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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

杭州西湖の旅1



「日本人ですよ、大丈夫」

「中国写真ライフ」では、
浙江省の杭州西湖の写真を公開しています。

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昨夕杭州西湖の湖まで100mの地点に建つ宿に着き、
直ぐに、フロントより旅行社へ電話をして頂き、
現地ツアーの申し込みをした。フルネームを告げるため、
パスポートを手渡した所、日本人ですよ、大丈夫・・?

何となく、そのような会話が聞こえたが杭州の方言なので、
詳しい内容までは分からなかったが、電話を代わった。

中国普通語でツアーに参加されるのは、あなた一人?と、
聞かれ、その質問に答え、私よりは宿まで出迎えを、
お願い出来るか?何時に出迎え?などと質問した。

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ホテルの人に代わって下さいと言われ、受話器を渡すと、
笑顔で会話をしていたが、流暢な中国語なので、
問題なしとの事でしたと笑って見せた。

宿に着いたその日の夕方は、食事をした後、西湖湖畔を、
のんびりと散歩したが、5月のそよ風が疲れた心を、
癒してくれるような、よい心持ちで、ゆったり歩いた。

写真は西湖湖畔に咲きかけたハスの花を撮影した。

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「逆光に照らされる小舟の姿」

「中国写真ライフ」では、
浙江省の杭州西湖の写真を公開しています。

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北宋時代(970年頃)に銭塘江の高波を鎮めるために、
作られた祈念塔の六和塔を対岸より撮影した。

銭塘江とは、仙霞嶺山脈を源として杭州湾に注ぎこむ、
河のことを呼ぶが、有名なのは銭塘江の海嘯(かいしょう)

海嘯をは、一般には海鳴りと呼ばれているが、杭州の場合、
満潮の際、河口に入る潮波の前面が垂直の高い壁状になり、
砕けながら川上に進む現象で、河口が三角形状の川で発生。

海嘯で有名なのは、ブラジルのアマゾン川のポロロッカ。
アマゾン川を逆流する潮流で5mにも達する。

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世界的に有名な海嘯に中国の銭塘江が有名で、その海嘯を、
鎮めるために建てられた記念塔の六和塔を望んだ。

六和塔の中には、1000年以上前に建てられた記念塔があり、
千年古塔の土で出来た六和塔は一部崩れおちている。
その周りを囲むように、写真の六和塔がレンガで建つ。

西湖では大きな遊覧船で見て回ることや、写真のように、
6人乗り小舟で遊覧する事も出来るが、絵になるのは、
やはり、逆光に照らされる小舟の姿ではないだろうか。

この西湖へは3回目の旅であるが、まだ写真の整理ができず、
パソコンHDDが壊れたが、バックアップしてあったので、
画像データは無事に残っており時間を見て更新したい。

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「湖面を吹く風」

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浙江省の杭州西湖の写真を公開しています。

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三潭印月島は、西湖三島の中で最も面積が大きく、
豊かな景観を持ち、西湖最大の景勝地と言われている。

南北に橋がかかり、東西に堤防の道が通り水面を、
四つに分け、まるで田の字になっている。

西湖の中に島があり、島の中にさらに湖がある。
西湖十景の中の一つとして、水上庭園の経典の作である。
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下の画像は、中国の1元紙幣の図柄であるが、
普段1元なんてあまり、真剣に見た事がなかった。
1元を日本円に換算すると14円程度の交換レートだ。

私が持っている小銭入れの中には1元札はなく、
全てが1元硬貨だった。新疆など内陸部への旅行では、
逆に1元硬貨は受け取らず、1元紙幣しか受け取らない。

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写真の湖面に見える塔は3つあり、3つは正三角形で、
一辺の長さは62mあり、中秋の名月の時に、
塔に明かりを灯し、空には月の光が照らし、
水面に映る月と塔の灯りが織りなす光のショーは、
見るものの心を打ち、秋の湖面を吹く風が心地よい。

