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カテゴリ:食べものネタ
言葉というものは不思議なものである。同じ単語で構成されていても、言葉の順番次第で、意味合いや、印象が変わってくる。
たとえば「ひょうたん」と「島」という言葉を組み合わせたとして、「ひょうたん島」は、島であったり、その島の地名を指し、「島ひょうたん」は、島で採れたひょうたんや、島の形をしたひょうたんという、ひょうたんを表す。つまり、後に来た単語の事を指す。 ところが、二つの単語の間に「と」「・」「、」を入れて書くと、後の方の言葉の意味にならず、並列した表現となる。しかし、言葉の順番で、並列の中でも重要度が違って感じる。 「赤と黒」と書いた場合は、赤がメイン。「黒、赤」と書いた場合は、黒基調というように、最初に表示された言葉の方が重要度が高く感じる。これは、必ずしも、物理的な大きさとは関係がないというのが、また面白い。 たとえば、日本の国旗である「日の丸」だが、多くの人は「赤と白」と答えると思う。しかし、面積的には、白の方が大きい。これは、物理的な大きさではなく、目立つとか、日の丸の赤い丸が太陽を表しているなどという意味を重要視して、「赤」注視して表現するために「赤と白」と言う。 同じ「赤と白」の国旗は、インドネシアやモナコがあるが、こちらは、塗り分けられた面積が同じだが、赤が上なので「赤と白」という順番に言う。 しかし、同じ「赤と白」でも、白が上のポーランドの国旗も、多くの人は「赤と白」というので、やはり、物理的な面積や配置ではなく、色の目立ち方で、並べる順番が変わるのだ。 さて、このテーマの 『うどん・そばを楽しく食べる』であるが、私が関西人であるという事もあるし、うどんについて書きたい事が多かった事もあり、「うどん」を先に表示している。 ふつうは、「そば・うどん」の順番で言うケースが多いと思う。実際、本を検索してみると、何十冊の本のタイトルは「そば・うどん」という順番に表記されている。「うどん・そば」の順番で表記された本は、実に少数派で2冊見つけた。「京のめん処―馴染みのうどん・そば屋さん」京都新聞社 (編集), 京都新聞= (編集)ISBN: 4763804138 ; (1997/06)、「めんクッキング―スパゲティ・うどん・そば・ラーメン BEST COOKING」主婦と生活社 ; ISBN: 4391115662 ; (1993/06)である。一冊目は、京都ということで、うどんがメインになったと考える事ができるが、二冊目の方は、家庭料理としての手軽なものから順番に並べたものだと考える事ができる。 「そば・うどん」という、柴田書店のムックのシリーズがあるせいというのと、出版物の95%が東京で作られるという現状から、東京的な価値観として、そばの方が付加価値や、一般性があるという判断で「そば・うどん」の順番になっていると思われる。 ところが、そば屋では、必ずしも「そば・うどん」という順番で表記されていないのだ。 たとえば、店の看板や、のぼりである。正確な統計をとってはとないが、「うどん・そば」という順番で表記されている事が、実に多いのである。下手すると、7割は、この順番で表記されている。国道沿いの蕎麦屋ののぼりも、かなりの割合で「うどん・そば」の順番で書かれている。また、メニューも、うどんが先に書かれている店が意外に多い。 私は、関西人なので、これは関西だけかと思っていたが、東京都内、信州、北関東などでも、この傾向がある。私は、ちょっとした、カルチャーショックを受けた。 みなさんも、この文章を読んだ後に、意識して、確認して見てほしい。思ったより、店先では「うどん・そば」の順番で表示されている事が多いことに気づくだろう。 さて、なぜ、「うどん・そば」の順番なのかである。 これは、やはり、そばの歴史から考えてみる必要がある。前回「混沌とした、うどんの歴史と「耳うどん」11月20日(木) 」で、うどんの歴史について、書いたが、こんどは、そばの歴史について調べてみる必要がある。 奈良時代にうどんの原型があったと書いたが、そばは、今のそばの形になったのが、江戸時代だと言われる。そば切り自体は、室町時代にも食されたようだが、麺の形にする事が困難で、今のかけそばのような食べ方をすると形が崩れてしまう。これは、蕎麦掻を連想してもらえばいいと思うが、蕎麦掻を細く切って麺にするのは困難なことは、容易に予想がつく。また、そばは、蒸篭(せいろ)で食べる事が多いが、これも、麺状のそば切りを、うどんのように茹でると、形が崩れてしまうために、せいろで蒸して食べたことの名残なのである。 そして、いまの蕎麦のスタイルを作ったのが、江戸自体の初期に、朝鮮から帰化し、奈良の東大寺にいた元珍という僧侶だ。小麦粉をつなぎにして、切れにくい蕎麦は、このときに出来上がった。 つまり、うどんの方が古いから、うどんの方が先に表示されたのである。江戸時代の初期から元禄時代の江戸は、うどんの天下だったそうだ。また、そば切りは、せいろで蒸していた都合で、お菓子屋さんが扱っていたそうである。 それが、そばの技術革新と共に、茹でて食べられることから、そばきりが、うどん屋で取り扱うようになった。蕎麦が、後から追加されたから、そばが後なのだ。 「守貞満稿」に記されている、江戸時代の麺類処の堤燈には「うどん・蕎麦切り」の順番に書かれている。 もしかすると、現代の蕎麦屋の看板やのぼりも、当時の風習が、そのまま残り「うどん・そば」という表記の順番になっていると思われる。 しかし、出版物に関しては、そのような歴史的背景がなく。しかも、うどんの製造技術が決して低いとは言わないが、うどんに対し、蕎麦の製造に新しい高度な技術が必要なために、付加価値があるイメージが形成された事も含め。今の嗜好にあわせ、表示の順番を決めたために「そば・うどん」の順番で表記していると考えられる。 「うどん・そば」「そば・うどん」。 「もんじゃ焼き・お好み焼き」「お好み焼き・もんじゃ焼き」 「ギョーザ・ラーメン」「ラーメン・ギョーザ」・・・・・・ どのような順番で表示をされているのか、あらためて周りを見渡してみよう。 そこには、いろんな人々の営みや歴史を見つける事ができるかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.08.12 11:26:06
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