根本淑子さんの詩集「耳を澄まして」(詩人会議出版)より
受難の時代に
子どもが親を殺し
親が子どもを殺す
一番愛しあい尊敬しあって
大切にしあうはずの
人間関係の原点でもある親子
その崩壊が気づかないうちに
始まっている
ごく小さな気づかないほつれ
年ごとに大きくなり心に穴をあけてゆく
かみあってゆかない苛立たしさ
通じていかない寂しさ
分かり合えない悲しみ
それさえも感じなくなって
心を奪われる
テレビに時間を奪われ
ゲームでは考える力も
体で楽しく遊びあう仲間も奪われ
ケータイに心と心を睦みあう喜びを奪われ
パソコンの流れる文字や情報に
世界や見知らぬ人と画面で出会っている間に
家族との対話が奪われている
その無機質の機会の便利さと楽しさの魔法に
奪われていってしまった 人間としての心
人と人との関係
人と人とが
交じり合いぶつかりあいながら
顔を見合わせて言葉を交わし愛を知り
自立心を身につけ
夢を語り合い
愛の確かさを
感じあい育んできたひと昔前
もっと
一緒に食べたり話したり
一緒につくったり遊んだり
一緒に入浴したり寝たり
一緒に歌ったり夢見たり
一緒に怒ったり悲しんだり
当たり前の暮らしのリズム
日々を積み重ねながら
向き合い触れ合う確かさを
充分に耳の痛い詩ではあるけれど、否定した部分もあれこれ。
そして、山本真喜雄先生の連載随想に
人生のパートナーとの「ケンカ」のすすめ(自己主張をすること)
ってのがあった。
あ~。( ̄~ ̄;) こりゃ無理だ。
自己主張はお互いそれなりに暗黙でやってるのだがぁ
ケンカができない仲。
それでも昔はディベート(話し合い、論議)なるものをそれなりにやっていた。
あくまで政治だの一般論的なことを・・・
(かなり私が解説がましくなったり、折れたりが多かった)
が、それすら私は投げ出した(それを投げ出さずにいられなかった?!)
ズバズバっとケンカ(言い合い)ができたら、どんなにお互い楽だろう?
私は後を引かないが、相手は後を引くタイプ。
おまけに、感情的に流れるタイプだし、モノが動くタイプ(器物損害)
言いたいことを言ってしまうのなら、私は絶対に相手を傷つけるスベを知っている。
傷つけづに言いたいことを言うなんてのはムリだし、
傷つけるのが恐いのではなく、そこまでする時は、マジで「離婚するつもり」の時だけだと思ってる。
言いたいこと言って、はい、それだけ~。じゃ、またいつもの生活にもどって・・・
とはできないことを言ってしまう・・・
加減すりゃ済むのかもしれないが、加減も適当もヘッタクレもない。
勝てるケンカは売らない。勝てるケンカは安易にはしない。1回こっきりで充分。
話はそれたが・・・
「子育てって」というタイトルで、参加者みんなが思い思いを語りあっていった会だったが
次のテーマも必然的に浮かび上がってきた。
次は「学力って?」ってことで、あれこれ話を展開していく。
またご案内しますぅ~。