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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

マーライオン


「シンガポールへ」

シンガポールは、本島と60以上の小さな島々がある。
本島の総面積は、625平方キロで、
淡路島と同じくらいである。

その狭い国土の中で、シンガポールの経済は、
著しい成長を遂げ、150年間で東南アジア地域で、
商工業の中心として栄えるようになった。

シンガポールは、海運の方でも忙しい。
巨大タンカーやコンテナ船また、客船など、
550以上の航路がひしめき合い、地元の漁船や、
木製の小舟も同じ海を往来し、
世界で最も過密な港でもある。


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世界の中でもある意味、主要な給油拠点の、
ひとつであるシンガポールは、電子部品の供給でも、
造船や船の修復でも世界の中でもトップに入る。

またシンガポールは、アジアにおける最も重要な、
金融拠点でもあり、120以上もの銀行が存在する。

商取引は、衛星や24時間体制の電信・電話システムを、
介して、世界中の国々を結ぶ、シンガポールの、
ネットワークによって円滑に進められている。


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シンガポールの歴史と言えば、1819年にイギリスの、
東インド会社のスタンフォードがこの地に上陸し、
その後、シンガポール共和国として栄えてきた。

しかし、第二次世界大戦中、日本軍に占領され、
1942年に一時「昭南市」と名を変えた。
1945年の終戦後は、再びイギリス直轄植民地となった。

1948年から独立への動きが活発になり、
1963年にマレーシアを結成し、イギリスより完全独立した。

さらに1965年にマレーシアから分離し、
大統領を元首とする共和国となり今日に至っている。


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シンガポールは、19世紀後半にはヨーロッパと、
アジアを結ぶ中継貿易と通信の拠点に発展した。
このことは現在も変わっていない。

そしてシンガポール人の言葉をじっくり聴いていると、
私が居た広東の方の言葉に似ている。
良く聞くとシンガポールに住む華僑の人が、
シンガポール人と語っていたが実際は分からない。

タイでもシンガポールでもマレーシアでも、
広東語が通じるようで、念のために簡単な広東語を、
話すと分かってくれたが、シンガポールの国語は、
英語と中国普通語であるので、私の中国語で十分だった。


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シンガポール空港にて


シンガポール空港へ着いたのが11時過ぎであった。
日本からタイへ向かう時、このシンガポール空港で、
乗り換えの為、3時間待った。

その待っている時に「さなちゃん」のブログへ、
書き込みをした。書き込みと言っても、
日本語ではなかったし、英語でもなかった。

中国語のピンインローマ字表記で送った。
しかし、これは少々難しい。
中国人でも、多くの人がこのピンインを打つ事が、
出来ない人は多くいる。

シンガポール空港の無料ネットコーナーでは、
いろんな国の人達が待っていた。
大体、5分間でネットは自動的に切れた。

まず私のブログのアドレスを「google」で探した。
日本語版は出たが、パソコンは日本語が打てれない。
英語のみ打つことが出来た為、ピンインのみのカキコだった。

しかし、私が打ち間違えてしまった為に、ひと騒動・・・。
そのブログのページを探したが、見つからなかった。

そして、メールで送って下さったが、やはり1月27日の、
シンガポール飛行場内から打ったピンインで書いた
カキコは、見つからないようである。

ピンインだけで文章を書くと言う事は非常に難しいし、
そのピンインを元に、中国語に直す事も大変難しい。


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例えば、送って下さった中から例を挙げると、
ruguo jintian gongchan meiren shangban de hua
wo zhuzai waimian binguan.zhen mafang!

ここでピンインの違っている部分が沢山あり、正確な漢字に、
変換できないし、意味もつかめないままになってしまう。

gongchan⇒gongchang(工場)zhen mafang⇒zhen mafan(真麻煩)
ピンインの後ろ側に、「g」が有るのと無いのでは、発音も、
違い、意味も全く変わってしまう。
gongchan(共産)zhen mafang(真馬方)zhen mafan(真麻煩)

私が見つけたかったページは、シンガポールで乗り換えて、
タイへ向かうと言う中国文をピンインで書き込みした。
しかし、「乗り換え」というピンインを「zhuangji」と、
打って、送ってしまった。

本当は「zhuanji」である。「zhuangji」の意味は「衝突する」
そして「zhuanji」の意味は「乗り換え」であり、
飛行機乗換えと、飛行機衝突では意味が全く違ってしまった。
ゆえに、相当慌ててしまった事になった。

