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「きらりの旅日記」

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プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2024.05.10
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テーマ:相撲(1614)
カテゴリ:大相撲
大相撲令和六年五月場所番付表【十両】筆頭:大奄美・妙義龍・武将山・大翔鵬・遠藤・千代翔馬・東白龍・朝紅龍・輝・北の若・白熊・若隆景・獅司・島津海・英乃海・伯桜鵬 力士写真 所属部屋 しこ名 本名 出身地 ​​​年齢 身長 体重 プロフィール 過去の成績 格段優勝:回数 各賞受賞歴

​『大相撲 令和六年五月場所』​
 十両:筆頭〜四枚目の番付表
​   番付発表:4月30日(火)
初日:12日〜中日:19日〜千秋楽:26日


​Juryo#1-Daiamami Genki​

​​​​東十両筆頭『大奄美 元規』だいあまみ げんき

本名:坂元 ​​
​元規 (さかもと げんき)

追手風部屋 鹿児島県大島郡龍郷町出身

平成4年12月14日(31歳)  

185.0cm   192.0kg

有吉ゼミの大食いでギャル曽根に
余裕で勝った角界随一の大食い力士
大奄美は、鹿児島県の大島
龍郷町立赤徳小学校2年から地元の相撲道場
「名瀬相撲クラブ」に通い始めた
奄美市立赤木名中学校を経て
鹿児島商業高校商業科3年には
高等学校相撲金沢大会優勝
日本大学商学部商業学科に進学
相撲部入部 2年、宇和島大会で優勝
団体戦レギュラーメンバーとして活躍
4年、主将。個人タイトルは2冠のみ
3年、左膝半月板を負傷し手術を受けるが
角界入りはぜずに卒業後は、日本大学に
職員として就職。実業団の選手となり
寮に住み込みながら、昼間は職員で勤務
仕事を終えると大学の道場で学生と稽古に励む
2015年、全日本実業団相撲選手権大会を制し
「実業団横綱」となり、幕下十五枚目格付出が承認
目標であった「遠藤」が所属する追手風部屋に入門

(最高位)前頭十一枚目

(5月)東十両九枚目 7勝8敗
(7月)​​東十両九枚目 11勝4敗
(9月)西十両二枚目 7勝8敗
(11月)東十両四枚目 9勝6敗
(2024年1月)東十両筆頭
十両優勝:1回

Juryo#1-Myogiryu Yasunari​

西十両筆頭『妙義龍 泰成』みょうぎりゅう やすなり

境川部屋 兵庫県高砂市出身

本名:宮本泰成

昭和61年10月22日(37歳)

188.0cm   154.0kg

自動車の板金塗装を営む家に生まれる
子供の頃から、そろばん、習字、水泳
体操、柔道など多くの習い事を経験
高砂市立伊保小学校2年の時に相撲に出会う
近所の神社の相撲大会で優勝し1対1の勝負に
勝つことの楽しさを知り、兵庫県姫路市の
広畑少年相撲教室に通う(同級生は北はり磨
高砂市立荒井中学3年の時に兵庫県大会2位
全国中学校体育大会に出場。同時に陸上部に在籍し
円盤投げ・砲丸投げに取組んで相撲に興味を失い
釣りやゲームセンターで遊んだり不良グループに
加わり喧嘩をしたり深夜まで遊んで問題を起こす
中学時代は、トラック運転手に憧れていたが
将来の夢について両親と真剣に考えた末に
「サボっていた相撲を本気でやってみないか」
と言わた。全中に出場した際に埼玉栄高校
相撲部監督に勧められ豪栄道と新幹線で東京へ
2004年、同級生の豪栄道と高等総体に出場
個人戦で豪栄道が高校横綱。妙義龍は準優勝
日本体育大学では、なかなか勝てなかった
2008年、4年生に国体成年個人の部で優勝し
大相撲の幕下15枚目格付出の資格を取得
2009年、豪栄道が所属する境川部屋に入門

