カエルの楽園
図書館で借りました。予約待ち120件でした。永遠のゼロで、人気を博した百田氏の作。いろいろ賛否両論ありますが、面白く読めました。やさしい文体のやさしい寓話です。そして、凄絶な結末。最後の挿画が効いてます。挿画も百田さんです。コミカルなカエルさんたちがでてきます。自分が自分たるには、自助努力が必要です。その延長で、自分が国に所属し、その国が国たるには、自衛力・防衛力が必要です。もし、その自衛力・防衛力が不足しているのであれば、その時は他者と提携し相互努力して、平和を維持しなければなりません。平和とは、のほほんとしていることではなく、たゆまぬ努力の上に成立します。そういうことでしょう。自国内のルールとして「戦争を放棄する」のは大変結構、素晴らしい。性善説に基づく美徳だと思います。しかし、相手国にその理屈は通じません。なんといっても、侵略・攻略しにかかっているのですから。相手国のルールなんて、他国は知ったことか!!というものですよ。「自分は武器を持っていない、だから、仲よくしよう」と呼びかけはできる。でも敵意や悪意がある相手にその理論は通じるか、と。「あら、そう、じゃあ、楽勝ね」と暴力を振るわれるのがオチですね。あと、外交外交いってますが。外交という交渉のテーブルに、相手をつかせるには、まずその基盤となる力が必要です。やったらやりかえすぞ、という気合というか、心意気というかそういう力が明確に見えないと、相手は話を聞きません。たぶん。悲しいかな、その1つが、武力であるのでしょう。経済力、金の力というのも1つですが、現在は、札束と銃器、どちらが勝るのでしょうか。札束・貨幣の力を裏付けているのはどういう力なんでしょうか。現在の日本は、札束の力は落ちつつあります。人口減、少子高齢社会、ますます国力は減退するでしょう。そして、そんな日本を狙う国が海の向こうに控えていると、考えるべきでしょう。(具体例を挙げるなら、沖縄の海に出没する他国の船や、東京の離島で貴重な赤珊瑚を密漁する国です)この不穏な世界情勢において、安全とはなにか、平和とはどういう方法で紡ぎだすのか考える一助となるのではないかと思いました。現在、育児中の世代の皆さんに読んでほしいと思いました。「子孫を戦争に加担させるな」という。では、どうすればいいのでしょう。「戦争放棄戦争放棄」それだけをお題目に百万遍唱えていれば、平和は維持されるのでしょうか。一部政党のいう「戦争法案」とは何ですか?実はそんな法案ありません。現代日本人の戦争アレルギーに反応するような耳障りの悪い言葉です。(例を挙げるなら、黒板を爪でひっかく音みたいな、耳目集める言葉です)正しくは、「安全保障法制」です。漢字をみてください。「安全保障法制」と「戦争法案」「安全保障」「戦争」相対する字を用い、錯覚させているようにすら感じます。再度、私は、この安保法制をじっくり眺める必要があるのかと思いました。