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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

源氏物語41帖から54帖 山路の露


「天皇の命により封印してしまった」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



雲隠(くもがくれ)は幻と匂宮の巻間にあるとされる。
雲隠の巻名だけが伝えられ源氏は出家し2~3年後に亡くなる。

もともと巻名だけで本文は書かれなかったとする説。
本文はあったが紛失したとする説があり真実は分からない。



雲隠の前の「幻」から「匂宮」まで8年間の時間が経過している。
この間に源氏が出家して嵯峨に隠棲し2~3年後に死去した。

この間に致仕の大臣と呼ばれた頭中将や髭黒も死去している。
源氏物語の作品世界では大きく世代交代が行われている。



この「雲隠」を含める数え方と含めない数え方とがあるようだ。
「雲隠」を含めないときには中身の多い「若菜」を上下に分けている。

私は「若菜」を上下分けているが数え方は同じ帖にしている。
いずれの場合にも『源氏物語』は全54帖になるようになっている。



「雲隠」のあらすじは描かれておらず「匂宮」で源氏の死が描かれる。
源氏の死を知った貴族たちが次々と出家する事態になってしまう。
出家を思い留まらせる為に時の天皇の命により封印した事もあった。


「薫は生まれつき身に芳香が備わっていた」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



匂宮(におうのみや)は第42帖で匂宮三帖の第1帖。
巻名は本文の「匂ふ兵部卿、薫る中将」に因む。

「世人は匂ふ兵部卿、薫る中将と聞きにくく言ひつづけて…」
「幻」から八年後に紫式部は筆を取り薫14歳から20歳まで描く。



源氏亡き後その面影を継ぐ人はいなく源氏に似ていたのは夕霧だけ。
面影は似ているが真面目で律儀な性格である事から似てはいなかった。

源氏が他界してより六条院は火が消えたような寂しさとなってしまった。
夕霧は六条院が荒れるのを憂え落葉の宮を移り住まわせる事にする。



女一宮や二宮が亡き紫の上を偲び春の町に暮らし六条院は賑わようになる。
匂宮は元服して兵部卿となり紫の上の二条院を里邸とし夕霧は婿にと望む。

夕霧は落葉の宮を六条院に迎え三条殿の雲居の雁へ1日交代に通っている。
夕霧は娘の六の君を落葉の宮に預けて教養の豊かな女性に育てようとする。



六条院には明石の中宮の子達、花散里は二条院の東の院、女三宮は三条宮へ。
薫は冷泉院と秋好中宮に可愛がられ育てられ元服後は官位の昇進も早い。

薫は自分の出生に疑念を感じ人生を味気なく思い出家の志を抱え過ごす。
薫は生まれつき仏の身にある芳香が備わって匂宮は対抗心を抱く事になる。


「宇治十帖では按察大納言に昇進している」

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紅梅(こうばい)は薫24歳の頃の話で匂宮三帖の第2帖。第43帖。
頭中将の子孫とその縁者の後日談を描いている。

故致仕大臣(頭中将)の次男は按察大納言(あぜちのだいなごん)の地位。
跡継ぎだった兄柏木亡き後は次男が一族の大黒柱となっている。



亡くなった先の北の方との間には二人の姫君(大君、中の君)がいた。
今の北の方は髭黒大臣の娘で故蛍兵部卿宮の北の方だった真木柱である。

真木柱には宮の忘れ形見の姫君がおり大納言の邸で暮らしている。
三人の姫君への求婚者は多く大納言は大君を東宮妃と画策し麗景殿に参内。



大納言は大夫の君を使って匂宮の心を中の君に向けさせようとする。
匂宮の関心は宮の御方にあり大夫の君を通し消極的宮の御方に文を送る。

真木柱は宮の御方には良縁と思うが大納言の気持を思うと躊躇してしまう。
匂宮が好色で宇治八の宮の姫君にも執心の噂もあり苦労が絶えないようだ。



明るく利発で幼少の頃から美声で知られ源氏の前で歌った事もある。
北の方に先立たれ真木柱と再婚したが兄柏木の未亡人落葉の宮に恋する。

今上帝の妃の藤壺女御や藤壺の娘の女二宮に思いをかけたこともあった。
のちに弁少将や右大弁を経てのちの宇治十帖では按察大納言に昇進している。


「宇治十帖では按察大納言に昇進している」

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紅梅(こうばい)は薫24歳の頃の話で匂宮三帖の第2帖。第43帖。
頭中将の子孫とその縁者の後日談を描いている。

