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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-5



「悪い夢なのか良い夢なのかわからない」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



夜が明け日が暮れるのもじれったく、暇がないくらい過ぎていく。
かといってはっきりした目安もないけれど、勤行に精を出しながら、
数珠持たない女に限って未亡人になると言ったのを聞いた人は、
きっとおかしく思って今のわたしを見ているだろう。



はかない夫婦仲だったのに、どうしてあんなことを言ったのかしらと、
思いお勤めをしていると、片時も涙が浮かばない時がない。
人に見られたらと恥ずかしいので、涙をこらえながら日々を過ごす。



二十日ほどお勤めをした時に、髪を切り落として額髪を分けている夢を見た。
悪い夢なのか良い夢なのかわからない。七、八日ほど経って、わたしの、
腹の中にいる蛇が動きまわって内臓を食い千切るが、これを治すには、
顔に水を注げばいい、という夢を見る。



これも悪い夢なのか良い夢なのかわからないけれど、このように、
書きとめておくのは、このようにわたしの行末を見たり聞いたりする人が、
夢や仏を信じられるか、それとも信じられないか、判断してほしいなどと、
思うからである。そして月は変わり、五月になった。


「胸をどきどきさせていたのに通り過ぎた」




わたしの家に残っている侍女から、ご不在でも、菖蒲を葺かないと、
縁起が悪いでしょうか、どうしたらいいのでしょうと言ってきた。
端午の節句には、邪気を払い、火災を防ぐ意味で軒に菖蒲をさす。
だけど、いまさらどうして縁起の悪いことがあるだろうか。



世の中に あるわが身かは わびぬれば さらにあやめも 知られざりけり

この世に本当に生きているわたしなのだろうかと、思い悩んでいて、
物の道理もわからないから、菖蒲を葺くしきたりなんかどうでもいいのと、
言ってやりたかったけれど、こんなわたしの気持を誰にも、
わかってもらえる筈がないので、心に思うだけでただ日を過ごした。



こうして物忌が終わったので、じぶんの家にもどって、前にもまして、
退屈な日々を過ごしていたが、長雨の季節になった。
庭の草花が生い茂っているのを、お勤めの合間に、
掘って株分けなどさせたりする。



お勤めをしている時に、いらっしゃいますと侍女が騒ぐので、見ると、
あの人が、わたしの家の前を、いつものように煌びやかに、先払いしながら、
通った日があったが、いつものように通り過ぎるだろうと思いながらも、
もしかしてと胸をどきどきさせていたのに、通り過ぎた。


「飲む薬草が畳紙の中に挟んであった」




あの人へ書いた返事は、とても珍しいお手紙なので、誰からの手紙なのか、
わからなかったほどでで、ここへ帰って来てからずいぶん経ちますが、
本当にどうしてわたしが帰ってるとお気づきにならないのでしょうか。



それにしても、ここが以前お通いになった家とも気づかないで、素通り、
なさったことが、何度もありましたが、これもすべて、今までこの世に、
留まっているわたしのせいですから、もうなにも申し上げませんと書いた。



考えてみると、こういうことを思い出すだけでも不愉快で、この前のように、
後で悔やむようなことがあったら嫌なので、やはりしばらく、遠くへ行こうと、
決心して、西山にお参りする寺があることを思い出し、そこへ行こうと思う。
あの人の物忌が終わらないうちにと思って、四日に出発する。



物忌も今日で終わるだろうと思う日なので、気ぜわしく思いながら、
物を整理したりしていると、上筵(うわむしろ)の下に、あの人が朝に、
飲む薬草が、畳紙(たとうがみ)の中に挟んであったが、父の家に行って、
ここへ帰って来るまでそのままになっていた。


「花が散って立っているのが見えた」



わたしから、あの人への、急ぎの手紙に対する返事には、
なにもかももっともだが、ともかく出かけるのはどこの寺だ。
この頃は暑くてお勤めをするにも都合が悪いから、今度だけは言う事を、
聞いて、やめなさい。相談することもあるから、すぐ行くと書いてある。 



