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「本当の中国は内陸にある!」と思い込み、成都へ留学に来ました。
![]() 四川省成都市の四川大学漢語科を卒業し 成都で人材派遣の仕事をして・・・ また半導体関係に戻って、中国人を管理しています。 生活の中で感じたことを中心に、三国志遺跡など 蜀漢の国を紹介していきたいと思います。 成都の風を感じていただければ・・・と、思います。 今は、地元の小さーい半導体会社で、山東と四川から来た研修生の 指導や管理などをしています。 そこであった研修生たちとのやりとりを紹介していきたいと思います。 四川大学留学日記 [全306件]
私が会社に入ってから、毎月一度、研修生一人一人と個人面接を行うことになった。 内容は仕事について。 うちの会社には、顕微鏡検査(山東と四川)と、装置によるチップの合否検査(四川人)の2つの工程で中国人研修生が働いている。 顕微鏡検査での面接内容は、 今月は不良品の見逃しがいくつ、確認ミスがいくつ、検査スピードなどなど。 「先月は見逃しが10個、今月は見逃しが2個に減ったね。来月は0を目指して頑張ろう!」 「裏面検査に、今は120秒かかってるから、来月は90秒目指して頑張ろう!」 など、工程のリーダー、研修生と私の3人で面接を行っているのだ。 時には「頑張ってるけど、なかなか目標の数字に届かない。」と泣き出す子もいて。そんな時は私たちの言う”目標”の意味をもう一度話したりしている。 最後は元気に「目標を達成できるよう頑張りマス!!」と涙目の笑顔で去っていくのだ。 それと打って変わって、チップ検査に携っている研修生たちは・・・ヒドイ。 「今は4ブロック見てて少し余裕があるから、来月からは5ブロック見よう!」と言うと、「給料上がるの?」と。何か目標を持たせようとしたり、要求を出すと「給料は上がるの?」と言う。 先日の面接でもこんな事があった。 四川から日本に来て1年半くらいになるヨウさんの面接。 「先月の目標”作業ルールを守る”だけど、守れた?」――「いいえ」 この子たちは、標準作業すら守れていないのだ。 それに対して強く言わない日本人。 「何が守れなかった?」――「分かりません」 さっきまでは下がってた私の目じりが上がった。 なめてる。 でも、ここで怒っちゃいけない。 「・・・じゃあさ。何が守れたかなぁ?」――「分かりません」 ブチっ 優しいお姉さんでいてくれ、と上司らに頼まれたばかりだ 工程のリーダーさんに「どうしましょうか。」と聞くが、苦笑いするだけ。 +++++++++++++++++++++++ このヨウさんは、先週から足が痛いと言い出し、病院へ行きレントゲンなどを撮ったりしている。運動不足?か何かが原因で、筋肉か筋かを傷めたのだろうと思い、太い痛み止めを2本ほど打ってもらったのだが、また痛みだしたそうで、脊椎ヘルニアかもしれないという事で、整体へ連れて行った。 普通、急な手術が必要でないような場合、彼女達は、中国に送り返されて手術を行う。 残酷な言い方をすれば、「仕事の出来ない研修生は必要ない」からだ。 低賃金で雇える研修生たちを雇う日本の中小企業に、そこまでの余裕はないだろう。 日本で大きな病院へ連れていけば、手術となる。 でも、ヨウさんだって、まだ日本で働きたいはずだ。だから、整体で治るなら、と整体に連れて行ってるのだが。「こんな小さい所にしか連れていかない。もっと大きい病院に連れて行って」と、整体中も全く協力的ではなかったそうだ。 +++++++++++++++++++++++ そんな事があったので、私はヨウさんに「足のことが心配で頭がいっぱい?」と聞いた。 ヨウさんは「いいえ。」と。 ・・・もう、バッチーーーんと引っぱたいて「帰れぇ、あが!!」と怒鳴りたかった。 工程のリーダーさんも苦笑い。 何とか言ってくれよ。 「ヨウ、じゃあね、品質を落とすようなこと自分はしていないと思う?」との私の質問に「はい。言われたことは全部やっています」と。 『テメェ、さっき作業ルール守ってないって言ってただろうが で、私が半分キレかかった状態で、作業ルールは品質を保つためにあるもので、品質に関係ない無駄な作業ルールなんてないのよ、と話した。 