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テーマ:地震情報(629)
カテゴリ:生きること、自然、そして、環境
今回のタイトルは有名なシリーズ本の名前をもじってみました。
報道などを通してみなさまご存じの通り阪神大震災から12年経ちました。 毎年この季節になると様々な地震対策の話題が出てきます。しかし、その多くは、おそらく役に立たないとか、過剰反応だとか、いまだに興味本位な内容だとか、必要以上に不安を煽って商売にしているという、現場を知らないからこその話題が多いことにうんざりしてしまう事が多い。 まあ、メディアを通しての事なら、メディアは事実を誰かのフィルターを通して捉えたものだから、まあそんなものかと思えるのですが。実際に目の当たりにしてしまうと、少し頭がくらくらとしてしまう。 新宿の駅前の銀行から徒歩で自宅に帰っていたら、新宿御苑のちかくで、ノボリをあげた集団が前から歩いてきた。新宿御苑の観光客も、個人旅行が増えて団体客は少ないし、桜も菊も紅葉もない時期に団体客というのは珍しい。 ふと、そのノボリを見てみると、どうも大規模災害が起きたとき、帰宅困難になるサラリーマンなどが多いから、そういう帰宅困難者のための演習というような事が書かれている。 あのさー。会社勤めしているひとって、社宅や寮に住んでいる人以外は、勤務先もバラバラだけど、自宅もバラバラなんだけど。なんで、団体旅行のように、旗やノボリを揚げて、誰かの誘導の元に、家に帰る訓練をしなければならないのだろうか。 指導者のための訓練なら無理をしてどうにか納得いくが、集団で歩いて帰宅する人たちが一般の人というのなら、殆どの人に役に立たない訓練としか思えない。 もし、自宅に帰りたいのなら、地名と道路がどのように繋がっているかを覚える必要があるが、これは、集団で誰かに連れて行ってもらってという状況では、依存してしまってあまり覚えようとしないと思われるからだ。 災害という、待ったなしの状況で大切なのは、自分で判断して行動するということだ。誰かに依存し判断をしないで行動をするということは、時間も必要だし、自分が今置かれている状況に基づいた判断が難しくなる。 いくら防災マニュアルがあったとしても、どのマニュアルに基づくのかという判断をしない限り、防災マニュアルは機能しない。言い換えると、マニュアルに基づいて行動するかの判断をする能力を、個人・個人で持つ必要がある。 しかし、防災対策のいくつかは、誰かに依存するように仕向けているものがある。これは、おそらく、そのサービス提供者の社会的意義というか権威付けをする事が目的だと思われる。サービス料金にしろ、税金にしろ、お金を払っているわけですから、お金を受け取った者は払っただけのことがあるという事を、お金を払った人に示す必要がある。しかし、こういう災害などは滅多に起きないから、払った分だけの価値があるということを示しにくい。 だからこそ、依存しないといけないような構造にし、サービスを受けなければならない状況を作ることで、囲い込みをしたり。毎年カレンダーを送ってくる保険会社のようにサービスを受けている感じを演出したり。時々恐怖をあおって必要性を説いたりする。 このあたりのことが、地震対策など災害関係のサービスや公共事業に時々感じる違和感の原因の一つだろう。 話はとぶけど、サッカー日本代表監督のオシム氏が「考えて走れ」とか言ってるけど、本当はこれが防災の基本だと思うんですよね。 そういう能力を高めないと、システムが崩れたら、右往左往したり、ただ縮こまってしまい何も行動出来ない人がたくさん出るだけだ。そして、そういう依存しなければならない人が増えると、判断をして行動をする人に大きな負担が来る。結果として、これが、災害救助をした人が過労死をしたりという二次災害に繋がる。 災害はイレギュラーでシステムが崩れやすい。だからこそ、自分で考えて行動をする能力を身に着ける必要がある。 しかし、災害対策の中には自分で考える力を削ぐものが目立つ。このあたりが、私にとって違和感に感じるのだろう。 この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。 また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.21 02:58:58
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