あさましや のどかに頼む とこのうらを うち返しける 波の心よ

驚くほどあきれたことだ 心のどかに信頼をしていた わたしの心を、
裏切るとは、本当にひどいと書き添えてある。
その返事を見ると、ますます気が急いて出発していた。



急いで出発したものの山道は特に風情もないけれど、しみじみと昔は、
あの人と一緒に、時々ここに来たことがあり、わたしが病気になった時、
三、四日この山寺に来ていたのも今頃の季節で、あの人は出仕もしないで、
ここに籠って一緒に過ごしたこともあったなどと思い返していた。



供人が三人ほど付き添って、都から遠い道のりを涙をこぼしながら行く。
寺に着くと、まず僧坊に落ち着いて、外を見ると、庭先に籬垣が、
結いめぐらしてあり、また、名前も知らない草花が茂っている中に、
牡丹がなんの風情もなく、すっかり花が散って立っているのが見えた。


「そちらにお手紙があるでしょう」



秋の野に なまめき立てる 女郎花 あなかしがまし 花も一時

秋の野に 艶っぽく立っている女郎花 ああ 煩わしい 美しく咲くのも、
ほんの一時なのにという歌を、何度も思い浮かべては、ひどく悲しくなる。



湯などにつかって身を清めてから本堂にと思っているときに、
家から慌ただしそうに使いが留守番の侍女の手紙を持って走って来た。
読むと、ただ今、殿のお邸からお手紙を持って使いの者が参りましたとある。



使いの者が、わたしの山寺行きを止めなさいと殿がおっしゃり、
殿もすぐにお越しになりますと言いましたので、ありのままに伝えました。

もうとっくにお出かけになり、侍女たちも後を追って行きましたと答えると、
どういうつもりで山寺などに行かれるのだろうと、心配していらっしゃった。



どうしてそんなことを殿に申し上げられましょうと言いますから、
これまでのご精進なさっていたことを話しますと、泣いていらっしゃり、
とにかく、早速殿にご報告しましょうと言って急いで帰って行きました。
きっとそちらにお手紙があるでしょう。そのつもりでいてくださいと書いてある。


「木の間から松明の火が二つ三つ見えた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



殿がいらっしゃることが、書かれてある手紙を見て、深い考えもなく、
大げさに話したのではないかしら。まったくやりきれない。
生理になったら、明日か明後日には寺を出るつもりなのにと思いながら、
湯の用意を急がせて、身を清めてから御堂に上った。



暑いので、しばらく戸を開けてあたりを見渡すと、御堂はとても高い所に、
立っており、山が取り囲んで懐のようになっていて、木立がこんもり茂り、
趣があるけれど、闇夜の頃なので、今は暗くて見えない。



初夜の勤行をするというので、僧たちが忙しく動き回っているので、
わたしも戸を開けて念誦しているうちに、時刻は、山寺のしきたりの、
法螺貝を四つ吹く亥(い)の刻(午後十時前後)になってしまった。



大門のほうで、召使いたちが、殿がいらっしゃいましたと言いながら、
騒ぐ声がするので、巻き上げていた簾を下ろして見ると、木の間から、
松明の火が二つ三つ見え、子どもが取り次ぎ役として出て行くと、
あの人は物忌中なので車に乗ったままで、迎えに来たと言う。


「どうしても帰るわけにはいきません」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



あの人は今日まで穢れがあるので、車から降りることができないが、
どこへ車を寄せたらいいかと言うので、気が変になりそうな感じがする。
どういうお考えで、このように非常識にお越しになったのでしょう。



今夜だけのつもりで、上って来ましたのに。穢れのこともあるというのに、
分別のないことをなさいます。夜が更けました。早くお帰り下さいと伝えた。
子どもは、あの人とわたしの言葉のやり取りの取り次ぎに、何度も往復する。