(最高位)関脇
(5月)西前頭十四枚目 9勝6敗
(7月)西前頭十枚目 6勝9敗
(9月)東前頭十三枚目 10勝5敗
(11月)東前頭九枚目 6勝9敗
(2024年1月)西前頭十二枚目 5勝10敗
(3月)東前頭十五枚目 6勝9敗
(5月)西十両筆頭
十両優勝:3回
幕下優勝:1回
技能賞:6回
金星:6つ

​Juryo#2-Busyouzan Kotaro

​​​​東十両二枚目『武将山 虎太郎』ぶしょうざん こたろう

藤島部屋 茨城県水戸市出身

平成7年12月6日(27歳)

171.0cm   178.0kg

小学校2年生の時
武双山の父の尾曽正士の
水戸尾曽相撲道場で相撲を始める。
4年の時に、武双山の引退相撲で
稽古をつけてもらったため
「大きくなったら武双山の弟子になりたい」
と夢をえがいていた。
6年の時に、全日本小学生相撲大会で3位
埼玉栄高校2年の時には
全国高等学校相撲選抜大会で団体優勝
3年には、相撲部主将を務め、
全国高等学校総合体育相撲協議会で
団体優勝と個人5位
藤島部屋に入門
初土俵同期は、逸ノ城、剣翔、貴健斗

(最高位)前頭十四枚目
(5月)東十両三枚目 10勝5敗
​​(7月)西前頭十六枚目 3勝12敗(再入幕)
(9月)西十両五枚目 9勝6敗
(11月)東十両二枚目 10勝5敗
​​(2024年1月)西前頭十六枚目 4勝11敗(再入幕)​
(3月)東十両五枚目 9勝6敗
(5月)東十両二枚目 

Juryo#2-Daisyohow Kiyohiro​

西十両二枚目『大翔鵬 清洋』だいしょうほう きよひろ

追手風部屋 モンゴル・ウランバートル市

本名:チミデレゲゼン・シジルバヤル

平成6年8月28日(29歳)

185.0cm  198.0kg

幼少期は、モンゴルの首都ウランバートルで過ごす
小学校4年までは、勉強に打ち込む
5年からは、試験に合格し特進クラスに入れたが
母が日本へ留学し単身来日していたことで
大翔鵬も父と一緒に来日し
柏市立第二小学校に転校。
来日当初は、日本語に苦労するが
3ヶ月ほどで日本語が話せるようになった
小学校4年、初めて相撲を取る
柏市の大会に出場し負けるが
柏市スポーツ少年団にスカウトされ相撲を始める
柏市立豊四季中学校では、野球部に入部するが退部
再び相撲の稽古を始めると
野球で体が鍛えられたために強くなった
式秀部屋でも稽古を積み序二段力士と対等に渡り合う
高校は、千葉でも屈指の強豪相撲部がある
千葉県立流山南高校に進学。同期には、阿炎がいた
1年、千葉県新人戦では、団体メンバーとして
高校を19年ぶりに優勝に導いた
個人戦でも優勝。阿炎は、2位であった
2年、全国高校相撲選抜大会で
鳥取城北高校の逸ノ城と決勝戦で敗れ準優勝
全国大会で優勝したことは無かった。
学業では、クラスでトップクラスの成績であった
高校卒業後は
以前から声を掛けられていた追手風部屋に入門
2013年3月、初土俵。
しこ名は、追手風親方の現役しこ名「大翔山」と
モンゴルの先輩「横綱:白鵬」の鵬をとった
入門同期は、遠藤

(最高位)前頭九枚目
(2023年5月)西前頭十一枚目 6勝9敗
(7月)西前頭十四枚目 6勝9敗
(9月)東前頭十七枚目 3勝12敗
(11月)東十両七枚目 5勝10敗
(2024年1月)十両九枚目 9勝6敗
(3月)西十両七枚目 10勝5敗
(5月)西十両二枚目
序二段優勝:1回

