|
カテゴリ:カテゴリ未分類
試験は何歳になっても、できれば避けたいと思うようです。神学生たちも試験に合格しないと、進級も卒業もできないので、試験時にはやはり真険に取り組みます。今週は今朝から試験スタートです。
二学終了と同時に、校舎&チャペルの改装工事に入るので、来年3月の卒業式には、新しくなったチャペルで式を行えます。 エレベーターも設置し、床を全部フローリングにして、靴のままで出這入りできるようにします。 工務店の方も大張りきりでリフォーム工事を引き受けてくださり、思ったより素晴らしく仕上がりそうで、楽しみに工事に取り組んでくれそうです。 今日もまた天国の一日です!お祈りありがとうございます。感謝します。 コリント人への第一の手紙 13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。 13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。 13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/11/27 08:00:32 AM
コメント(0) | コメントを書く |