下の三潭印月と書かれた石碑の写真撮影では、
大きな声で、中国人を制止させた僅かな時間で撮影。

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「天地が滅びようとも」

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中国で有名な美女と言えば紀元前1世紀ごろ、
前漢の元帝の時代に生きた王昭君と、

208年の赤壁の戦いで、曹操軍の船を繋がせ、
孫権・劉備軍を勝利に導いた貂蝉。

719年~756年唐代の皇妃で、安史の乱を、
引き起こした傾国の美女である楊貴妃。

そして、紀元前5世紀ごろに生きた西施。

出身地西村の施と西施と呼ばれ、西湖の名は、
西施に由来して、西湖と付けられたようだ。

王昭君、貂蝉、楊貴妃、西施を中国四大美人と呼ぶ。

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西湖は唐の代表的な詩人白居易(白楽天)が、
西施の名に因んでつけたものであるとのこと。

白居易は772年~846年の中唐の詩人だが、
長恨歌を書いた事でも有名で、楊貴妃が玄宗と、
西湖を訪れており、恋の恨みを歌っている。

「天や地は滅び尽きることが有るだろう。
だがこの恋の恨み、愛の裏にある別れの恨みは、
天地が滅びようとも綿々と尽きることは無い」と、
歌った長恨歌を私も研究したのが10年前・・・。

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「西湖湖畔に浮かぶ小舟」

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杭州西湖の周囲は15キロほどあり、
歩いて1周するためには、5時間ほど掛かる。

ホテルを出て、またホテルへ戻って来る。
だが、ただ歩くだけではなく、撮影をしながら、
良い所があれば、20分でも立ち止まる事がある。

そうなれば、夜までに帰りつく事は困難と考え、
ホテルフロントに貸自転車を頼んだ。

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水とチョコレートをカメラバッグへ入れ、
貸自転車に乗り出発をしたが、貸自転車の、
レンタル料など聞くこともせずペダルを踏んだ。

感じの良い景色が目に入れば、自転車から降り、
しばらく歩き、シャッターを切ってはまた歩いた。

だが、自分が自転車で来た事を、ふと忘れてしまい、
また自転車を置いた所まで返ったが、その行動を、
何度も繰り返し、自転車など借りずに徒歩で来た方が、
まだマシだと思いながら、自転車をまた乗っていた。

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「奥深く静かである」

「中国写真ライフ」では、
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自転車に乗り、撮影を続けるが、素晴らしい景色に、
自転車から離れて、気が付けば、800mほど離れ、
鍵を掛けてない自転車の事が気になりだすと、
急ぎ足になっており、初めゆったりとした気分が、
行動の半分は、慌ててしまう行動に、しっくりこない。

また観光スポットでは、自転車を中に入れられず、
入口付近の自転車置き場へ置いて中に入り、
1時間ほどして自転車置き場へ取りに行くものの、
初めは同じような自転車に戸惑う場面もあった。

私はレンタルサイクルはホテルにて借りた。

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観光スポットで自転車に乗る人に聞いたところ、
どこからでも借りられ、電話一本で乗り捨ても、
可能であるとの事。だが割高になってしまう。

私の場合は、ホテルで借りて、必ずホテルまで、
乗って帰らなければならなく、気が重かった。

写真の「竹径通幽」は、唐代の詩人「常建」の、
「破山寺の後の禅院に題す」という詩の熟語で、

「竹径通幽」は、竹が茂った小道を通れば奥深く、
静かで心の渇きを潤わせてくれるという意味を含む。

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「杭州西湖の旅」

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杭州西湖と言えば、西湖十景で世に知られる。
西湖は天然の湖で、白堤、蘇堤の十文字堤と、
湖のまわりで、美しい風景を西湖十景と呼ぶ。