Maegashira#3-Endow Syouta​
​東​十両三枚目『遠藤 聖大』えんどう しょうた

追手風部屋 石川県鳳珠郡(ほうすぐん)穴水町出身

平成2年10月19日(33歳)

184.0cm   149.0kg

小学1年生から強制的に相撲の稽古を
やらされ相撲を毛嫌いしていた
相撲を好きになったのは、朝青龍の
スピーディーで強い相撲を見てからである
小学6年の時、大会で負けて泣いていたら
「泣くなら明日からは来なくていい」と叱られ
以後、厳しい稽古に向き合い基礎を徹底的に学び
全国レベルの大会でも結果を出し始め
同時にバスケットボール部にも所属
地元の中学相撲部が休部になり12歳で親元を離れ
金沢市の監督の家に転住。金沢市立西南部中学
2年の時、中部日本選抜中学生相撲大会で優勝
明るくユニークで、華があり、運動神経抜群で
勉強も熱心、バスケットボールも上手。握力は
普通の生徒の3倍。各運動部で欲しがった
金沢学院東高校相撲部では、団体個人共に活躍
3年、高校相撲大会と選抜高校相撲大会で優勝
日本大学経済学部では1年からレギュラー
3年後半から怪我に苦しみ手術を受ける
4年、団体戦の主将を務める
個人戦は、全日本相撲選手権大会優勝
アマチュア横綱。国体相撲成年個人の部A優勝
国体横綱。という2つのビッグタイトルを取得
史上2人目の幕下10枚目格付出の資格を取得
同郷で日大の先輩でもある大翔山「追手風親方」
の師匠の追手風部屋に入門

(最高位)小結
(5月)西前頭二枚目 0勝7敗8休
(7月)西前頭十六枚目 10勝5敗
(9月)西前頭十枚目 9勝6敗
(11月)東前頭八枚目 5勝10敗
(2024年1月)西前頭十三枚目
(3月)東前頭十六枚目 5勝10敗
(5月)東十両三枚目
十両優勝:1回
殊勲賞:1回
技能賞:4回
金星:7つ

Juryo#3ーChiyosyoma Fuzio​
東十両五枚目『千代翔馬 富士雄』ちよしょうま ふじお

本名:ガンバータル・ムンクサイハン

九重部屋 モンゴル・ウランバートル市出身

平成3年7月20日(32歳)

183.0cm  140.0kg

父は、モンゴル相撲の「大関」
子どもの頃は、いつも父のそばにいて父には
柔道や相撲の練習ばかりに連れて行かれた
父と朝青龍の父同士が知り合いという関係もあり
千代翔馬は、いずれ角界入りしようと思っていた
地元に来た13代九重(元横綱:千代の富士)の紹介で
来日して、明徳義塾高校へ留学。
2009年、高校の2年で中退、九重部屋に入門
2009年7月場所、初土俵
同期生は、碧山
入門当時は、87kgと軽量で自信が無く
大きい碧山には全く歯が立たなかったが
モンゴル相撲の大関として人気者だった
父のことを考えると途中でやめたら恥ずかしいと
相撲に打ち込んだ。その後、幕下にも定着
同部屋でタメの千代皇や千代丸に水を空けられ
悔しい気持ちをバネに稽古に打ち込んだ。

(最高位)前頭二枚目
(2023年5月)前頭十三枚目 8勝7敗
(7月)東前頭十二枚目 6勝9敗 
​​(9月)西前頭十五枚目 3勝12敗
(11月)東十両六枚目 8勝7敗
(2024年1月)東十両五枚目
(3月)西十両六枚目 9勝6敗
(5月)西十両三枚目
幕下優勝:1回

​​​​​​Maegashira#4-Touhakuryu Masahito

​東十両四枚目『東白龍 雅士』とうはくりゅう まさひと​
​​

本名:白石 雅仁​ ​(しらいし まさひと)​​

玉ノ井部屋 東京都墨田区出身

平成8年4月17日(27歳)

