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2006.03.31
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SSF笹川スポーツ財団が発行する「青少年のスポーツライフデータ2006」という10代のスポーツライフに関する調査報告書を読んでいて気になったことがある。それは、スポーツをする場所として「路上」が、2001年の前回の4位(22.0%)から、10位(4.9%)と大幅にランクを落とすと共に、17.1ポイントも下がったのだ。
報告書では「"路上"の激減は、学校内の施設利用が進む一方で、運動やスポーツの場として日常生活空間の利用が減少していることを示している」と書かれている。
四谷四丁目のあたりは、裏道にはいると、行き止まりの道路があるため、車の往来が少なく、子どもが、バレーボールや縄跳びをし、若者もサッカーをやっている姿を見るのだが。このような、どこにでもあった街の姿が、いつの間にか少数派になってしまったというのが、数字に表れた。
様々な国の映像を見ていると、子どもが道路で遊んでいるという風景をよく見る。それに比べれば、道路で子どもが遊んでいない日本はなんとなく活気がないように感じる。
道路を往来の場所として捉えている、警察なんかとしては、目的外である、路上で運動やスポーツが減るということは、交通安全面では、いい傾向とも言えるが。都市の機能として、人と人とが出会い交流する場としての道路という事を考えれば、どこか淋しいものを感じる。
道路は人と人との出会いの場であり、そこで行われるコミュニケーションが人の成長を促す面も大きいはずだ。
ブラジルなど南米のサッカー選手が強くて創造的なプレーをするのは、荒れた道路上で日が暮れるまでサッカーをしていたから、整備された芝生のピッチでは起きない、ボールの動きに対応する事で得た、環境適応力の影響だというがあり。その事を強く語る有名サッカー選手もいる。
路上での運動で、整備されていないのは、スポーツルールもしかりだ。学校で指導者がつく場合は、決められたルールでスポーツが実施されるが。路上では、自分たちでルールを定め、自分たちで守り、様々な出来事に対し、自分たちで、考え判定を下すことになる。これは、社会生活において、必要なスキルである。そして、それは、様々な自主的活動をする上でのスキルであり、世の中がうまく運営出来るようにするスキルでもある。
しかし、残念ながら、基本的に「言うことを聞く」という事を推奨されがちな学校では体験出来ないわけで。路上での運動やスポーツが減った事は、創造的な人材が育つ可能性を減らす結果となるだろう。
さて、なぜ、路上での運動やスポーツが減ったのかという理由については、この調査報告には書かれていない。
そこで、なぜ、路上での運動やスポーツが減ってしまったのかの要因を予想してみよう。
まず「交通量の増加」を疑ってみた。
交通量の増加が安全に子どもが遊べる場を減らしたのではということは、真っ先に浮かぶことなのだが。この5年間で、交通量が増加したとは思えない。交通事故の件数は増えてはいるが、ここ数年、交通事故死が減っている。交通事故死の数は、景気と連動しているという説もあって。景気が良く、人や荷物を運ぶ量が増えると、交通事故死が増えるという理屈なのだ。
とはいえ、17.1ポイントも下げるほどに、交通量が増えたとは思えない。
また、まちづくりの観点から、生活道路に、車が入りにくいような工夫をするところも増えていて、路上で遊ぶ場となる生活道路の交通量が減っているはずだ。
次ぎに「子どもへの安全強化」だ。ここ数年、子どもの安全について、神経質になっている傾向がある。学校には警備員。登下校は、集団になり、親がついていく。また車でお出迎え。場所によっては、子ども一人一人にICタグをつけるところまで出てきている。
これは、ここ数年、立て続けに大きく報じられている、児童に対しての凶悪事件の影響が大きいだろう。
このことにより、子どもは、学校と家と習い事の場所を移動し、常に大人の監視下に置かれ、子どもだけで過ごす時間が少なくなっているように思われる。おそらく、これが路上で子どもが遊ばなくなった最大の原因なのだろう。
子どもが、路上で得る社会性のことを考えると、子どもへの安全強化の方法として、子どもを管理したり手の届くところに置いておくのではなく、子どもを奔放に遊ばせておいても大丈夫な環境を作る方向に持っていくことが必要であろう。
そうしないと、いくら、国際化への対応といって、小さな頃から英語を習わせたとしても、根本的な社会性を持たない限り、コミュニケーションがうまくいかなかったり。将来、創造性が足りないことで、問題の解決の出来ない大人が増えてしまう可能性があるのだ。





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最終更新日  2006.03.31 14:17:50
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