故致仕大臣(頭中将)の次男は按察大納言(あぜちのだいなごん)の地位。
跡継ぎだった兄柏木亡き後は次男が一族の大黒柱となっている。



亡くなった先の北の方との間には二人の姫君(大君、中の君)がいた。
今の北の方は髭黒大臣の娘で故蛍兵部卿宮の北の方だった真木柱である。

真木柱には宮の忘れ形見の姫君がおり大納言の邸で暮らしている。
三人の姫君への求婚者は多く大納言は大君を東宮妃と画策し麗景殿に参内。



大納言は大夫の君を使って匂宮の心を中の君に向けさせようとする。
匂宮の関心は宮の御方にあり大夫の君を通し消極的宮の御方に文を送る。

真木柱は宮の御方には良縁と思うが大納言の気持を思うと躊躇してしまう。
匂宮が好色で宇治八の宮の姫君にも執心の噂もあり苦労が絶えないようだ。



明るく利発で幼少の頃から美声で知られ源氏の前で歌った事もある。
北の方に先立たれ真木柱と再婚したが兄柏木の未亡人落葉の宮に恋する。

今上帝の妃の藤壺女御や藤壺の娘の女二宮に思いをかけたこともあった。
のちに弁少将や右大弁を経てのちの宇治十帖では按察大納言に昇進している。


「思いどおりにならぬ世を嘆いた」

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竹河は薫14歳から23歳までの話。匂宮三帖の第3帖。第44帖。
髭黒太政大臣亡き後の北の方玉鬘の奮闘を描いている。

巻名は薫と藤侍従の和歌の「竹河」に由来する。
「竹河のはしうち出でしひとふしに深きこころのそこは知りきや」



髭黒太政大臣亡き後玉鬘は遺された三男二女を抱え生きた。
姫君二人(大君、中の君)には、今上帝や冷泉院から声がかかる。

今上帝には義妹の明石の中宮がいるため玉鬘は家の再興を迷っていた。
また冷泉院には異母姉の弘徽殿女御がおり薫も大君に思いを寄せる。



薫15歳の正月玉鬘邸に若者たちが集り催馬楽の「竹河」を謡い興じた。
玉鬘は薫が弾く和琴の音色が亡父致仕大臣や亡弟柏木に似ていると思った。

3月の桜の盛りの夕暮れ時二人の姫君は桜の木を賭けて碁を打っていた。
玉鬘は大君を冷泉院のもとへ参らせ数年後に大君は男御子を出産する。



冷泉院は大喜びするが周囲の者たちから嫉妬を買ってしまう事になる。
周囲の者たちへの気苦労から大君は里下がりすることが増えてしまう。

数年の歳月が流れ薫は中納言に蔵人少将も宰相中将へ順調に昇進していた。
玉鬘は大君の不幸や息子の出世の遅さを感じ思いどおりにならぬ世を嘆く。


「薫は出生の秘密を知ってしまう」

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橋姫(はしひめ)は第45帖。第三部の一部「宇治十帖」の第1帖。
薫20歳から22歳までの話で巻名は薫が詠んだ和歌の橋姫に因む。
「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」



源氏の異母弟の桐壺院の八の宮(第八皇子)は世の中から忘れられていた。
冷泉院の東宮時代を廃し八の宮を東宮にとの陰謀に加担させられた。

時勢が移ると共に八の宮は零落して宇治の地で出家を望みながら生きた。
宇治山の阿闍梨から八の宮を知った薫は仏道修行に励む姿に強く惹かれる。



薫は八の宮の元に通い始めて3年目の秋に宇治邸を訪れ姫君を垣間見る。
弘徽殿大后方の屈託のない二人の姫君たちに薫は次第に心惹かれていく。

薫は大君に逢いに行くが八の宮の侍女で故柏木の乳母子の弁の君が現れる。
弁の君は薫の出生の秘密と柏木の遺言を伝える事を約束し丁重に見送る。



京に戻ってから薫は弁の君の言葉が気になって頭から離れないでいた。
八の宮は姫君たちの存在を薫に話し死後の後見を託したいと願い出る。

薫が受け取った手紙の束を見ると柏木と女三宮の密通のやり取りだった。
女三宮の出産を喜ぶ柏木の死の間際の文を読み薫は出生の秘密を知ってしまう。


「喪服姿の大君に惹かれてゆく」

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椎本(しいがもと)は第三部の一部「宇治十帖」の第2帖。第46帖。
巻名は薫が故八の宮を偲んで詠んだ和歌「椎が本」に因む。

