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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

南京大虐殺はあったのか1



「南京事件1」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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河村名古屋市長の発言に対して南京市から
河村市長が発言の過ちを認め謝罪しなければ
双方の友好関係は凍結すると発言した。

政治上の問題なのかも知れないが中国にいる
日本人にとっては迷惑な話である。

ところで、松井石根さんって名前を知る人は
最近では少なくなってしまったようだ。

中国人に言わすと「さん(先生)と呼ぶのは
止めてほしい」と言われたことがある。

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中国人から見れば中国へ上陸をし大虐殺をした
A級戦犯なのだから仕方が無いが、太平洋戦争で
A級戦犯になり絞首刑で散った人は7人いる。

その中で陸軍大将の松井石根さんは中支那方面軍の
司令官であり上海派遣軍司令官でもあった。

南京大虐殺いわゆる南京事件は中国の捏造と心の
中では思っているが、多くの中国人の前では
大きな顔をして、南京大虐殺は無かったと言えない。


「南京事件2」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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私が初めて南京大虐殺記念館を訪れたのは
12年前の雨が降りしきる日だった。

その頃の記念館は現在とは違い大分小さかった。
写真の記念館に入っていくスペースに
置かれたモニュメントなどは無かった。

初め訪れた時の私には大虐殺の知識が乏しく
彼ら中国人の話すことを信じざるを得なかった。

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南京攻城戦で大虐殺があったと主張しているのは
1937年12月13日から6週間行われた事を指す。

1937年12月日本軍は南京を攻略、南京陥落前に
南京から逃げ出した蒋介石は重慶に逃げ込んで
国民党政府は重慶に首都を移していた。

国民党の兵士達も重慶へ移動し南京には5万ほどの
兵士しか残ってはいなかったが、日本軍は南京で
残虐な大虐殺を行い30余万人を殺害したとされた。


「南京事件3」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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南京大虐殺記念館は旧日本軍の非道行為を
内外にアピールする為に建てられたのが
南京大虐殺記念館だが実際とは異なる。

中国国民すら知らなかった南京事件は1971年
日中国交樹立前に朝日新聞紙上に掲載された
本多勝一の「中国の旅」という連載記事から始まる。

私が中国へ居住した1993年当時は南京事件で気が重く
中国人から攻め立てられる度に謝罪ばかりしていた。
それは大虐殺は本当にあったと信じていたからだった。

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今回で3回目となる南京への旅だが初めて来た時の
事を記念館を歩きながらも思い出していた。

2000年11月雨の降りしきる南京空港へ降り
迎えの車で南京大虐殺記念館へと走らせたが
まだ地理に疎い私は南京大虐殺記念館の距離が
結構遠かったように記憶している。

12年前は南京大虐殺記念館へ入った時に
入口の「300000」の数字に驚きながらも
説明を受けながら、中へ中へと進んでいった。


「南京事件4」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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画像は新しく建てられた南京大虐殺記念館の
入口までの通路脇に作られたモニュメントである。

どのモニュメントを見てもリアルな表現で
作られているが、作った人達は戦争を知らない
若い芸術家達なので想像でしかない。

話ではモニュメントの製作に入る前、中国で
製作された旧日本軍による虐殺の映画を見せ
イメージ作りに拍車を掛けたとの事である。

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私も中国語の南京大虐殺の映画をDVDで
見たことがあるが、日本兵が妊婦の腹を銃剣で
突き刺し、腹を割き、銃剣の先に突き刺した
未熟児を空高くかざし、日本兵は笑っていた。

いくら時代が違うとしても日本兵が、そんな事を
本当にしたのだろうかと疑問の思いで見ていたのに
対し中国人の若手芸術家は憎しみを込めた思いで
見ていたに違いないとモニュメントを見て確信する。

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「南京事件5」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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私が2回目に大虐殺記念館を訪れたのは
2006年4月の事で、2ヶ月すれば建替えの為
半年以上見学できなると思ったからだった。