182.0cm   132.0kg


小学校4年生の時に初めて相撲をとった
5年から、白鳥相撲教室に通ったが
なかなか勝てなかったが
4学年上の剣翔を真似て
変化や引き技を用いるようになり、その後
道場のコーチから突っ張りを教え込まれた
相撲の強豪校、
葛飾大道中学へ進学し
3年の時、白鵬杯で優勝
同じ道場出身者が多い専大松戸高校に進学し
全国高等学校総合体育大会相撲競技大会
個人戦で2位2回、3位1回
国民体育大会相撲競技個人戦で優勝
のちの大関:貴景勝とはライバル関係
大相撲から誘いがあったが
それまで軽視していた団体戦に興味を持ち
団体戦優勝を目指し東洋大学に進学
個人タイトル3個獲得。団体戦では
全国学生相撲選手権大会3連覇に貢献
2018年12月、全日本選手権ベスト8強により
三段目100枚目格付出の資格を獲得
大学3年時に、玉ノ井部屋に入門
2019年5月場所三段目100枚目格付出初土俵
ここで『三段目優勝』を果たす。

(最高位)前頭十四枚目
(2023年5月)西十両二枚目 4勝11敗
(7月)西​十両四枚目 7勝8敗
(9月)西十両四枚目 10勝5敗
​(11月)​東前頭十四枚目 5勝10敗(新入幕)
(2024年1月)西十両二枚目 8勝7敗
(3月)東十両二枚目 6勝9敗
(5月)東十両四枚目 
三段目優勝:1回

​​

 Juryo#4-Asakouryu Takuma​
西十両四枚目『朝紅龍 琢馬』​あさこうりゅう​ たくま​​


本名:石橋 拓馬(いしばし たくま)

高砂部屋 大阪府四條畷市出身


平成10年9月24日(25歳)

178.0cm   117.0kg

四條畷市くすのき小学校3年の時
初心者による相撲大会に出場したが
初戦敗退し、これに激怒した母に
「スイッチが入った」と押され
母に毎日1300回の腕立てをやらされ
地元の四條畷相撲連盟で相撲を始める
幼少期は、相撲以外にレスリングや空手の指導も受ける
中学校からは、明徳義塾中学校:高校へと進学し
中学3年、全国都道府県中学生相撲選手権大会団体優勝
全国中学校相撲選手権大会個人3位
高校2年、国民体育大会相撲競技少年の部個人3位
卒業後は
日本体育大学スポーツ文化部武道教育学部に進学
1年、東日本学生相撲選手権大会115kg未満で優勝
2年、全日本選手権ベスト16
相撲部主将を務めた4年、学生選手権3位
大学卒業後は、明徳義塾高校OBで
8代高砂(元関脇:朝赤龍)が師匠の
高砂部屋に入門。卒業後に
2021年5月、学生選手権3位の実績から
三段目最下位(100枚目)格付出での初土俵。
この場所で、7勝全勝で三段目格付出の力士で
史上3人目の三段目優勝で、幕下に昇進した。


(最高位)十両八枚目
(2023年5月)東幕下十一枚目 5勝2敗
(7月)東幕下五枚目 5勝2敗
(9月)西十両十三枚目 7勝8敗(新十両)
(11月)西十両十三枚目 9勝6敗
(2024年1月)西十両九枚目 8勝7敗
(3月)十両八枚目
三段目優勝:1回

Juryo#5-Cagayaki Taishi​
東十両七枚目『輝 大士』かがやき たいし

本名:達 綾哉​(たつ りょうや)​

高田川部屋 石川県七尾市出身

平成6年6月1日(29歳)