「立ち寄らむ陰とたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな」
夕霧の別荘は宇治川の岸辺で京の向こう岸で平等院がモデルのようだ。



匂宮は初瀬詣(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧の別荘に立ち寄った。
匂宮は薫や夕霧の子息たちと碁や琴を弾いたりして楽しんでいる。

宇治川の対岸にある八の宮邸にもその賑やかな管弦の音が響いていた。
八の宮から薫に贈歌があったが和歌を見た匂宮が代わりに返歌をする。



薫23歳の夏の頃匂宮は帰京後も時折宇治に歌を送るようになっていった。
和歌を見た八の宮はその返歌を常に中君に書かせるようにしていた。

厄年の八の宮は薫に姫君たちの後見を托すが宇治から出ないよう諭していた。
八の宮は宇治の山寺に参籠に出かけ祈願する中で8月中旬に亡くなった。



薫や匂宮が弔問に八の宮邸を訪れるが姫君たちはなかなか心を開かなかった。
年の暮れに宇治を訪れた薫は大君と対面し匂宮と中君の縁談を持ち出した。

春には匂宮の中君への思いは募り夕霧の六の君との縁談も気が進まない。
夏に宇治を訪れた薫は喪服姿の大君の美しさに益々こころ惹かれてゆく。


「草木が枯れるように息絶えた」

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(自治会内の空き家では雑草の伸びが早い)

総角(あげまき)は薫24歳の秋から宇治十帖の第3帖。第47帖。
巻名は薫が一周忌法要に事寄せて大君に詠んだ和歌あげまきに因む。

「あげまきに 長き契りをむすびこめ おなじところに よりもあはなむ」
紐の結びのようにあなたと私が長く寄り添えるようになりたいものです。



初秋八の宮の一周忌法要が営まれる事になり薫はこまごまと心を配る。
薫は一周忌法要の夜に大君へ心の思いを伝えるが拒まれてしまう。

大君は父宮の遺志を継ぎ宇治の主として独身を貫く決意をしていた。
大君は出来る事なら妹の中君と薫を結婚させたいと考えている。



だが大君の平常服に薫の香りが残り中君は薫との仲を疑っていた。
一周忌も終わり宇治を訪れた薫は大君の世話人の手引きで寝所に入る。

大君は薫が寝所へ来ることを察し中君を寝所へ残して隠れてしまう。
薫は大君ではなく中君だと気付き驚くが二人は語り明かすことになった。



大君の思いを知った薫は中君を匂宮と結婚させようと密かに会わせる。
薫は中君より大君に恋してる事を打ち明け結婚を迫るが大君は承知しない。

匂宮は薫の策略で中君の元に通い続けるが母后の明石の中宮に反対される。
匂宮は宇治川に舟遊びや紅葉狩りを催して中君に会おうとするが会えない。



父帝は匂宮の遠出をやめさせるために夕霧の六の君との結婚を取り決める。
大君は思いもよらない展開になり心労のあまりに病に臥してしまう。

薫の懸命の看病も虚しく晩秋薫に看取られる中で草木が枯れるように息絶えた。
大君は豊明節会の日に26歳という若さで世を去るが宇治は吹雪の夜であった。


「親切すぎるのは下心があると釘を刺す」

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早蕨(さわらび)は第三部の一部宇治十帖の第4帖にあたる。第48帖。
巻名は中君が詠んだ和歌の早蕨(さわらび)に因む。