ヨウの反応はいつもと同じ。 笑みをたたえたまま無表情で、じっと相手を見る。 『バカにしてる』 『他人事だと思ってる』 私、優しいお姉さんを演じきれず 「ヨウ、あんたみたいに作業ルールも守れない作業者はね、会社はいらないの。この面接時間だって無駄よ。無駄。」と言ってしまった。 ヨウ、笑みをたたえて無表情。 工程のリーダーさんに「何かないですか。作業に関しての要求とか」と聞いた。 私が言うよりも説得力があるし、反省もするはずだ!と思った。 リーダーさん曰く 「いや、特に何もないっすね」 どかーーーん 「わかりました。じゃ、面接は終わり」で終わりました。 そのリーダーさんはまだ若く、まだ人を指導する事に関わっていないのだそう。 このリーダーさんの上司らに言いたい。 『テメェら、何でそんな奴を遣したんだ。テメェらが腐ってるから研修生も腐るんだ』 この工程の人たちが「作業ルール守れていなくてもいいよ。」と言うのなら、こんな面接するだけ無駄だ!ばかやろー! ばかやろーーー ばかやろーーー うわーーーん
友達や家族から離れて海外に来てつらいのは分かる。 先進国で、稼げて、綺麗で、礼儀を重んじる、憧れの日本で、理想と現実の間で悩むのも分かる。 でも、せめて標準作業を守って仕事をしてほしい。 見つからなければ何してもいいと、他の人の目を盗んで怠けたり、音楽聴いたり、辞書持ち込んで勉強したり、昨日こそ注意された事を守らなかったり。 本当になめている。 甘えてる。 バカにしてる。 皆が皆、そうではないけれど。 特に四川の研修生は、それが目立つ。 自分を何だと思ってるのか。 やっぱり四川人が大嫌い。 To: ??????@hotmail.com Subject: 29日の日記 From: Date: Thu, 29 Oct 2009 10:36:46 +0900
母の一言で「何のために」を気づくことができた自分。 まぁ、言われなくても分かれよ、との声も出てきそうだが。 気が付いたので良かったかな。と思う。 地元の食品加工会社に勤めたい理由は、実家から車で10分の距離だから。 ただ、それだけ。 朝はゆっくり出来るし、起きたらご飯があるし、疲れて帰って来てもご飯洗濯掃除などなど色々しなくてもいいし。 とにかく、一人暮らしだと全て自分でやらなければいけないものが、実家で暮らせることによって、それが軽減される!それだけが魅力だった。 でも、そんな泡のような妄想は捨てることにした。 四川のかわいい研修生たちが、日本社会という中で大変な思いをしているのではないか!! 自分の家事が軽減されることよりも、彼女たちの心の負担を軽減してあげなければ・・・何のために中国まで行って頑張ってきたのだーーー ということで、実家から車で一時間ほどの距離にある半導体会社に勤めることを決めた。 では、食品会社はどうなったかというと。。。 半導体会社で働くことを決めたその3~4時間後に、食品会社の安藤さんから電話が来て「面接結果のほう大変お待たせして申し訳ありませんでした。採用、ということでよろしくお願いします。」と。 安藤さんには断りの返事をしたが、それから一週間は頭の中がボーーとしていた。 何だか、一種の失恋感でもあった。 自分で決めてだした答えなので、後悔は全くない。 でも、「あー、、もう違うところに決めちゃったよぅ」という、心に穴が開いたような感覚。 でも、こんな感覚も一週間後には消えていた。 半月後から実家から一時間ほどの杵築という町で仕事をしなければならない。 常務さんは私が杵築に引っ越してくることを望んでいた。 私も、通勤で1時間も時間を使うようなことはしたくない。 それで、引越しやら何やらの準備に追われることになったのだ。 時間のあるうちに出来ることをやっておこう! と、また忙しい日々が始まった。