193.0cm 171.0kg

トラックドライバーの父
兄1人、姉1人、3人きょうだいの末っ子
生まれた頃には、普通の体格だったが
幼稚園の頃には大きくなり過ぎて
「これ以上大きくなったら制服が無くなる」
と言われ、既製の制服の最大サイズが
きつくなっても着ているほどだった
七尾市立石崎小学校1年の頃から相撲を始め
同じ穴水少年相撲教室の門下生であった
「遠藤」の4学年後輩である
小学校卒業後は
相撲を続けるために親元を離れ
相撲部のある中学校に進学したいと
金沢市立西南部中学校へ入学
「炎鵬」とは、同じ中学の同級生
中学1年で身長:183cm、体重:108kg
2年、新人戦で個人優勝
祖母の死去した中でのことで
優勝を決めた時には、大泣きしたと伝わる
3年、全国都道府県中学生相撲選手権大会
団体と個人を制する。
2010年3月、新弟子検査で
193cm、145kg、靴のサイズは、32cm
大物ルーキー誕生と将来を期待された
強豪校から勧誘があったが
「1日も早く横綱になりたい」と
高田川部屋に入門
2010年3月、初土俵
8場所で幕下に昇進した。

(最高位)前頭三枚目
(2023年5月)東前頭十七枚目 7勝8敗
(7月)東十両筆頭 9勝6負
(9月)東前頭十六枚目 5勝10敗(再入幕)
(11月)東十両三枚目 5勝10敗
(2024年1月)東十両七枚目
(3月)東十両四枚目 7勝8敗
(5月)東十両五枚目

​Juryo#5-Kitanowaka Daisuke​

西十両三枚目『北の若 大輔』きたのわか だいすけ
​​​​

本名:齋藤 大輔(さいとうだいすけ)

八角部屋 山形県酒田市出身

平成12年11月12日(23歳)

191.0cm   150.0kg

酒田市立宮野浦小学校では
水泳・野球と複数のスポーツに取り組み
3年、酒田相撲教室で相撲を始めた
4年、わんぱく相撲全国大会で3位
6年、全日本小学生相撲優勝大会で2位
酒田市立第一中学校2年、全国中学校相撲大会2位
3年、全国都道府県中学生相撲選手権大会優勝
故郷を離れ、埼玉栄高校に進学。同期は、栃神山
1年、高校総体団体優勝。国体少年の部団体優勝
2年、宇佐大会個人優勝
3年、高校総体の個人戦で優勝
高校横綱のタイトルを獲得
高校総体団体優勝、団体個人・団体優勝
全日本選手権出場などの実績を残す
高校卒業後は、八角部屋に入門
2019年3月、初土俵。しこ名は、
北の富士にちなんで命名された

​​(最高位)前頭十七枚目
(2023年5月)西十両十枚目 8勝7敗
(7月)
西十両五枚目 10勝5敗
(9月)東十両二枚目 8勝7敗
(11月)東前頭十七枚目 5勝10敗(新入幕)
​​(2024年1月)西十両三枚目
(3月)西前頭14枚目 3勝12敗
(5月)西十両五枚目


​Juryo#6-Shirokuma Youta

​西十両六枚目『白熊 優太』​​
しろくま​ ゆうた
​      ​  (しこ名:高橋→白熊)​
​本名:高橋 優太(たかはし ゆうた)

二所ノ関部屋 福島県須賀川市出身​


平成11年5月25日(24歳)

186.0cm  166.0kg

相撲を始めたきっかけは
祖父の勧めで地元の相撲大会に出場したこと
4歳から、出羽竜道場に通って稽古を積み
12歳から、新潟県に相撲留学し
糸魚川市立能生中学を経て
新潟県立海洋高校に進学
3年、選抜高校十和田大会個人優勝
卒業後は、日本体育大学
スポーツ文化学部武道教育学科に進学
4年、主将を務める。卒業後は
プロになって欲しいという祖父の願いを叶え
二所ノ関部屋に入門
2022年5月、本名:高橋のしこ名で初土俵
2023年、しこ名「高橋」のまま十両関取昇進
2024年1月、四股名を「白熊」に改名
化粧まわしは、まだ高橋?
師匠は、現役時代「北海の白熊」と呼ばれた
元大関:北天佑のような取り口を意識させ
「インパクトのあるしこ名。気は優しく力持ち
 という昔のようなお相撲さんになって欲しい」
「シロクマは可愛く見えるが、土俵の上で暴れて欲しい」
と期待し奮起を込めたしこ名である
改名後「白熊」は子供や女性にも大人気となった。