「この春は誰にか見せむ 亡き人の形見に摘める 嶺の早蕨」
今年の春は誰に見せようか亡き父の形見となるよう摘んだ嶺の早蕨。



薫25歳宇治の里にも人の哀楽に関わらずまた春が巡って来た。
父八の宮も姉大君も亡くした中君の元に阿闍梨から例年通り土筆が届く。

阿闍梨は毎年四季折々の旬のものを届け中君は心づくしに涙を零す。
匂宮は宇治通いが困難だと感じ中君を京の二条院に迎えることにした。



後見人の薫は中君の上京の準備のために宇治を訪れ心配りをしていた。
上京の前日に薫は中君と大君の思い出を夜更けまで語り合った。

匂宮の元へ移る中君が今更ながら惜しく薫は後悔の念に駆られた。
周りの思惑とは違い二条院に迎えられた中君は匂宮から手厚く扱われる。



夕霧は六の君と匂宮の婚儀を目論んでいたが叶えられなかった。
夕霧は中君と匂宮の婚儀を知り末娘六の君の裳着(もぎ)を決行した。

六の君の裳着(成人の儀)後薫との縁組を打診するが薫は縁組を断った。
薫に断られた夕霧は亡くなった大君や妹の中君の姉妹に対し不満を抱く。



宇治の姉妹に心を奪われ六の君に興味を示さない薫と匂宮への不満が増す。
桜の頃に二条院で匂宮と話し込んだ薫は中の君のもとへご機嫌伺いに行く。

薫は中の君と大君を偲ぶ話をしていた所へ参内前の挨拶のため匂宮が現れる。
中君へ薫が異常に親切すぎるのは下心があるのかも知れないと釘を刺した。


「薫は中君に近づき思いを打ち明ける」

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宿木(やどりぎ)は第三部の一部宇治十帖の第5帖にあたる。第49帖。
巻名は薫と弁の尼が詠み交わした和歌「やどりぎ」に因む。

「やどりきと思ひ出でずは 木のもとの旅寝もいかにさびしからまし」
「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと思ひおきけるほどのかなしさ」



薫25歳の春から26歳の夏の頃に今の帝は裳着の式を控えていた。
直前に母女御を亡くし女二宮を薫に託したい旨を告げる。

亡き大君を忘れかねる薫は気が進まないが仕方なく承諾する。
女二宮の藤壺へ婿として通うが渋々通う様子に周囲は不自然に思う。



薫は帝に宮様を三条の屋敷にお迎えしたいと切り出す。
これを知った夕霧は娘の六の君を匂宮と縁組ませることにする。

婚儀の日が決まるが二条院に住む中の君にとって大変な衝撃だった。
中宮は懐妊し体調の悪い状態だが経験に乏しい匂宮は気づかない。



夕霧の婿となった匂宮だが六の君の美しさのとりこになっていく。
匂宮は中君とは次第に夜離れが多くなりいつも相談相手は薫だった。

薫は相談に乗る度に同情し次第に中君への慕情に変わっていった。
薫は思いを打ち明けて近づくが懐妊の身の中君が愛おしく自制した。



匂宮は中君に薫の移り香がするのを怪しみ中君を問い正そうとする。
中君は匂宮の気持ちが分かり薫の気を逸らそうと亡き大君の事を話す。

中君は男児を無事出産し薫は権大納言に昇進し女二宮と結婚した。
宇治を訪ねた薫は垣間見た八宮の三女の浮舟が亡き大君に似ており驚く。


「薫は浮舟を宇治に牛車で連れ去る」

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東屋(あずまや)は第三部の一部宇治十帖の第6帖にあたる。第50帖。
巻名は浮舟の隠れ家を訪れた薫が詠んだ和歌「東屋」に因む。