四川の派遣会社で仕事をしていた時のお客さんで、地元の半導体企業の常務さんから電話があった。 この常務さんは、直に定年を迎えられる、パワーあふれた、にこにこスマイルのおじいちゃん。 「どうして辞めちゃったの」と電話越しに言っていた。 この企業は、研修生の事をとても大事にしている素晴らしい企業ではあるが、私にとって“取引先=派遣会社関係”で、できれば関わりたくない部分でもあった。 「この前中国に行ってきた」や「研修生がどうのこうので大変」など、数回ほど電話がかかってきたのだが、ある日、「研修生をサポートする役目としてうちに来てほしい」という電話があった。 私にとって、自分がその企業で働くことは、やっと離れられた中国の会社に舞い戻ることとしか思えなかった。 でも常務さんの人柄は尊敬していたので、どうもはっきり断ることが出来ず、会社に顔を出すことになってしまった。 常務さんが言うには、「若い研修生たちが異国に来て働いていて辛い事も多々あるだろうに、言葉の違いか文化の違いか、日本人に話してくれない。伝えたいことがあっても、複雑な言葉ではなかなか伝えることが出来ず、どうしても簡単で表面的な意味に受け取られてしまう」と。 その常務さんの言う事も分かる。 が、私はそれ以上に、四川の派遣会社から離れたかった。 「ありがとうございます、考えさせてください」と言いつつ、心では「地元の企業からの採用通知を待とう」と思っていた。 地元企業の面接から一週間して電話が入った。 「出張の件に関して、この一週間で考えはまとまったか」との内容。 「お、これまでの一週間はそれを考える時間だったのか‥‥」と思ったが、即答で問題ないですと伝えた。 すると安藤さんは「分かりました、ではこれから採用の検討に入らせてもらいます」と。 採用までは、まだまだ待たなければいけなさそうだった。 半導体企業に行ってから、数回ほど常務さんから電話がきたのだが、その度に「うう~ん、、」と遠回しに断っていた。 こんな不景気の状況下で企業から来てくれと言われるのは、とても嬉しい。でも、ここで働きたくない。 私は「お母さん、この常務さん私のためにここまでしてくれてるよ」と母に言った。すると母は「あんたのためじゃなくて研修生のためやろ」と。 ここで気が付いた。 “何のために”という自分の出発点。 自分のため? 人のため? To: ??????@hotmail.com Subject: 20日の日記 From: Date: Sun, 20 Sep 2009 10:43:27 +0900
日本に帰ってきて、特に何をするでもなく過ごしていた。 朝は両親が出掛けて行く時間に起き上がり朝食をゆっくりととり、茶碗を洗い洗濯をして、そうこうしている間にお昼が近づき、昼食の準備をして母の帰りを待つ。 母が帰って来たら一緒に食事をして、午後はゆったりとして、晩ご飯の買い物へ行く。 履歴書を送った会社には、帰国後1週間ほどしてから連絡をした。 気持ち焦りながら。 海外事業部の安藤さんは私の帰国報告を聞くなり「実は昨日中国の携帯に電話したんですよ」と。そして「でも繋がらなくて……あ、その時はもう日本ですね…」と。 求人の面接なのに実に丁寧で。 「6月中に帰ってくると言ってて帰って来たらすぐに連絡くれると聞いてたけど、7月になっても連絡来ないから、フラれてしまったのかと思いました」と言ってもらえて、嬉しくもとても恐縮だった。 それから、面接の日にちなどを決めたりするのに数日ほど待ったのだが、連絡が来て「面接に来てほしいんですが、まだ大丈夫でしょうか」と。 私にとってはこの企業一本と決めていたので、何とも嬉しい言葉だった。 面接に行くと、小柄でぽっちゃりした同年代くらいの男性が現れた。 この男性が安藤さんだった。 いろいろと話しをしたのだが、会社としては、私という人材を会社の奥に座らせて事務をしてもらうよりは、購買、管理という第一線で頑張ってもらいたいそうだ。 内心「また中国か、、」というものがあった。 でも、自分が一生働く会社に就職したいという気持ちがあったため、そこはきちんと伝えた。「できれば中国には行きたくない」と。 その理由を話したり、するであろう仕事の内容を聞いたり。 聞けば、出張も月に一度3~4日ほどだそうだ。これなら、「仕事ついでに食材の調達も…」と思える頻度。なのかな? 面接の結果は一週間後。 帰り道は、「毎朝この道を通って、帰りはこの道でもいいなぁ、早く帰れたらご飯を作ってあげよう。。。」などと、日本での社会生活を妄想していた。 To: ??????@hotmail.com Subject: 16日の日記 From: Date: Wed, 16 Sep 2009 10:35:51 +0900