一町(約110メートル)の間を、石段を上ったり下りたりするので、
子どもは疲れきって、ひどく苦しがるほどになった。

侍女たちは、まあ、かわいそうになどと、気弱なことばかり言う。
父上は、お前がこれくらいの事を説得できないと機嫌が悪いという。



子どもは、わたしとあの人の板ばさみで、しきりに泣いていたが、
どうしても帰るわけにはいきませんと言い切ったので、あの人が、もういい、
このように穢れの時だから、いつまでもいるわけにはいかない。しかたない。
車に牛をかけろと言っていると聞いて、ほっと安心した。


「そちらにお手紙があるでしょう」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



秋の野に なまめき立てる 女郎花 あなかしがまし 花も一時

秋の野に 艶っぽく立っている女郎花 ああ 煩わしい 美しく咲くのも、
ほんの一時なのにという歌を、何度も思い浮かべては、ひどく悲しくなる。



湯などにつかって身を清めてから本堂にと思っているときに、
家から慌ただしそうに使いが留守番の侍女の手紙を持って走って来た。
読むと、ただ今、殿のお邸からお手紙を持って使いの者が参りましたとある。



使いの者が、わたしの山寺行きを止めなさいと殿がおっしゃり、
殿もすぐにお越しになりますと言いましたので、ありのままに伝えました。

もうとっくにお出かけになり、侍女たちも後を追って行きましたと答えると、
どういうつもりで山寺などに行かれるのだろうと、心配していらっしゃった。



どうしてそんなことを殿に申し上げられましょうと言いますから、
これまでのご精進なさっていたことを話しますと、泣いていらっしゃり、
とにかく、早速殿にご報告しましょうと言って急いで帰って行きました。
きっとそちらにお手紙があるでしょう。そのつもりでいてくださいと書いてある。


「木の間から松明の火が二つ三つ見えた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



殿がいらっしゃることが、書かれてある手紙を見て、深い考えもなく、
大げさに話したのではないかしら。まったくやりきれない。
生理になったら、明日か明後日には寺を出るつもりなのにと思いながら、
湯の用意を急がせて、身を清めてから御堂に上った。



暑いので、しばらく戸を開けてあたりを見渡すと、御堂はとても高い所に、
立っており、山が取り囲んで懐のようになっていて、木立がこんもり茂り、
趣があるけれど、闇夜の頃なので、今は暗くて見えない。



初夜の勤行をするというので、僧たちが忙しく動き回っているので、
わたしも戸を開けて念誦しているうちに、時刻は、山寺のしきたりの、
法螺貝を四つ吹く亥(い)の刻(午後十時前後)になってしまった。



大門のほうで、召使いたちが、殿がいらっしゃいましたと言いながら、
騒ぐ声がするので、巻き上げていた簾を下ろして見ると、木の間から、
松明の火が二つ三つ見え、子どもが取り次ぎ役として出て行くと、
あの人は物忌中なので車に乗ったままで、迎えに来たと言う。


「どうしても帰るわけにはいきません」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



あの人は今日まで穢れがあるので、車から降りることができないが、
どこへ車を寄せたらいいかと言うので、気が変になりそうな感じがする。
どういうお考えで、このように非常識にお越しになったのでしょう。



今夜だけのつもりで、上って来ましたのに。穢れのこともあるというのに、
分別のないことをなさいます。夜が更けました。早くお帰り下さいと伝えた。
子どもは、あの人とわたしの言葉のやり取りの取り次ぎに、何度も往復する。



一町(約110メートル)の間を、石段を上ったり下りたりするので、
子どもは疲れきって、ひどく苦しがるほどになった。

侍女たちは、まあ、かわいそうになどと、気弱なことばかり言う。
父上は、お前がこれくらいの事を説得できないと機嫌が悪いという。



子どもは、わたしとあの人の板ばさみで、しきりに泣いていたが、
どうしても帰るわけにはいきませんと言い切ったので、あの人が、もういい、
このように穢れの時だから、いつまでもいるわけにはいかない。しかたない。
車に牛をかけろと言っていると聞いて、ほっと安心した。