「さしとむるむぐらやしげき 東屋のあまりほどふる雨そそきかな」
東屋に葎が生い茂り戸口を塞ぎあまりに長い雨だれが落ちるものだ。



薫26歳の時亡き大君に似た浮舟に関心を持つが身分の低さにためらう。
浮舟は宇治八の宮と中将の君の間に生まれた娘だが認知されなかった。

中将の君はまもなく浮舟を連れて常陸介と再婚し東国に下っていた。
浮舟は高貴の血を引き一際美しい事もあり大事に育て良縁を願っていた。



任国へ赴任しない常陸介の所には浮舟を目当てにした求婚者が多かった。
浮舟は左近の少将と婚約するが財産目当てで常陸介の実子でなく心変わり。

浮舟との婚約解消し常陸介の実娘と結婚し中将の君は浮舟を不憫に思う。
浮舟を二条院の中君のもとに預けるが匂宮が偶然浮舟を見つける事になる。



御所から明石の中宮が倒れたと知らされ浮舟に未練を残し戻る匂宮。
姉の夫に言い寄られるという出来事にいたたまれない浮舟だった。

匂宮が言い寄った事を聞き心を痛める中君は浮舟の髪を洗い髪を梳く。
生き返ったような浮舟を見て中君は事なきをえたことに安堵していた。



浮舟の母である中将の君は驚いて彼女を引き取り三条の小家に隠した。
秋に薫は浮舟が三条の隠れ家にいることを知りその小家を訪れる。

薫は翌朝浮舟を宇治へ牛車で連れ去るので浮舟は不安この上ない。
薫は大君の面影を浮舟に見るが教養は高くなく扱いに思い悩む事になる。


「辛い心のうちを誰にも告げられない」

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浮舟(うきふね)は薫27歳の春の話。宇治十帖の第7帖。第51帖。
巻名は薫の元にいた浮舟が匂宮に連れ出される途中で詠んだ和歌に因む。

「橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ」
橘の茂る小島の色は変わらないが浮く小舟の私の身はどこへ漂うのか。



浮舟は源氏の弟の宇治八の宮の三女で宇治の大君や中君の異母妹である。
中君の亡き姉の大君によく似ており薫が心を打ち明けた時がよみがえる。

薫は浮舟を宇治に囲っていたが薫の留守に忍んできた匂宮を薫だと思う。
匂宮は浮舟と強引に契りを結び浮舟は人違いに気づくも時すでに遅い。



浮舟は重大な過ちに悔いるが淡白な薫と違い情熱的な匂宮へ心動く。
薫から再三に渡り自らのもとに戻るよう勧められたが終始拒み続けた。

薫は浮舟を京に迎える準備を進め匂宮はその前に浮舟を引き取る考えだ。
何も知らず上京の準備を手伝う中将の君に苦悩を打ち明ける事もできない。



浮舟は宇治川の流れを耳にしながら辛い心のうちを誰にも告げられない。
二人の貴人に愛される板ばさみに苦しみ事が露見し追い詰められた浮舟。

浮舟は自ら死を決意したが果たせず行き倒れている所を僧都に救われる。
横川の僧都に救われた後に出家を果たすが薫に消息を捉まれる事になる。


「夕暮れに飛び交う蜻蛉をながめる」

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蜻蛉(かげろう)は第三部の一部宇治十帖の第8帖にあたる。第52帖。
巻名は薫が宇治の三姉妹との因縁を想い詠んだ和歌「蜻蛉」に因む。

「ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えしかげろふ」
あるが見て手に取る事ができずまた見たが行方も知れずに消えた蜻蛉。



薫27歳のころ浮舟の姿が見えないので宇治の山荘は大騒ぎとなる。
浮舟の内情を知る女房は浮舟が宇治川に身を投げたのではと思い惑う。

駆けつけた浮舟の母の中将の君は真相を聞いて驚き悲しむ。
世間体を繕うため遺骸もないままその夜のうちに葬儀を営んだ。



石山寺に参籠していた薫は野辺送りの後に初めて事の次第を知った。
匂宮は悲しみで籠ってしまうが薫は浮舟の事は匂宮との事と確信する。

匂宮や浮舟を宇治に放置していたことを後悔し悲しみに暮れる。
宇治を訪れた薫は浮舟の入水を知り悲しみに沈む中将の君を思い遣る。



薫は浮舟の四十九日の法要を宇治山の寺で営み浮舟の弟たちを庇護する。
中君からも供え物が届けられ浮舟の義父常陸介は継娘が高貴と実感した。

常陸介は浮舟の異母弟・小君を薫の下で仕えさせる事を決断する。
薫は娘を亡くした親の気持ちが慰められるのならと小君を召し抱えた。



夏に匂宮は新しい恋をしはじめ薫は垣間見た女一宮に憧れるようになる。
源氏と兄弟の故式部卿宮姫君が女一宮に出仕し宮の君と呼ばれていた。

東宮妃にと育てられ薫との縁談もあり薫も同情しつつ関心を持つ。
薫は宇治の姫君たちを忘れられず夕暮れに飛び交う蜻蛉をながめていた。


「女癖の悪さを考え浮舟の事を伝えてない」

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手習(てならい)は第三部の一部宇治十帖の第9帖にあたる。第53帖。
登場する比叡山の高僧・横川の僧都は浮舟を救った僧都なのかも。