7月2日暮れ。 上海行きの飛行機に搭乗するため、成都の空港へ向かう。 バスが到着し、重い重いスーツケースを下ろそうとしてたら、誰かの手が私の荷物に伸びる。見れば友人だった。 この友人とは先日知り合ったばかりだったのだが、見送りが誰もいないのは寂しいでしょうとの理由で、わざわざ来てくれたのだ。 彼にとって私は初めての外国人であり、初めての日本人。 親切心なのか他の心もあるのかは横に置いておいて。 ものすごく情熱にあふれた人だった。 その情熱をもって、私と成都との別れを見届けてくれたのだ。 上海には夜遅くに到着。 市街地まで出てホテルを探す気にもなれず、空港内にいたホテルの客引きに一晩の値段を聞き、着いていった。 空港から15分、送迎付きで360元。 高い。 でも、中国とは明日でお別れ……ということで、値引きもせずに決めたのだ。 ある意味、とても贅沢なのではなかろうか。 翌日、上海市街地にある寧波同郷会へ行った。 以前、母方祖母の足跡をたどりに寧波まで行ったことを四川大学の石老師に話したところ、石老師がアドバイスをくれたのだ。 寧波同郷会というのは昔の名称で、現在では浙寧会館、上海寧波同郷連合会という名称に変わっている。 上海の街中にある南京西路と北京西路の間にある、想像に描く上海の一角にそのビルはあった。 いざや! と勇気を出してドアを開けると、受付にはおじいちゃんが一人。 ちょうどお昼の時間だったのだが、私の話しを聞いてくれ、上の階に行ってもっと詳しい人を探しに行ってくれた。 でも、その人はお昼に出たので、午後また出直して来てくれということになった。 午後。 受付のおじいちゃんと同じくらいのおじいちゃんの前に通された。 そこで、この会の歴史や日本にも組織があることなど様々な話しを聞かせてもらった。 私が14時には空港へ向かわなければいけなかったので、話した時間は短かったが、祖母に触れたようで嬉しかった。 必要な連絡先を交換し、記念にと「寧波人在上海」という書籍を頂いた。 これが、中国での最後の仕事。 このために中国語を勉強したのか、な。 いや、私という人間は、もっともっと世界のために頑張らなくてはいけない。 そのために、たくさんの人の夢や希望に触れて、助けや勇気をもらったんだから。 今からが正念場! 微力ですが頑張ります。 To: ??????@hotmail.com Subject: 14日の日記 From: Date: Mon, 14 Sep 2009 10:37:00 +0900
三年半の四川大学での留学生活も終え、七ヶ月の成都での会社員生活も終えて。 09年、夏。 私の新たな人生が始まりました。 夢は、大分県で中国と日本の友好の懸け橋を支える一員になる! 4月末。 ハローワーク.comで求人情報を見ていた私。 偶然か運命か… 実家から車で10分のところにある企業が求人を出していました。 貿易事務の募集で、条件は「中国語のできる人」。 給料は20~25万円。 中国にいたため、ハローワークに行くことはできません。 どうして良いか分からなかったので、とりあえずハローワークに電話しました。 すると、「何やらかんやら出来なくなるけど、直接企業に連絡してみない」との事。 で、5月末に連絡してみたら、「とりあえず履歴書を送ってくり」と。 書類を送って2週間くらい(かな?)してから、その企業から電話が来ました。 「いつでも良いので、帰って来たときにでも面接に来てください」と。 私は嬉しくて「今の会社は辞めるつもりで、6月中には日本に帰るので、帰ったらすぐに連絡します!」と言い放ちました。 電話をくれた安藤さん「いえ…採用できるかどうかまだわからないので、面接のために帰って来たりしないでください」と。 「ぐふぅっ」とパンチをもらった感じではありましたが。6月中には連絡しますと言い、電話を切りました。 そして、6月初頭にイロハ派遣を辞め、帰る準備などをして、7月4日に九州に戻ってきたのです。 充電期間は終わりです。 これからは、自分の目標に向かい、前進前進また前進。 ずっとサボっていた黄金の掛け橋ブログではありますが。 たくさんの挑戦を書き留めて行きたいと思います! Date: Thu, 10 Sep 2009 13:21:06 +0900 To: ??????@hotmail.com Subject: 10日の日記 From: |一覧| |