「子どもの道綱に手紙を託した」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



子どもから、父上をお送りして、私も車の後ろに乗って帰りますと言い、
また、二度とここには来ませんと言って、泣きながら出て行った。
この子だけを頼りにしているのに、ずいぶん酷い事を言うと思った。



なにも言わないでいると、人々は皆帰ってしまったらしく、子どもは、
戻って来て、お送りしようとしたのですが、お前は呼んだ時に、
来ればいいと言って、お帰りになりましたと言い、しくしく泣く。



可哀そうだと思うが、あなたまでお見捨てになるわけはないでしょうと、
言って慰めるが時は八つ(丑の刻・午前二時前後)になってしまった。
侍女たちが、京への道のりは遠く、お供の人は間に合わせの人たちなので、
京の中のお出かけより、とても少なかったですと気の毒がったりしていた。



京のわが家に連絡することなどあるので、使いを出すことにした。
子どもの道綱は、昨夜のことが気になるので、父上のお邸のあたりに行って、
ご様子を伺ってきますと言って出かけるので、子どもに手紙を託すことにする。


「京へ出かけた子どもが帰って来た」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



手紙には、普通では考えられない人騒がせな昨夜のお越しでしたが、
お帰りは夜も更けるのではないかと思いましたので、ひたすら仏に、
無事にお帰りになれるようお守り下さいとお祈りしていました。



それにしても、どういうお考えでこんな山奥までお越しになったのかしら、
と思うと、あの時すぐ帰るにはひどく恥ずかしくて、帰ることなど、
できそうにない気がしたのですなどと、こまごまと書いておいた。



その手紙の端に、昔、あなたもごらんになった道と思いながら、この寺に、
入りましたが、昔のことを例えようもないほど懐かしく思い出しました。
近いうちにすぐにも帰るつもりですと書いて、松の枝に結びつけた。



夜明けの景色を見ると、霧か雲かと思われるものが一帯に立ち込め、
しみじみともの寂しい。昼頃、京へ出かけた子どもが帰って来た。
父上は出かけていらっしゃったので、召使に手紙を預けてきましたと言う。
もし、あの人が出かけていなくても、返事はないだろうと思った。


「蛍は驚くほど辺りを明るく照らしている」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



昼はいつものようにお勤めをして、夜はご本尊の仏をお祈りする。
まわりが山なので、人に見られるのではないかという心配もない。
簾を巻き上げてあり、季節はずれのウグイスがしきりに鳴いていた。



梅の花 見にこそ来つれ うぐいすの ひとくひとくと いとひしもをる
梅の花を見に来たのに 鶯が人が来た、人が来たと鳴いて、嫌がっていると。

鋭い声で鳴くので、人が来たのではないかと思って、簾を下ろさなければ、
ならないような気になる。これもわたしの心が虚ろになっているせいだろう。



生理になったら山寺を出ようと決めていたが、やっと生理になった。
京ではわたしが尼になったと皆噂しているとすれば、帰っても、
みっともない思いをするだろうと思って、寺から離れた建物に下りた。



京から叔母にあたる人が訪ねて来たが、普通とはまったく違う住まいだから、
落ち着かなくてなどと話したりして、五、六日経つうちに、六月になった。  
木陰はとても風情があり、山陰の暗くなっている所を見ると、
蛍は驚くほどあたりを明るく照らしている。


「小寺の小さい鐘を競って打ち鳴らしている」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



昔あまり悩みもなかった頃、杜鵑の鳴き声で、夜深く目を覚ましてしまった。
なんともじれったく思ったほととぎすも、ここでは気楽に何度も鳴く。
水鶏(くいな)はすぐそこと思うほど近くで叩くように鳴いている。
ますます侘びしさがつのるもの思いが多い住まいである。



人から勧められた山籠りではなかったので、訪ねたり見舞ったりする人が、
いなくても、けっして恨んだりすることはなく、気が楽であった。
ただ、こんな山住まいまでするように定められた前世の宿縁ばかりを、
つくづくと思うにつけて、悲しいのは息子のことであった。