当時の平安貴族に人気の高かった恵心僧都(源信)がモデル。
終始人格者として描かれているが薫27歳から28歳の夏にかけての話。



匂宮と薫の板ばさみで追い詰められ浮舟は自殺を図るが一命を取り留める。
宇治川の大木の根元に倒れていた所を横川の僧都一行に発見され救われる。

僧都の80余歳になる母尼が50余歳になる妹尼との初瀬詣の途中発見する。
長谷寺参詣の帰途に宇治で病を患い看護のため僧都は山から下りていた。



妹尼は娘を亡くし浮舟を授かりものと実の娘のように手厚く看護した。
比叡山の麓の小野の庵に移されて浮舟はようやく意識を回復する。

死に損なった事を知ると尼にして下さいと出家を懇願するようになる。
世話を焼く妹尼たちの前では心を閉ざし手習をしながら日々を過ごした。



妹尼の亡き娘の婿だった近衛中将が妻を偲んで小野の庵を訪れる。
中将は浮舟の後ろ姿を見て心を動かし言い寄るようになり困惑する。

浮舟は妹尼が初瀬詣での留守中下山した僧都に懇願して出家してしまった。
帰って来た妹尼は驚き悲しみ女房尼から知らされた近衛中将も落胆する。



浮舟が生存している知らせが明石の中宮から小宰相の君を経て薫に伝わった。
薫は明石中宮が知っている事だから実子である匂宮も知っていると考えた。

匂宮の女癖の悪さを考え浮舟の事を話せば厄介な事になると知らせていない。
薫は事実を確かめに浮舟の異父弟・小君を伴い横川の僧都を訪ねて向かった。


「源氏物語は世の男共への警鐘だった?」

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夢浮橋(ゆめのうきはし)は宇治十帖第10帖。第54帖で最後の巻。
源氏物語の巻名は和歌の中にある言葉から取られている事が多い。

最後の巻である「夢浮橋」という言葉は本文中の和歌には見られない。
古歌「世の中は夢の渡りの浮橋かうち渡りつつものをこそ想へ」に因む。



世の中というものは夢の中で浮橋を渡っているようなもの。
人はその橋を渡りながら絶えず思い悩むもの。 

源氏物語の53巻の物語はある程度の区切りで終わっていた。
最後の巻の夢浮橋は源氏物語全体の終わりであるのに突然終わる。



この完結は予定通りだったのかもっと先まで書き進める構想だったのか。
それとも何らかの事情で中断してしまったのか議論になるようである。

物語の終わり方が不自然に思えた事は鎌倉時代や室町時代の人も同じ。
「山路の露」の「前・後編」といった続編が短く書かれている。



当時の人々も54巻の終わり方を不自然と感じたていたのかも知れない。
物語が最終という明確な終わり方ではなくまだ続くような終わり方である。

紫式部が読む者の想像へ委ねる終わり方は一体何を訴えたかったのか。
紫式部が源氏物語を執筆始めた切っ掛けは世の男どもへの警鐘だった。



源氏物語はフィクションで登場する人物も架空の人物ばかりである。
源氏が亡くなり紫式部は8年間執筆活動を休止してより2年間で書き上げた。

浮舟は出家して潔くすべてを捨てこれから先どう生きてゆくのか。
それに対し薫は浮舟に男が出来たのかと疑っている所は紫式部の本心なのか。

源氏物語最終帖「夢浮橋」は明日綴りたい。


「浮舟は心を崩さず小君との対面も拒む」

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(車の助手席を掃除する時にケージを外へ出した)