(最高位)十両六枚目
(2023年5月)東幕下十三枚目 6勝1敗
(7月)西幕下四枚目 5勝2敗
(9月)西十両十二枚目 8勝7敗(新十両)
(11月)東十両九枚目 8勝7敗(しこ名:高橋)
(2024年1月)西十両六枚目(しこ名変更:白熊)
(3月)西十両五枚目 7勝6敗2休
(5月)東十両六枚目
序二段優勝:1回

Makushita#6ーWakatakakage Atsushi​

​西幕下筆頭​『若隆景 渥』わかたかかげ あつし

荒汐部屋 福島県 福島市出身

本名:大波 渥(おおなみ あつし)

平成6年12月6日(29歳)

182.0cm   135.0kg

母方の祖父は、
小結「若葉山」時津風部屋:12代錣山
父は、幕下「若信夫」立田川部屋
長男「若隆元」。次男:「若元春」
母は、若葉山の次女である
若隆景は、父親の故郷福島で里帰り出産
生まれた時の体重は、3600kgと
3兄弟の中で一番小さかった。
2歳前後まで、名古屋で過ごし福島へ
福島市立吉井小学校1年の時、2人の兄と同時に
福島県の県北相撲協会で相撲を始め
指導者だった父から手ほどきを受ける
幼少期は、色が細くなかなか太れなかったが
この小さな体がのちに若隆景の代名詞となる
「おっつけ」「下からの攻め」
「前ミツを取って頭をつける」
そこが原点となった。指導者:矢吹庄治は
「相手のふところに飛び込みなさい」と
繰り返し指導した
「細くて小さくて目立たなかったよね
 ただ練習は黙々とやる子だった」
小学生6年間は、柔道
4年から6年まで、陸上競技(長距離とハードル)
運動神経は抜群で、長距離の小学生代表に選ばれ
柔道を止めるときには先生が家に来て
「オリンピックを目指せるから続けさせて下さい」
と頼んだほどだった。
中学校からは、相撲一本に絞ったが
3兄弟で一番弱く
全国大会に一回戦敗退が多かった。
2010年、2人の兄と同じ学法福島高校に進学
2011年3月11日、東日本大震災で高校の土俵が壊れ
福島第一原子力発電所事故の発生で
7代荒汐親方が、被曝を心配して
若元春と共に荒汐部屋に呼び寄せた
1ヶ月、若隆元が所属する荒汐部屋で避難生活を送る
高校3年から頭角を現し
全日本ジュニア体重別相撲選手権大会100kg未満級優勝
世界ジュニア相撲選手権大会団体優勝、軽量級2位
2人の兄は、高校卒業と同時に入門したが
体が小さい若隆景は、体が小さかったので
直接、角界入りせずに
東洋大学法学部企業法学科に進み
2014年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級3位
2015年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級優勝
2016年、全日本大学選抜相撲宇和島大会団体優勝
全日本大学選抜相撲宇佐大会団体優勝
全日本大学選抜相撲十和田大会個人3位
全国学生相撲選手権大会団体優勝、個人準優勝
4年、相撲部副主将となり
全国学生相撲選手権大会で団体優勝
個人で準優勝の成績を残し
大相撲の三段目最下位格付出資格を取得
2人の兄が所属する荒汐部屋に入門
2017年3月、初土俵
同期は、炎鵬である
しこ名は『若隆景』となった
戦国武将:毛利元就の3人の息子
その中の三男、小早川隆景の「隆景」
「若」の字は、祖父の「若葉山」と
父の「若信夫」からである
同時に2人の兄も、毛利元就の
『若隆元』『若元春』と名乗った。

