと影になりぬ(パッと影になってしまった)」という、なよ竹のかぐや姫。逃げる女・拒む女であるがゆえに、世の男たちの心を却って掻きたてた、どうしてもあの姫を得たいと思わせた魔性の女、かぐや姫こそ日本のリリスなのではないか、と当番、思ったのでございます。リリスは空を飛んでアダムから逃れた、と言いますが、『かぐや姫の物語』ではかぐや姫が空を飛びますしね。

月にいながら「地上に生まれ落ちたい」と願い、地上に落ちてからは「私が望んでいた地上での暮らしは本当にこのようなものだっただろうか」と自問し、自分ではない誰かが用意した囲いから逃れようと常にもがいていたあの姫君は、リリスではないかしら。妻のいるプレイボーイの甘言にコロリと騙されそうになり、男の妻に訪問された後で「自分がひとを傷つけうる立場になりうるなんて思いもしなかった」と養母の膝で泣くナイーブな幼いリリス=かぐや姫。

これ、考えていったら面白いことになりそうだし、占星術ブログらしい話題だし、感想文に組み込めれば組み込みたかったのです。しかし文字数も時間数も予定を大幅に超えたので、当初は削っていたのでございました。四番目の記事が、文字数に若干の余裕があるのでリサイクル。追記として載せました。今度こそ、この件おしまい。おやすみなさい。





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最終更新日  2018.05.14 00:29:01



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