西湖へは四季折々の美しい姿が有名であり、
中国の王朝の一つである南宋(1200年頃)では、
首都は臨安(杭州)であり、宮廷画院の絵を、
描いていた絵師たちが、山水画のテーマとして、
西湖十景を描いたのが始まりと伝わる。

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初めて訪れる時に西湖十景の名を調べ、全てを、
見て回ろうとしたが、ガイドなしでは時間切れで、
結局、無駄な時間ばかりを過ごして見れなかった。

その西湖十景とは、「蘇堤春暁」「曲院風荷」
「平湖秋月」「柳浪聞鶯」「断橋残雪」「花港観魚」
「双峰挿雲」「南屏晩鐘」「三潭印月」「雷峰夕照」

清の第四代皇帝の康熙帝が杭州を訪れたときに、
西湖十景に名を付け、それを石碑に刻んだとの事。
十景の名は四字熟語で、文字を理解するために、
辞書をひも解いても、なかなか難しいと思った。

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「情緒を味わいながら歩くべき」

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西湖十景の中で「蘇堤春暁」を紹介していこう。

蘇堤は蘇東坡がつくった堤防であるが、蘇東坡は、
蘇軾(そしょく)と呼び、1057年に進士になった。

蘇軾は詩文で政治を誹謗したして投獄された後に、
左遷され、15年後復帰したが、更に政治を誹謗し、
左遷されるという波乱の人生を送った。

蘇軾は当初、西施湖と名付けたが、西施は、
呉越春秋の美女と言われ、西施湖から西湖となった。

蘇軾が造った蘇堤の入口には、蘇軾の像が立っており、
彼は有名な詩人で北宋の時代、杭州の副知事を歴任。
杭州へ行くと杭州を発展させた第一人者として有名。

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蘇堤春暁の蘇堤に沿って貸自転車でゆっくり走った。
ふと堤防沿いの柳越しに見える景色に、立ち止まると、
おもむろに軽やかな風が吹き、さらに心清々しく、
光り輝く湖面は、更にさわやかな気分にさせてくれる。

自転車に乗り、すばやく過ぎゆく景色をながめながら、
やはり、堤防はゆっくりと情緒を味わいながら歩くべきと、
実感する瞬間だった。またこの蘇堤に沢山の船着き場があり、
渡し船が行き交い、多くの観光客に思い出を提供していた。

蘇堤は南山と北山を結んでおり、西湖に艶やかな風景線を、
添え、また四季を通じて色とりどりの花が咲き乱れ、
人びとに詩や絵画を見ているかのような錯覚を起こさせる。

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「柳の枝葉がお辞儀してくれる」

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杭州西湖十景の話の続きをしていこう。
2番目は、「平湖秋月」について、
中唐の詩人の白居易が造った西湖北側の、
最も古い堤防で、白堤と呼び白居易に由来する。
その白堤の西に突き出た形で八角亭があり、
三面を湖に囲まれたこの場所は、中秋の月見には、
絶好の場所と言われ、湖に映る秋の月も美しい。

3番目の「曲院風荷」について
曲院とは南宋の朝廷が開設した醸造所のことで、
当時の西湖湖岸に臨み、岸に近い湖面では蓮の花が、
人工的に植えられ、夏のめぐって来るたびに、
暖かい風がゆったりと吹くと、蓮の花の香りと、
酒の香りが四方に広がり、酔った気分になる。
現在でも100種以上の蓮が植えられている。

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4番目の「南屏晩鐘」について
西湖南岸に南屏山が連なっており、標高は、
100mに満たないが、山には奇岩がそびえ、
木々の緑が目にまぶしく、晴れの日であれば、
晴天白雲に引き立てられ美しく、雨天の日は、
雲が覆い隠してしまい、神秘的な様相を見せる。
南屏山のふもとに仏教寺院の慧日永明院を建て、
後に霊隠寺と並んで西湖の浄慈寺となった。
毎晩僧侶が鐘を鳴らし、鐘の音は夕霧に霞む、
山々に響き、人々を感動させたと言う。

