ご無沙汰をしております
春の訪れを
聞き慣れない小鳥の声、緑の風に感じる今日この頃です
少しだけ、冷たい風に
気をひきしめなおしています

ほんとうの自分を探し、それが内側にあることに
気づき、今それを表現していくこうとしています
好きなこと、喜べることを見つけることができました
「こんな生きかたも有り」なんだと思います
そう信じられずにはいられないことが
この日の前夜におきました
そうなることに薄々気づいていたのだけれど
それでも不思議です
「意思」の意味とチカラを身をもって知りました
「自分が・・・」の「が」は必要ありません
ある時は、ノイズにまたあるときは壁になり
影のようについて回ります
フタをせず、逃げず
受け入れて、いっしょにいれば良いのです
喜びは、与えたり、与えるモノではありません
自分が悦びを選ぶのです
目の前のモノゴトを喜びに変えてはいかがでしょうか?

さくらわらびもち
知り合いのお話です
あることで
親友同士の間で、亀裂が生じて
「あなたとは、一生の友達だと思っていたのに・・・」
と云われたそうです
一度は、会って
お話しをしてわだかまりを解いた・・・はずでした
でも、
やはり「裏切られた感じ」から抜け出せなくて
元の友達には戻れない・・・
と、
「裏切った」とされる
もう一方の親友からお話しを聴かされたのでした
私も間接的に関与していたことから
簡単に常々思っている私の思い方をお知らせしました
言葉は、
本来自分の意思を
誰かに伝えることの手段のひとつに過ぎません
だけど、それぞれの育った環境や背景で
その人となりの観念(考えや自身のもつ信念等)を持っています
「あお」と云ったときに「青」、「緑」というように
色としては、種類の違う固有の存在ですが、同じ「あお」ですね
その人生の背景でものごとのとらえ方は千差万別です
同じ言葉でも正反対の捉えられ方をされても仕方ないことです
「同じとり方をせよ」と言う方が難しい
だから、相談を受けた方に
「あなたは、親友だと・・・今でも、思っていますか?」
「あなたは、私の親友です」と宣言されなければ
「親友になれないのですか?」
と尋ねました
すると
「私は、今も親友だと思っています」と答えられました
「親友同士」ってどういうことなんでしょうか?
信頼をもって、
同じ悦びや哀しみを共に過ごしていけて
本音のつきあい方ができれば・・・親しい友と呼んでも良いのじゃないのでしょうか?
親友に何をあなたは望むのですか?
見返りを求めない本来の「愛」による人間関係があれば
独りよがりな同意は求めないのかも知れませんね?
あなたが、今でも変わらずにその「愛」をもって
その方に贈り続けることができているのだあれば、
あなたはその方を「親友」と呼んでも良いのではないでしょうか?
相手の心が解れるまででも
「恩人」と呼ばれる方は、自分がそう呼ばれる人に対して
私は、あなたの「恩人」ですとは
決して言いませんし、意識すらしないと思います
少なくともあなたのそういう「愛」の波動は
相手に届いているはずですが・・・
相手が、チューニングを「愛」に合わせていなければ受信できません
でも、あなたがその「愛」を発信していなければ
決して、届くこともないでしょうね?
心当たりのある方は
参考にしてみて下さい