3回目に訪れた時には建物が立派になり驚いた。
中国南京の子供たちは社会科の授業の一環として
南京大虐殺記念館へ見学に行き感想文を書かせる。

中国の歴史教科書に至っては1冊の40%を割いて
旧日本軍の侵略を学び反日感情を植え付けている。

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コメント欄でも書いたが、南京大虐殺記念館は
建築資金が無く難色を示していた中国共産党幹部は
日本が設計と資金提供で建てる密約を結び建った。

1983年当時中国側は記念館建設には乗り気でなく
社会党から資金援助をするという事で中国共産党も
納得し日本の設計と建設で1985年オープンした。

社会党も村山総理が連立政権で担がれ総理になった。
だが総理引退後の1996年以降社会党は見る影もない。

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「南京事件6」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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私が初め記念館に行った翌年に小泉政権が誕生した。
だが靖国神社参拝問題が浮上すると、中国人の心を
逆なでする発言で、中国に居る日本人は中国人の
標的の的となり私の見解まで聞いてくる始末だった。

酒場などでは、私のお客様とは関係ない中国人が
あまりにも不愉快な態度に「私は日本を代表して
中国に居るのではない」と開き直った事もあった。

中国人がこれ程日本人を威嚇するようになったのかは
南京大虐殺記念館を日本が建てたからで社会党の
思惑は完全に的を外れ反日感情へ拍車を掛けた。

旧大虐殺記念館には社会党議員や社会党団体による
中国人への謝罪文が相次いで提出され張り出された。

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修学旅行で訪れる日本の生徒たちには千羽鶴を折らせ
日本は2度と過ちを犯しませんなどと謝罪文を
書かせていたが、何処に証拠があって高校生の心に
圧力を掛けているのだと思うと、教師さえも憎かった。

時には中国の新聞やテレビでも紹介され中国人は
やはり南京での大虐殺は真実だったと確信を持った。

2002年5月民主党の菅直人幹事長夫妻一行6名が
南京大虐殺記念館を訪れ花輪を捧げ詫びを伝えた。
何故、そんな余計な事をするのだと言いたかった。

「南京への道」で南京事件を書いた本多勝一氏は
中国に大虐殺を教えた事で2006年に表彰状が送られた。

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「南京事件7」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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(写真は日本軍の大虐殺が行われたとされる
1937.12.13-1938.1までの刻印である)

「南京大虐殺」いわゆる「南京事件」は捏造や
虐殺人数を改ざんし、いつの間にか変化していった。

一人歩きしたと評論家は言うが、私はそうは思わない。
毛沢東は日中国交回復の時点で周恩来総理に中国
共産党が勝利を収めたのは日本が蒋介石軍と戦い
打撃を与えた為、共産党は国家を樹立出来たと言った。

南京大虐殺記念館は大日本帝国皇軍と中華民国国民党の
蒋介石政権との間で行った日中戦争で中国抗日戦争に
まつわる記念館として中国最大規模の記念館である。

然るに一人歩きではなく、中国共産党が故意に捏造し
代々の首脳陣に受け継がれたがゆえに、今回の河村市長の
南京事件はあれほど酷くは無かったのではの発言にまるで
反抗期の子供のように友好凍結などと言い出したと思う。

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抗日戦争で死亡した中国軍は380万人余りで中国人民の
死亡者数は1000万人と発表していたが1985年の
抗日戦争勝利40周年記念の折に2000万人と2倍の
死亡者数にすると、改ざん数を発表した。

大日本帝国の犠牲者は軍人230万人余りで一般市民は
広島長崎の原爆犠牲者も含めても80万人余りである。

この死亡者数から推測しても南京での虐殺が
30万人とは、誰が考えても不思議この上ないと思う。

南京大虐殺記念館は抗日戦争の代表格として中国共産党の
愛国主義教育基地に指定されており、この記念館を
事もあろうかユネスコ世界文化遺産に立候補している。

(写真の平和の鐘を支える柱は1本で10万人を意味する)

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