5番目の「柳浪聞鶯」について
柳浪聞鶯は、杭州に都を置いた南宋の皇室の庭園、
聚景園だったが、中国解放後に整備されて、
大型公園となった。この公園には柳が植えられ、
鴬がさえずり心を休ませてくれる所である。
春の庭園には柳の枝葉がお辞儀し、風が吹く度に、
ゆらゆらと揺れている。緑深い柳と鴬のさえずりに、
時間を忘れて佇んでいられる所で、私が泊った、
ホテルは、柳浪聞鶯から5分ほどの所だった。

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「夕陽に照らされた塔が美しい」

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南宋の武人で大将軍の岳飛の岳王廟の写真だが、
杭州西湖十景の残り五景を紹介しよう。

6番目の「雷峰夕照」について
西湖の南岸浄慈寺前の小さな山、夕照山上の雷峰塔は、
呉越王が黄妃の子供を産んだことを祝って建てた。
私がレンズを向けて構図を決めていた時、地元の人は、
この景色は夕陽に照らされた塔が美しいよと言われた。
雷峰は2002年に建て替えられたが、中の塔は壊されず、
保存されていた。黄妃古塔とは雷峰の別名である。

7番目の「三潭印月」について
西湖の中央あたりに小瀛洲があり、副知事の蘇東坡は、
杭州在任中に、西湖の底面をさらい土砂を取り去り、
この場所に菱などを植える事を禁じるための標識として、
石塔が3基建てられた。塔の中は空洞で中は、蝋燭が、
灯されるようになっており、紙を貼った洞から、
映ったろうそくの光は月のように見える。

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8番目の「花港観魚」について
西湖の南西の角にある庭園で、宋の時代の個人の庭園で、
池を作り、鯉を養殖し「盧園」と名付けた。南宋の画家は、
「花港観魚」と呼び、かつてここには小川が注ぎ込み、
そのため「花港」といわれていた。

9番目の「断橋残雪」について
この場所は、冬雪化粧した時に訪れると情緒溢れると、
古来より賞賛を受けてきたが、「断橋残雪」の情緒は、
広く知られている。断橋残雪の景観に対する見方は、
影の部分には雪が残り、高いところからこれを望むと、
まるで橋が途中で途切れているかに見える景観を指す。
断橋は白蛇伝の許仙と白娘子が出会う場所として有名で、
「情人橋」とも言われ、雪解けで橋表面が現れ出したとき、
橋が途切れて見える事から「断橋残雪」といわれる。

10番目の「双峰挿雲」について
双峰とは南高峰と北高峰で西湖の西南と西北に位置し、
南高峰は257mで、北高峰は355mの高さがある。
二つの峰は、かつては霊隠路洪春橋のたもとに、
「双峰挿雲亭」があり、二つの峰の上に立っていた仏塔が、
雲に隠れる様をみて楽しんだと言う。二つの峰の間に、
霧が漂う様は仙境を思わせる。

杭州西湖十景を全部見て回ると、また面白い。

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「38歳の生涯だったが」

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1127年~1279年の間中国で栄えた南宋時代。
中国の王朝の一つの南宋の首都は杭州にあった。

南宋の武人であった岳飛は38歳の生涯だったが、
南宋軍中最強の岳家軍を率いて北の異民族軍の、
金軍を破った大将軍だが、政治的な後ろ盾はなく、
無実の罪で獄中毒殺された悲劇の英雄である。

岳飛の死後、庶民が彼を深く敬愛する気運が高まり、
南宋朝廷の死後約60年後に「王号」を追贈し、
霊を祭る建物の廟を建てた。

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中国南宋の武将だった岳飛に王号の名が追贈され、
岳鄂王と呼ばれたが、廟を造り名を掲げる時には、
写真の如く岳王廟との額が掲げられている。