(最高位)関脇
(5月)西小結 0勝0敗15休
(7月)西前頭十二枚目 0勝0敗15休(全休)
(9月)東十両七枚目 0勝0敗15休(全休)

(11月)東幕下六枚目 5勝2敗

(2024年1月)西幕下筆頭 7勝0敗(幕下優勝)
(3月)西十両十枚目 9勝6敗​(再十両)​​

(5月)西十両六枚目
幕内優勝:1回
幕下優勝:2回
三段目優勝:1回
技能賞:4回

Juryo#7-Sisi Masaru

​​​​​​​西十両七枚目​『獅司 大』しし まさる

本名:ソコロフスキー・セルギイ

雷部屋 ウクライナ・ザポリージャ・メルトポリ出身

平成9年1月16日(26歳)

193.0cm   171.0kg

2人兄弟の兄である。
小学校4年と中学校5年の9年制となる
メルトポリ市内のタヴリア学校を卒業
ウクライナで
6歳から、レスリングを習い
15歳で、相撲に転向し欧州選手権で優勝
2020年3月、初土俵
同期は、北青鵬がいる
ウクライナ出身として初の力士
しこ名は
入門当時の師匠16代入間川から
「百獣の王になれ」と言われ「獅」と
当時の師匠の現役時代のしこ名から「司」
を取り、下の名は体が大きいことで「大」
として「獅司 大」となった
2023年、ロシアが母国に侵攻したことで
国技館では、大きな拍手と声援が飛ぶ
ウクライナ出身力士である自身に
通常より大きな声援が届いたことに感謝した
新十両の会見では
「ウクライナは大変。もっと頑張る
関取位になたのでママ、パパを助けます
頑張ります」と
故郷の家族を心配し思いやる発言
極力、政治的な発言は控えている

(最高位)十両五枚目

(2024年5月)西幕下二枚目 6勝1敗
(7月)東幕下十二枚目 9勝6敗 (新十両)
(9月)東十両八枚目 9勝6敗
(11月)西十両五枚目 6勝9敗
(2024年1月)西十両七枚目
(3月)西十両八枚目 8勝7敗
(5月)東十両七枚目

​​
​​Juryo#7-Shimazuumi Sora

 西十両二枚目『島津海 空』​​​​しまずうみ そら

本名:中園 空​(なかぞの そら)​
​​
放駒部屋(松ヶ根部屋→二所ノ関部屋)

鹿児島県西之表市出身

平成8年5月18日(27歳)

175.0cm   164.0kg

種子島出身で、幼少期には
実家の手伝いで素潜り漁をしていた
相撲が盛んな種子島なので
小学校1年生から、まわしをしめて
多くの相撲大会に参加した
西之表市立種子島中学に入学すると
相撲は、デブのスポーツだと思って
バスケットボールに熱中した
中学3年の夏に
父が、元大関:若嶋津と知り合いだった
ことから勧誘を受け招待され
2011年11月九州場所の相撲を見て
「これが本当の男だ」と感動し
相撲経験が全くないままに中学校卒業
と同時に若嶋津の「松ヶ根部屋」に入門
2012年3月場所に初土俵
入門から12年を費やした)

(最高位)十両二枚目
(2023年5月)西十両六枚目 8勝7敗
(7月)西十両三枚目 5勝10敗
(9月)東十両六枚目 9勝6敗
(11月)西十両二枚目 9勝6敗
​​
​(2024年1月)前頭十七枚目​​​(新入幕)
(3月)西前頭十二枚目 0勝4敗11休
(5月)西十両七枚目

Juryo#8-Hidenoumi Takuya
東十両八枚目『英乃海 拓也』ひでのうみ たくや​​

​本名:岩崎拓也​(いわさき たくや)​

木瀬部屋 東京都 江戸川区​出身


平成元年6月11日(34歳)

