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テーマ:孤独(19)
カテゴリ:「個」「孤独」「群」「共同体」
日本昔話では、老夫婦が素晴らしい人材を作る有名な話が多い。昔話の定番の始まり方は「むかし、むかし、あるところに、おじいさんと、おばあさんが、おったとさ」である。そのような話は、桃太郎、一寸法師、竹取物語など、数限りない。
ところで、なぜ、老夫婦なのだろうか、考えてみたことがあるだろうか。いままで、あまり意識して読んでいなかったが、今回は、その謎について考えてみた。 まず、老夫婦の存在についてを考えてみたい。 今の日本は、世界有数の長寿国である。しかし、昔話であるから、当時は、寿命が短かった事を考えると、老夫婦という事は、生きるための能力に長けていた人々と考えられる。 多くの話は、子供のいない老夫婦が、いきなり、子供を授かってしまう話しである。つまり、生きるための能力といいつつも、生殖能力は高くないといえる。 当時の結婚は、今の恋人という、婚前交渉が一般的ではなく、現代のアメリカのように、週に2回セックスをしないと、離婚の原因となるとは言わないが、結婚=セックスパートナーとする関係でもある。しかも、多くの昔話に出てくる老夫婦は、仲むつまじい姿が描写されているので、おそらく、セックスはしていたけど、子供に恵まれなかった。要は、生物的に、生殖能力があまり高くなかったと言える。 また、老夫婦は、すでに、閉経している事が考えられる。 生物は、命を繋ぐために生きているという面が多い。多くの動物は、生殖能力を失ったら、すぐ死を迎えるものが多い。 鮭が、産卵後に死んでしまったりするのも。蜻蛉も、タマゴを生める貴重な時期は一瞬で、すぐに死んでしまう。 人間に近い、サルの仲間でさえ、生殖能力を失うと、死期は近づく。 しかし、人間は、閉経後も、何十年生きる。下手すると、人生の後半は、生殖能力を持たずに生きる。これは、人間の象徴とも言えるのではないだろうか。 つまり、昔話に出てくる、老夫婦は、人間の象徴なのである。 つぎに、主人公なり主人公を育てる老夫婦は、「知恵者」である。 「知恵者」とは、知識を持っている人ではなく、考える事のできる人である。「知恵を持っている」=「知識をもっている」というイメージがあるが、「知恵」とは、情報を持っているという事ではなく、自分で考える事ができるという意味である。「知恵を絞る」という言葉があるが、これは、考えるという意味だし。「知恵を集める」というのは、情報ではなく、いろんな人の考えを集めるという意味である。 よく、昔話しに出てくるキャラクターとして、良い老夫婦に対して、すぐ真似をする欲張り老夫婦が出てくる。 この欲張り夫婦は、最後は失敗します。その失敗する理由は、情報を過信し、物事の本質を理解せぬまま、しかも、自分で何も考えないで、安易に真似をする事で、失敗をしてしまう。 さらに、真似をする老夫婦価値基準は、本人の価値基準ではなく、他人から見て、どう見えるかに置かれている。よい老夫婦の成功を見て、それと同じように、いや、それ以上に"見られたい"がために、対抗し真似を始める。つまり、自分で考えて物事を始めたのではなくて、他人にどう見られたいかという事が、行動の原点となっている。 一方、いい老夫婦は、自分で考える能力を持っている。しかも、他人に、どう見られているかもあまり考えていない。 たとえば、桃太郎では、大きな桃が、上流から流れてくるわけだが、普通、そういう怪しいものが流れてくると、怪しくて手を出さない。それを、安全に、家に持ち帰り。調査をする。そうすると、中から、桃太郎が出てくるわけだ。 桃から生まれた子供にしろ、光った竹から出てきた子供なんかは、不気味な存在でしかない。しかし、自分の価値観で、判断し、育て始めるのである。 さて、桃太郎にしろ、一寸法師にしろ、素晴らしい人材が育つわけだが、それは、出生の秘密が特異だったから、それだけで、そういう人材になったとは思えない。 それは、自分で考え、自分で判断をする人物に育てられたからこそ、素晴らしい人材に育ったのではないかと思う。 しかし、昔話の多くは、老夫婦が、どのように育てたかについて、多くは語ってはいない。それは、自分で考えろという事なのであろう。 もし、ここで、いい老夫婦が、育てたケーススタディを、物語として伝承してしまうと、マニュアル化してしまうのである。それは、情報を鵜呑みにする物真似をする老夫婦を増やすことになるからではないのだろうか。 さらに、いい老夫婦は、考える力つまり「知恵」を持っているだけでなく「孤独力」を持っているとも言える。 物真似の老夫婦のように超コミュニケーションに動じてしまうことはなく、いい老夫婦は、他人の評判に動じない「孤独力」を持っている。子供がいない夫婦は、村人など、まわりの人には、生物的には、劣っていると思われる。それにも、動じない、独自の生き方を持っているのだ。 そして、独自の生きたかを持っているからこそ、不思議な出生の秘密を持っている人物が、屈折をせず育つ。それが、素晴らしい人材となるのである。 昨今は、お受験などが流行っている。社会システムの問題もあるが、他人の評判を意識して、お受験をしている人もいるのではないだろうか。 また、子供のファッションも、私の子供の頃に比べ、格段にファッショナブルだ。しかし、それは、他人に、いい家族に思われるために、着せているという事はないだろうか。 これらの現代のいわゆる、豊かな生活をしている「いい夫婦」は、一見、昔話の、真似をする悪い夫婦のようには見えないが、本質的に、他人からどう見えるかを中心に行動しているわけで、昔話の真似をする夫婦と変わらない。 情報化が進み、超コミュニケーション社会の中で、いまこそ、周りの評判に動じない「孤独力」を持ち、じっくりと、育てたいものだ。 最近は、様々な絵本が発売され、テレビやビデオも発達し、子供に日本の昔話しを読み聞かせる事が減ってきているように思う。だが、日本の昔話の中に、狭い国土の中で生きていく秘訣が隠されている。 それは、「人間の知恵」の大切さや、老夫婦の他人に動じない「孤独力」を持った生き方なのである。 いまいちど、違った視点を持って、昔話を読み直してみてはいかがでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.08.12 11:40:36
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