岳飛は南宋を攻撃する金軍に対して幾度となく、
勝利を収めたが、岳飛らの勢力が拡大することを、
恐れた宰相・秦檜に計画して殺されてしまった。

中国では三国志の関羽は絶対神のように崇められ、
岳飛も関羽と同じように祀られている。

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「無実の罪を着せて誅殺」

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写真は壮絶な38年の生涯を送った南宋の武人の、
岳飛の廟の中であるが、幼児の時に父を亡くし、
母に育てられ、21歳の時、開封を防衛する義勇軍に、
参加して南宋軍中最強の岳家軍を率いて功績を残した。

岳飛は元々は豪農の出であったが、彼は武勇に優れ、
その中で頭角を現し、節度使となり、南宋の中の、
軍閥勢力となった。岳飛は高宗の信頼が絶大だった。

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だが、南宋の初代皇帝高宗は次第に和平に傾き出し、
また学問も学んでいた岳飛に、他の将軍の嫉妬を、
招くようになって行った。その後、北宋の金との、
和平が進められたが、民衆の絶大な人気を持つ岳飛は、
危険な存在であり、岳飛とその養子の岳雲、岳家軍の、
幹部である張憲に対して、無実の罪を着せて誅殺した。

この時、岳飛は38歳、岳雲は22歳だった。
その背には母親によって彫られた入れ墨の、
「精忠報国」の四文字があった(前頁の写真の如く)
西湖の旅12「38歳の生涯だったが」

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「正座させられている像」

「中国写真ライフ」では、
浙江省の杭州西湖の写真を公開しています。

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岳飛は38歳、岳雲は22歳の歳に無実の罪を、
着せられ抹殺されてしまったが、その後に、
冤罪が証明され、死後に奉られ、生前の事績の、
評価に基づく名を授けられた。

鄂王(がくおう)に封じられ、関羽と並んで、
祀られて、杭州の西湖のほとりには岳王廟が、
建立され、岳飛・岳雲父子の墓も建立された。

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彼らを、おとしいれた秦檜夫婦や側近らが後ろ手に、
縄で縛られた形で正座させられている像があった。

岳飛の墓の前には縛られ膝まずかされ頭を、
垂れた様子の秦檜夫婦の像が檻のような囲いの中に、
置かれ、訪れる観光客は唾や汚水を掛けていた。

私は初め訳が分からず、唖然としているだけだった。
唾を掛ける事によって、自分の運勢が良くなるとの事。

岳飛はその後の長い歴史にあって救国の英雄として、
褒め称えられ、モンゴルの元による支配時には、
一時消え去ったかのようだったが、岳飛の名前は、
漢民族の中で語り継がれ今日に至っている。

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「民族英雄の赤い文字」

「中国写真ライフ」では、
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杭州西湖十景の平湖秋月から程なく行ったところに、
岳飛を祀る岳王廟がある。岳飛は現代でも中国の、
歴史上の英雄として名前が挙がるほどである。

北宋の名将・岳飛を祀る岳王廟にも多くの旅行客が、
観光に訪れていた。とりわけ中国の旅行客は、
岳飛が生きた時代背景や人物や功労、また、
なぜ抹殺されたかなど熟知する人が多かった。

詳細な歴史背景に無知な私は、一人旅のゆえに、
中国人の後ろに、こっそりと付き彼らの会話の、
内容を、聞こえは悪いが盗み聞きしながら、
岳王廟に祀られている岳飛の事を知った。

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北宋の名将であった岳飛を祀る廟は1221年に、
創建された。岳飛は17世紀に満洲となった金に、
奪われた江南の地を奪回しようと戦略を練った。

だが、敵に投降した秦桧らの主導により無実の罪で、
投獄され、志半ばにして抹殺されてしまった。
岳飛の死後、冤罪が晴らされ、国民的英雄として、
杭州西湖の畔の岳王廟に祀られた。

岳王廟敷地内には、岳飛と彼の息子の墓石があるが、
それを取り囲む塀には「民族英雄」と書かれていた。

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