木漏れ日の空間にようこそ !!
b10【間違いを生かすとは何なのだ!】 この世的(存在)の事実を、霊の論理を持ち出して否定することはできないのです。現実の問題として、そのような論理は間違いが生じ易く、叉、霊的存在にも悪いものがあると云われています。いわゆる悪霊、悪魔です。このような類は、一目で「オレは悪魔だ」などと分かる形は取らないのです。ですから、外見だけの判断ではなく、言行が一致しているか?どうか?で判断しなくてはいけないのです。 ヤッテ悪いことは 小田島氏名義の手紙のことか?それならば、高橋佳子は中野富敏を咎めたことになります。私が弘法大師○の生まれ替わりと云ったことか?をハッキリ明示しなくてはいけないのでした。ヤッテいいことと悪いことがあると云っても、お地蔵様に小便をかけるのとは意味が違います。(禁止行為を明文化する必要は無い)ヤッテ悪いことがあるならハッキリ明示しておかなくてはいけないのです。それさえ出来ないのでは、因果を法律と同一視したものと見なさざるを得ません。 人為的に咎め、口には出さねど、無言の圧力をかける行為は、道徳を指針としたとしても無理がきます。いけないものはハッキリ言葉で明示しなくてはいけないのです。霊的存在をこの世的に否定することとは意味が違います。又、間違いを生かすと云うことに関しても、自己の間違いのみか?他の間違いをも含めてか?についても、そのまま生かすのか?教訓として生かすのか?もハッキリさせていませんでした。従って教えの間違いか?解釈の間違いか?さらには間違っていないのかさえ判別できないではないのです。 このような曖昧な特定個人の霊的概念で、(あの世では通用するとしても⇒想いの世界だから解釈の間違いは間違えた人の責任)他人の賞罰ができると皆さん思いますか?考えていただきたいと思います。GLAは教義を捨てて解散すれば良いのです。これは命令とも取れますので、私の云うべきことではありませんが、一般論としてはそうなりますと云う意味です。マスコミ関係者には、アニメ映画でも作って貰えば解決の糸口にはなります。しかし、解決しないのならば、解決しなくても良いのです。私としてはインターネットでこのような事件が存在していたとこ公表を続けるだけです。(2011/04/23) 1