5分の間に自分のブログを探し、友人(さなちゃん)のブログを、
探し出し、中に入り込み、ピンインを打つ作業で、
一々、辞書を確認できなかった失敗例である。

やはり、一発勝負で書き込まずに、40-loveさんの言われた、
送る前にもう一度確認してからと言うのがやはり理想だろう。


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「将来の夢の話」


小学校の卒業作文集の「将来の夢」の中で、
私は将来洋裁の仕事がしたいと明確に書いてあった。
「夢」というテーマも手伝ってか書きたいように書いてあった。

定かではないが、私が30才の頃に小学校の同窓会の、
連絡が来た。私の消息は、常に知らせてあったが、中には、
消息不明で家でも分からないような人もあったようだった。

先生が風呂敷包みを解いて見せてくれたのは、
完全に忘れてしまっていた皆で書いた卒業作文集だった。

どんな内容で書いたのか忘れてしまっていた。
ある程度、酒も入ったことも手伝い、自分のは読まず、
他の人の作文を読み合おうと言う事に決まった。

(マーライオン公園の川を隔てた公園の入口の獅子)


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30歳ともなれば子供を連れて同窓会に参加している女性も、
多く見られたが、小学校時代の面影などなくなり、
立派な女に変身している姿に驚いていた。

そして、一人が私の名前を呼んだ。
その人は、小学校時代目立たない女の子だったが、
卒業アルバムの写真と見比べても、綺麗に変身していた。

その女性が、この作文読んでみてよ!と手を挙げた。
本当に夢のような事が、書いてあるわよ!と言いながら、
こんな事を、小学校の頃から考えてたんだ~と口を押さえた。

(アーチの幅が長過ぎ半分しか撮影できなかった)


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その作文は400字と規定があったのか、どれも400字詰の、
原稿用紙に、ある人は半分ほど、ある人は400字びっしりと、
書かれていた。私のをその後読むと、400字では足らず、
最後の方は字が小さくなり、更にはみ出していた。

そこに書かれていた内容を読み、顔が赤くなった。

--- 一部分 ----
親の言うとおりに勉強して大学へ行く。次に会社に就職せず、
洋裁の道に進んで、自分で大きな店を持つ。20年くらい、
一生懸命頑張り、シンガポールに洋裁店を出したい。
--------

この時になぜシンガポールなのかは、深い意味はなかった。
「ハリマオ」と言うテレビ番組をやっていて、その背景の、
マレーシアやシンガポールに憧れていたのだろう。

その時は、皆から相当笑われてしまった。
そして今何やってるんだ!の声に黙っていると、
いつも年賀状のやり取りをしている女性が、この人今社長よと、
それも、1年ほど前工場へ行ったけど、従業員80名もいたよと・・。

(招財進宝zhao3cai2jin4bao3で、富をもたらすの意)


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その小学校卒業作文集の「将来の夢」の通りシンガポールへ来た。
この部分を訂正致します。「将来の夢」の通りシンガポールへ、
ブティックは出せなかったが、文集に書いたシンガポールへは、
何とか来れた。私の小学校6年生の夢は10%叶えられた。

アメリカ・ヨーロッパは行っていたが、東南アジアは後回しに、
何となく東南アジアのイメージが心に響かなかった。

しかし、中国へ来てからその考え方も変わってしまった。
中国語を覚えるにしたがって、更に、覚えようとする意欲が湧いた。

そして、ひょんな事から4年前東京で知り合ったシンガポール人と、
その後も連絡しあった。その中に、シンガポールは中国語が、
国語としてみんな覚えているとの話しから急速に、
シンガポールへ行ける事になったらと思っていた。
しかし、以前大きくした工場は時代の波に飲まれ閉鎖した。

(子zi3 十二支の第一位 子ね)


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そして今の将来の夢は、いつの日か定年退職した暁には、
独学した中国語を生かし、中国語の教師をするのが夢。

実現するかどうかと言うよりも、その夢に向かって頑張る。
それが、この中国で暮らしていく唯一の支えになっている。
人生は辛き修行かも知れない。この身が滅びるまで勉強と、
夢はあくまで夢でしかないかも知れないが、頑張って行きたい。

(亥hai4 十二支の第十二位 亥い)
(猪八戒zhu1ba1jie4 三蔵法師の供をする弟子の一人)