夢浮橋(ゆめのうきはし)は宇治十帖第10帖。第54帖で最後の巻。
薫は28歳の夏に比叡山の奥・横川を訪ね出家した女について尋ねる。

出家した女性は浮舟に違いないと確信し薫は夢のようで涙を落とした。
僧都は薫のその様子を見て浮舟を出家させたことを後悔していた。



薫は僧都に浮舟のいる小野への案内を頼むが僧都は今は難しいと告げる。
薫は翌月に案内を頼み浮舟への口添え文を僧都に懇願して書いてもらう。

横川から下山する薫一行の松明の灯りが浮舟がいる小野の庵からも見えた。
妹尼たちが薫の噂をするが浮舟は薫との思い出を払うように念仏を唱える。



翌日には浮舟の異父弟・小君が薫の使者として小野を訪れた。
僧都から事情を知らせる文が届き妹尼たちが浮舟の素性に驚いていた。

小君が持参した僧都の文に薫との復縁と還俗の勧めが書いてあった。
異父弟の姿を見ても浮舟は心を崩さず小君との対面も拒みつづけた。



薫の文も人違いだったらいけないと言って受け取ろうとしなかった。
薫は虚しく帰京した小君から対面できず返事も頂けなかったと聞く。

薫はもしかしたら自分が浮舟を宇治に隠していたようにと思い描く。
更に他の誰かが浮舟を小野に隠しているのではないかと思うのだった。

これで終わりだが次回は後世の人が付け加え書いたものを更新したい。


「恋の歌が多く人の情が深く関わる」

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源氏物語玉の小櫛は本居宣長が64歳1793年寛政五年に起稿始め。
寛政八年に完成した源氏物語の注釈書で寛政の改革の頃。

平安の頃源氏物語といって一種類の書を女流作家が描く。
中国の楊貴妃を描いた白居易の長恨歌を参考にしているようだ。



「日本書紀」の「談」という文字を「ものがたり」と読んでいる。
源氏物語は長編の物語の出始めの祖であると言われている。

「竹取物語」「宇津保物語」といづれが先か「竹取物語」が最初だろう。
「竹取物語」をいつ誰が作ったかは分からないが古い作品とも思えない。



源氏物語以前にも多くの物語が描かれ色々知られている。
沢山の物語が後世には伝わらないものが多いのも事実のようである。

物語の作風はそれぞれ多少の違いがあり種類もいろいろである。
いづれも昔の世にあった事や昔の書物を参考にして語る事もある。



実際にあった事を実名を変えたりして書いたものもあるが殆ど創作である。
物語は世の中にありそうな善悪や珍しい事や興味のある事やおもしろい事。

悲しい事などを書き著しその様子を絵にも書いたりして隙間を満たす。
心が塞いで心配な事が多い時の慰めにもして世の中のあるべき姿が分かる。



もののあわれをも知るようになりどんな物語も男女の関わりを描いている。
和歌に恋の歌が多く人の情が深く関わるのは恋に勝るものはないからである。

源氏物語が中世的な伝承に支配された好色の戒め説や仏典との関わりから、
解き放たれ物語として読むことが出来るようになった意義は大きいと感じる。

鎌倉時代初期に書かれた浮舟の物語「山路の露」に続く。


「死んだ筈の娘が尼として生きている」

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源氏物語の夢浮橋を読んだ後世の人は続きを書きたかったのだろう。
紫式部が世を去り180年後の鎌倉時代に書かれたとされる山路の露。

山路の露の作者は不詳であり清少納言だとする説もあるが不可能だ。
清少納言の他界は紫式部が去った6年後なので180年後とは違い過ぎる。



夢浮橋の続きを原作の世界を壊さないよう作者が心を砕いたようである。
小野の里で起きた薫と浮舟を詳しく見ていた人がいて書き綴っていた。

詳細に記録していた人が旅先で急死してしまったので遺品を整理していた。
ふたりのなりゆきを細かく記した紙が見つかり山路の露として綴られた。



薫は何度も小君を小野の里に遣ったものの結果は毎回同じだった。
小君の報告に薫の心は乱れ苛立ち悶々と過ごす日々が続いた。

宮中の物忌みが明ける日参内する前に薫は女二宮のもとへ出向く。
彼女の姿を見てもなお脳裏に浮かぶのは浮舟のことばかりである。



匂宮との一件も浮舟の事でもはや記憶から消え落ちたように思える薫。
亡き大君に似た女性が何処かにいないだろうかと聞き回ってみた。

どんなに探してもやはり浮舟以上の女性など何処にも居なかった。
そんな薫の心とは裏腹に小野の里の浮舟は勤行三昧に過ごしていた。



浮舟は尼として生きて行くにもひとつ大きな気がかりがあった。
死んだ筈の娘が尼として生きていると知れば母は動揺するだろうか。

母とは実母の中将の君のことであるが一目だけでも会いたいと思う。
小君が中将の君に仔細を報告していれば来る筈だと思い悩む日が続いた。


「浮舟は母中将の君宛てに手紙を認める」

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薫が体調を崩し数日寝込んだあとのこと。小君が訪ねてきた。
薫は小君に小野の里へ向かい浮舟から返事を取りつけるよう厳命する。

