『百年の孤独』を借りた。(G.ガルシア・マルケス)
こんばんわ~、ニコライです~。(この日記の登場人物)7月末から、図書館で借りていたんだが、鎌倉にも持っていったけれども、気を入れて読む時間がなかなかなくて、ちょこちょこ栞を挟んで読み進めながら、とうとう今日、返却日となってしまった・・・。そう、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』だよ。 百年の孤独(2940円)いくつもの「その通りだねぇ~」というカスタマーレビュがあるから、ニコライは余計なことは言わんでおこう。■AMAZONのカスタマーレビュマコンドという架空の村の創立者ブエンディーア一族の100年のお話だよ。この本は、とても不思議な現象を、読者の日常生活にもたらす。現にウニやんは、この本を日常的雑事に遮られて途中で閉じると、「まるで、寝起きのように、ボーッと眠い・・・」のだと言い、本を閉じると、アクビを何度も何度もしていた。これが、良く言われる「魔術的リアリズム」なのだろうか?(違、まあ、皆の衆も、騙されたと思って、読みなはれ、この本を一時中断して、日常生活に戻ると、寝起きみたいな状態になる。それは、なぜか?ウニやんは、「この本は、寝ている時に見る、かなり具体的な夢に似ている」と言っている。皆の衆も、寝てる時に見る「夢」について、自分の経験を振り返ってみてよ。夢を見ている間、夢を見てるその人は、その夢の話の非合理を全く気にせず、なんの違和感も無く夢の話を受け入れているよねぇ。それが、目が覚めて夢が中断した途端、なぜか人は、今まで見てた夢の話が、かなり面白かったという記憶はあるものの、夢の筋をちゃんと覚えていない。この本を読んだ後は、それに近いものがある。また、この本には、後で、起きている時に冷静に振り返ると、非現実的で「ありえない」荒唐無稽な話ばっか出てくる。それは、まるで現実かと錯覚するほどに、細部までリアルに描写されているかと思えば、肝心なところは説明不足で、簡単に済ませてしまう、そんな感じだ。まさに、覚えてるとこだけが異様にリアルで、忘れちゃったとこを端折ってしまう、という、寝起きに今まで見てた夢の内容を話して聞かせる人の夢話に似ている。本の描写の仕方自体、夢に近いものがあるのだ。しかし、実は、ウニやんは、読了していない。長くて飽きたからではないよ。ウニやんは、ここんとこ、ちょっと忙しかったので、ガッツリ身を入れて読む時間がとれず、ちょくちょく読んでは中断し、、、を繰り返していたので、あと2章を残して、返却日を迎えてしまったのだ。おかげで、現実には、たっぷり寝ているはずなのに、睡眠の足りてない感じがしてならないらしい。今日、図書館で延長しようしたのだが、次の予約が入っていた。「さては、コメダで『Pen』を読んだ誰かが・・・」この読書離れの時代、しかも外国文学、さらにラテンアメリカ文学、なぜか、相模原図書館では人気集中である。ウニやんの、この夢の消化不良と言うか、、、「寝起き」みたいに、日常生活にスイッチがカッチリ切り替わらない日々は、次に予約した人が借りて返すまで続くのか・・・。いや、ノジヲも読みたいと言っていたので、ウニやんは、本屋に行って、買ってくると言っている。なんだか、今日の日記は、これじゃ『百年の孤独』がどんなんだか、ちっとも判んない内容になってしまったねぇ。なので、読了した暁には、また感想をお知らせするよ・・・