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「エスプラネード劇場」


シンガポールの公園入口を入り、画像に収めていた。
ちょっと目を放した隙に、みんなの姿が見えなくなった。
観光目的は、どうやらこの公園ではなさそうだった。

しかし、何とか十二支の飾り物だけは画像に収めようと、
急ぎ、撮影していたが、後から私を呼ぶ声にも、
気付かずに撮影していると、公園に居た観光客が、
「あなたを呼んでいるようだよ」と振り向いた。

遠くの出口で手を振っていた。今入ったばかりなのに、
何故出口なのだと思いながらも、心は十二支に、
後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にした。

(戌xu1 十二支の第十一位 戌いぬ)


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出口の門で立って私を待っていたのは、
上海の旅行社ガイドだった。

「ここでは色んな人が居ますし広いですから、
後ろについてきてください」と言われ、
「分かりました」と、答えてより、
再度、招財進宝のアップの画像を撮った。

ガイドは、戻ってきてため息混じりな声で、
「じゃ~、写真は撮ってもいいですが、
私達がどの辺りへ動いているかだけは気にして下さい」

そして、私を急がすように、さ~行きましょうと、
その出口のアーチを潜った。

(招財進宝zhao3cai2jin4bao3で、富をもたらすの意)


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公園から外に出ると、目の前に大きな建物が見えた。
地元のガイドは、このドームをエスプラネード劇場と、
説明してくれた。その名前をピンインでノートに書き込んでいた。

このドームの屋根は、とげのある熱帯地方の果物から、
「the Duriam」「ドリアン」とあだ名が付けられていた。
エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ。

モール(大規模なショッピングセンター)
世界各国の料理店のほか、文学、音楽、ダンスや、
映画、劇場と充実したシンガポールのマーライオンの
横の川向かいに、初のアート・ライブラリーが出来ていた。

(ドリアンの異名を持つエスプラネード劇場)


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エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイは、
音楽、コンサートからダンス、劇場にいたるまで、
地元は勿論の事、世界の公演を招待し、提供している。

屋外ステージとランチタイム・コンサートは、
堅苦しくなく、陽気なエンターテインメントを、
楽しむこと出来ると中国文のパンフレットにはあった。

しかし、ここは写真だけで、入っている時間が無いと、
急ぎ橋を渡り、シンガポールの象徴であるマーライオンへと、
向かったが、何度もエスプラネード・シアターズの画像を、
撮っているので、早くして下さい!置いていきますよ!と、
上海のガイドさんも現地のガイドさんにもガードされた。

(エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ)


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「マーライオン」


マーライオンは、シンガポール政府観光局の象徴として、
1964年に、デザインされた。画像を見て分かる通り、
頭は獅子を模り、体は魚の形で、波打った鬣(たてがみ)の
このマーライオンは、諸外国に向け、シンガポールの
偶像になったことを各国大使館を通じて発表した。


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マーライオンは、高さ8.6m、重さ70トンある。
どのように作られたかと言うと、何度も試行錯誤し、
作られたマーライオンの形に、外から鋳物で型をつくり、
その型にセメントを流し込み造られた。


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マーライオンは、シンガポールの彫刻家の、
リム・ナン・センが作ったもので、日本で言うならば、
岡本太郎のような人なのかなと想像したりしていた。


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マーライオンの50mほど後ろ側に、
高さ2mで重さ3トンの小さいマーライオンも公園に、
置かれているが、リム・ナン・センが作ったものである。


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マーライオンの本体はセメントで作られたものだが、
肌の部分は磁器のプレートを使用し、
目の部分は小さい赤の紅茶茶碗が埋め込まれている。


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マーライオンの、設置記念式典は1972年9月15日に、
当時のシンガポール首相がつかさどった。
ガイドの話しでは、マーライオンは最初からこの場所に、
有ったのではなく150m離れたビジネスビルの端にあった。


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マーライオンの引越し先はフラトン・ホテルの
向いにあるワン・フラトンという公園だった。
以前のパンフレットもガイドから見せてもらったが、
こちらの方が、見やすくなっていた。

下の橋を渡って十二支の飾ってあった公園から、
マーライオン公園まで来たが、こうやって画像で見ると、
結構高くそして長く感じた。


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2002年4月末頃から引越し、その後のマーライオンは、
一日中24時間、画像でも分かるように、口から勢い良く、
豪快に水が噴出している。
夜にはライトアップもされるとの事だったが、
別の観光地を回らなければならず見れなかった。