186.0cm   163.0kg

2人兄弟の長男。
弟は、追手風部屋の「翔猿」
江戸川区立上一色小学校1年で相撲を始める。
10歳、台東区立小松竜道場に通い始め、
相撲大会の団体戦でレギュラーメンバーとなる。
葛飾区立大道中学校に進学し相撲部で、
1年からレギュラーとして活躍。
葛飾白鳥相撲教室に移籍。
葛飾白鳥相撲教室と中学の1年上には「千代大龍」
7学年上には、大道がいるが
中学校相撲部のレギュラー入りは、
英乃海の方が先であった。
剣翔は2学年下で、翔猿は、3学年下である。
2004年、台東区春季相撲大会では、
前月に中学を卒業し足立新田高校に進学した
千代大龍と決勝戦で勝利し優勝。
埼玉栄高校に進学し、相撲部入部。
1年、団体戦レギュラーメンバーとなり、
インターハイ団体戦連覇を経験。
2年秋から、主将を務める。
2年、高等学校金沢大会で個人優勝。
日本大学に進学し、相撲部に入部。
同期には、大喜鵬。1年上に常幸龍がいた。
3年頃から、稽古に真面目に向き合わず、
タイトルを獲得することは出来なかったが
日本大学の先輩11代木瀬(元幕内:肥後ノ海)
が師匠を務め、目標とする常幸龍が所属する
木瀬部屋に入門する。
四股名が本名から「英乃海」に改名したのは、
新十両昇進の時、当時の日本大学相撲部監督の
田中英壽氏の名前から「英」
母の名前から「乃」
師匠の現役しこ名から「海」を引用し
『英乃海』とした。

(最高位)​前頭六枚目
(3月)東十両八枚目 6勝9敗
(5月)東十両十一枚目 6勝9敗
(7月)西十両十二枚目 5勝10敗
(9月)東幕下二枚目 5勝2敗(幕下陥落)
(11月)西十両十一枚目 6勝7敗2休(十両復帰)
​​(2024年1月)西十両十一枚目 10勝5敗

(3月)東​
​​十両七枚目 7勝8敗
(5月)東十両八枚目
十両優勝:1回
序二段優勝:1回
序の口優勝:1回

Makushita#5-Hakuouhou Tetsuya​

西幕下五枚目『伯桜鵬 哲也』​はくおうほうほう てつや​​

宮城野部屋→伊勢ヶ濱部屋 鳥取県 倉吉市出身

平成15年8月22日(20歳)

181.0cm   160.0kg

メディアからは「令和の怪物」と称される逸材
この怪物に対面すると、思ったより小柄な印象
53代横綱「琴櫻」と同じ倉吉市立成徳小学校出身
幼少期は、サッカー少年
小学校4年、本格的に相撲を始める
鳥取市立西中学校から
鳥取城北高校へ進学し
2年と3年、高校総体で高校横綱
3年、全日本選手権ベスト8
三段目付出資格を取得
高校卒業後は、すぐにプロ入りせずに
右肩の手術を受け、相撲浪人して怪我を治す
その後、父の会社「野田組」に所属し
全日本実業団相撲選手権大会に優勝し
実業団横綱となる。
13代宮城野親方(元横綱:白鵬)の誘いで
宮城野部屋に入門
2022年、実業団横綱であるため
2022年12月、幕下15枚目格付出での入門承認
その後の躍進は、次の通り・・・

(最高位)前頭九枚目
(2023年1月)幕下十五枚目格付出 7勝0敗(幕下優勝)王冠
(3月)西十両四枚目 10勝5敗
(5月)西十両八枚目 14勝1敗
(7月)前頭十七枚目 11勝4敗(新入幕)​技能賞星敢闘賞​星
(9月)西前頭九枚目 0勝0敗15休(全休)肩の手術
(11月)西十両六枚目
0勝0敗15休(全休)
(2024年1月) 西幕下五枚目 6勝1敗
​(3月)西十両十三枚目 8勝7敗​​(再十両)​​​
(5月)西十両八枚目


カメラ​写真撮影:ほしのきらり。​​

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最終更新日  2024.05.10 00:10:10
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