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初めは、空耳かと思った。
コンコン、コンコン。 頼りなく、力ないが、紛れもないノックの音だ。 こんなドアの叩き方をする知り合いはいない。一体誰だ? 俺は一応返事をしてからドアを開け、そこに立っていた意外な人物に驚いた。 「な、夏樹くん?」 俺はドアを大きく広げ、外を見回した。夏樹の父親か叔父が一緒にいると思ったのだ。が、誰もいない。小さな子供が一人、傷ついた小鳥のように心細げに佇んでいるだけだ。 「どうしたの? まさか、一人で来たの?」 この子とこの子の父親たちとは、去年の夏に知り合って以来、数度会っただけだ。一度はここにも来たことはあるが、もちろん一人ではない。不審に思って訊ねると、ビスクドールのようになめらかな頬に涙がぽろぽろっとこぼれ落ちる。俺は焦った。 「夏樹くん? 泣いてちゃ分からないよ。とにかく、中に入りなさい」 俺は小さな身体を抱き上げて、事務所の中に招き入れた。これがその辺の道端とか公園だったら、ペドフィリアの変態男だと思われるところだ。世の中にはそういうおかしな奴がいっぱいいるのに、この子の父親たちは何をしてるんだ。同じ年齢の娘を持つ親として、俺は彼らに腹を立てていた。 腕の中の子供は、すっかり冷え切っている。俺は慌ててエアコンのスイッチを入れた。 「外は寒かっただろ、夏樹くん。ちょっと待っててね、すぐ暖かくなるから。それまで、ほら。これをだっこしててごらん?」 椅子に座らせた夏樹に湯たんぽを持たせ、着ていたダウンジャケットを脱いですっぽりと被せる。それから、何か温かい飲み物・・・そうだ、ののか用に買ったココアがあったはず。 ちょうど沸騰していた湯を、ココアを入れたマグカップに注いだ。本当はホットミルクでといた方がいいんだが、牛乳を切らしているからしょうがない。代わりにクリープを混ぜる。俺も寝起きで体温が下がっていることだし、一緒に甘いココアを飲むことにした。 「ほら、これを飲んで。ああ、こすっちゃダメだよ」 俺はカップをテーブルに置き、涙に濡れた夏樹のほっぺたを寝巻き代わりに着ていた裏起毛トレーナーの袖口で拭いてやった。あーあ、頬がすっかり赤くなっている。だけどこのふわふわ感。キューピーみたいだ。 こういう時、闇雲に問いたてても答えられないものだ。ひっくひっくとしゃくりあげる子供を、俺はしばらく見守っていた。 「はんぺん・・・」 「え?」 俺は思わずずっこけそうになった。ひとしきり泣いて、第一声が「はんぺん」。・・・シュールだ。どうしたんだ、夏樹。おでんが食べたいのか? まさか、おでんを食べさせてもらえなくて泣いてるのか? そんなバカな。 「はんぺんが、どっか行っちゃったの。おじちゃん、さがして。ぼくのはんぺん」 涙でうるうるの目で見つめられ、俺は思い出した。あの夏の日、この子のために用意されていた大きな白い犬のぬいぐるみ。 夏樹はそれに<はんぺん>と名づけていた。白いし、はんぺんが好きだからと。 この子のネーミングセンスはともかく、良かった、シュールな訪問動機でなくて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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