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シンガポールのシンボルと言えばこのマーライオン。
誰でもが、以前の設置してあった所を見て、
がっかりしたと言うが、私はこのマーライオンの画像を、
相当前から見続けてきているので、やっとマーライオンが、
見れたと感動し、ここだけで40枚以上の画像を撮った。


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マーライオンとは「白いたてがみにをもった獅子に似た動物」と、
海を象徴するマーメイド(人魚)をあわせたものである。
2002年に現在の場所へ移転後は、背景の高層ビル群の、
景色も素晴らしく人気があがっている。


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シンガポールの夜景といえば真っ先にマーライオンと、
言うほどに現在では有名になり、以前のように、
「世界三大がっかりの観光地」として異名は撤回された。
これだけマーライオンの姿を見れば、満足しましたか?

次に更新予定は、ミニ・マーライオンから見た、
マーライオンの後姿ですが、どうなることやら・・。


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「雨のミニ・マーライオン」


マーライオンの後姿だが、地面が雨に濡れているのが、
分かって頂けるだろうか?

マーライオンの撮影中に、前頁の最後のアップで、
撮った画像の時に、水しぶきが掛かるな~と思っていた。

しかし、実際には、水しぶきではなく、いきなりの、
スコールだった。

あちこちで、女性の悲鳴が上がった。
始めは「水しぶきがすごいね~」って感じ。

次には「これってまともに水が掛からない?」
「これって、雨じゃないの~?」
「いやっ~!夕立だ~」

(夕立後のマーライオン後姿)



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私も他の観光客とともに、非難してきた。
その非難して着た所に、思いも寄らなかった
ミニ・マーライオンが設置してあり、
いい拾い物と画像に収めた。

下のは同じようなショットではあるが、
後ろ側に堤防が写っているのと写っていないのとの、
違いだが、更新した。

(ミニ・マーライオンと後姿のマーライオン)



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ミニ・マーライオンと言っても、3mの背丈がある。



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雨も上がり、日が差してきた。
上海からのツアー客のガイドが呼びに来た。
私も再度、小走りにマーライオンの横顔を、
撮影しに行った。

「もう大分撮影したでしょう?」
「それでも、まだ撮るの?」
私は「雨上がりの1枚だけ」と言ってガシャリ。



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もう既に上海からのメンバーは橋のふもとへ、
集合していた。
私は、撮影を終わったものの、
何度も後ろを振り返りながら、歩いていると、
「日本先生早くして下さい!」

私はやっとツアーのメンバーの待つ、
橋まで行き、階段を上った。
ふと振り返った雨上がりの景色が、
とても綺麗で、また立ち止まり橋の上から撮影した。


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「マーライオン公園の横の川」


橋まで行き、階段を上って橋の上から、
ミニ・マーライオンと後姿のマーライオンの姿を、
撮影したが、更新画像を小さくしてみた。

私のノートパソコンは、A4画面であるが、
かなり小さい画面で確認していて、
普通の大きな画面で確認するとかなり大きい。
しかし、前の大きさの方が良かったような気もし、
再度画像を登録し直した。


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画像を登録して、尚且つ、画像を更新し、
画面で確認をしてより、
再度登録するのって、何となく力が抜けます。
皆さんにも、そのような経験があるのでしょうか?

画像はマーライオン公園横の川である。


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エスプラネード劇場も、見る方向によって、
感じ方が違うように思えた。

エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイは、
音楽、コンサートからダンス、劇場にいたるまで、
地元は勿論の事、世界の公演を招待し、提供している。

マーライオン公園の堤防沿いから対岸を撮影


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このドームの屋根は、とげのある熱帯地方の果物から、
「the Duriam」「ドリアン」とあだ名が付けられていた。
エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ。

ドリアンって結構、美味しいですが、
好き嫌いがありますね。
この果物匂いも鼻につくと、
食べ辛くなります。

対岸のエスプラネード劇場を撮影


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マーライオン公園の横にあるシンガポールの川
その川の名前は、手帳にも記録がしてない。
綺麗な川の様相を見せていた。

この川に架かる橋も何ていうのだろう?
調べる時間もなく更新します。

シンガポール、噴水ミュージカル?会場へ、
東洋で一番高く上がる噴水をスクリーンに、
光を当てて、色んなアニメを披露していた。


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