夕刻近く小野の里に到着した小君は妹尼に浮舟との対面を申し出た。
浮舟はなかなか姿を現さないが小君も手ぶらで帰る訳にもいかない。



浮舟は頑なな態度の事が中将の君の耳に入ったら母がどう思うだろうか。
小君に意中を伝えておいた方がと考えを改め小君と対面する事にする。

小君は薫の手紙を浮舟に手渡し際に浮舟の美しさは変わらないと思う。
母の中将の君はどうしているのかと浮舟は小君に尋ねてみた。



中将の君は浮舟の失踪後は気も狂わんばかりになって衰弱していた。
薫の庇護で命は取り留め浮舟の生存は他言無用との命を受けていた。

浮舟は中将の君はまだ何も知らないのだと小君は明かし胸を撫で下ろす。
浮舟は薫に所在を知られた事を悔んでも悔やみきれずどうするか悩む。



小君へやはり人違いだったと薫に報告をと頼むが無理な話だと答える。
浮舟は中将の君宛てに手紙を認め小君に渡す頃には暗くなっていた。

小君は帰路を急ぎ三条の宮に着いたのは夜中になってしまった。
近所で火災があり小君は門番に知らせ遅くなった訳は聞かれず済んだ。


「浮舟は薫には捨て難い女人になった」

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三条の宮近くの火災は幸いなことに延焼することなく鎮火た。
静けさが戻った三条の宮で小君は薫と対面し浮舟の事を報告する。

中将の君宛ての手紙を読んだ薫は切々なる思いに胸が詰まった。
直ぐにお忍びで小野の里へ行くつもりである事を小君に告げる。



突然押し掛けても浮舟との恋が蘇る事はないかも知れない。
思い出話しだけでもと薫は小君を連れ小野の里への道を急いだ。

夜の小野の里は人影もなく薫は庭に忍び込んで寺の様子を探る。
寺の中には読経をしている女性がおり声から浮舟に間違いないと思う。



読経が終わり外へ出て月を眺めながら浮舟が思わず詠んだ和歌。
どの里へも同じように照らす月明りはいつかの秋と変わらない。

薫の返歌。「古里の月は涙にかきくれて その世ながらの影は見ざりき」
宇治の里で眺めた月はあれ以降涙で掻き曇ってしまい光は見えない。



浮舟はこんな形で再び顔を合わせる事になるとはと狼狽し取り乱す。
薫は切々と自身の気持ちを素直に打ち明け浮舟は胸を打たれる。

薫は匂宮との事を話し出したが浮舟は首を振り薫を上手くあしらう。
自殺まで行い苦しみ出家し強い女性になり薫には捨て難い女人になった。


「中将の君が手紙を読み動転しないよう」

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薫が浮舟を愛おしいと思っても出家した女性に無体な事はできない。
浮舟は薫が思いの丈をひたむきに語る姿勢に心打たれて行く事になる。

薫は浮舟を小野の里からできるだけ都に近い場所へ移したいと思う。
薫は庵を出る際浮舟に手紙を送るから返事は早く書いてほしいと告げる。



早朝薫が去った庵は恵まれた環境で育った薫の噂話で持ちきりだった。
尼たちは薫の事を噂してるが浮舟は目もくれず仏に向かい勤行をする。

ある日薫から手紙が届き尼たちは返事を書かない浮舟を急き立る。
あまりに煩く言うので浮舟は仕方なく届いた手紙の余白に返歌を詠んだ。



「そのままに 我が魂の 身に添はで 夢かうつつか 分かれだにする」
以前の事が思い出され私の魂は体から離れ夢か現実か分からないまま。

薫は返歌を受け取り深く感じ入るが浮舟の母・中将の君の事を思う。
浮舟から母へ宛てた手紙を薫はまだ持っており何とかしなければと思う。



浮舟の乳母の子の右近は浮舟の葬儀以後は打ち沈んで暮らしていた。
薫はその右近を遣いにと思い使いを出し薫の招きに喜んで参上した。

薫から浮舟が亡くなってはおらず事の経緯を聞いて右近は非常に驚く。
中将の君が手紙を読み動転しないよう薫は右近に策を講じるよう命じた。


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