このところ長精進を続けてきた子が、すっかり元気がないようなのに、
わたしの代わりに世話を頼む人もいないので、山寺に籠もりっきりで、
松の葉だけを食べる覚悟での私と同じような粗末な食事をさせたので、
なにも食べなくなったのを見るたびに、涙がいっそうこぼれてくる。



こうしているのは、とても心が落ち着くが、ただどうかすると涙が、
こぼれるのは、とても辛い。夕暮れにつく寺の鐘の音、ひぐらしの声や、
周りの小寺の小さい鐘を、われもわれもと競って打ち鳴らしている。


「粗末な食事をして酷く痩せたのを見る」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



前の岡には、神社もあるので、僧たちが読経をあげたりする声を聞くと、
どうしようもなく悲しくてならない。このように生理の間は夜も昼も、
暇があるので、端の方に出て座り、物思いにふけっていると、
幼い子どもが、部屋に入りなさいと言うので、その様子を見る。



子どもは、わたしにあまり深く思いつめさせたくないらしい。
わたしがどうしてそんなことを言うのと聞くと、やはり体にとても悪いし、
わたしも眠いからなどと言うが、ひと思いに死んでしまうはずだったのに、
あなたのことが心配で今まで生きてきたけれど、これからどうしようかしら。



まったくこの世から姿を消してしまうよりは、世間の人が噂しているように、
尼になろうと思うが、尼姿でも生きていれば、心配にならない程度に、
訪ねて来て、かわいそうな母と思ってください。
山籠もりをしてとてもよかったと、わたし自身は思うのです。



ただ、あなたがこんな粗末な食事をして、ひどく痩せたのを見るのが、
とても辛くて、私が尼になっても、京にいる父上はあなたを、
見捨てないとは思うけれど、私が尼になること自体が非難されることだから、
こんなふうに悩んでいますと言うと、子どもは、しゃくりあげて泣いていた。


「ほんとうにやりきれない思いがする」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



五日ほどで生理も終わったので、また御堂に上った。
先日からここに来ていた叔母が、今日は帰ってしまう。
車が出て行くのを見ながら、じっと立っていると、車が木陰を、
徐々に遠ざかって行くのも、もの寂しい思いがしてならなかった。



見送って物思いしながら立っているうちに、のぼせたのか、
気分がひどく悪くなって、非常に苦しいので、山籠り中の僧侶を、
呼んで心身を堅固にしていただき、夕暮れになる頃に念誦の低い声で、
加持しているのを、尊いと聞きながら思った。



昔、山寺に籠もったり、僧の加持を受けたりすることが自分の身に、
起こるとは夢にも思わないで、 悲しくもの寂しいことと思って、
また、絵にも描き、黙っていられないで大きな声で言ったりして、
縁起でもないと一方では思った身の上に今のわたしがそっくりである。



こうなる運命だと、何かがわたしに、前もって思わせたりしたのだと思い、
横になっていると、京の家にいる妹が、 ほかの人と一緒にやって来た。
近寄ってきて、どんなお気持ちかと家で心配しているよりも、
山に入ってみると、ほんとうにやりきれない思いがすると言う。


「悲しい思いがこみ上げてくる辛さ」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



昼頃に、殿がいらっしゃるはずですので、ここに控えているようにと、
ご伝言がありましたと言って、あちらの従者たちも来たので、
侍女たちが騒いで、日頃乱雑にしていた所までも、ばたばたと、
整理しているのを見ると、いたたまれない思いでいた。



すっかり暮れてしまったので、本邸から来ていた従者たちが、
お車の用意などもすっかりしてあったのに、どうして殿は今になっても、
いらっしゃらないだろうなどと言っているうちに、だんだん夜も更けてきた。



侍女たちが、やはりおかしい。誰かに様子を見に行かせましょうと言って、
見に行かせた使いが帰って来て、ただ今、お車の支度を解いて、随身たちも、
皆解散してしまいましたと言う。わたしは、いたたまれない気がして、
悲しい思いがこみ上げてくる辛さは、とても言葉では言い尽くせない。



山にいたら、こんな胸がつまる悲しい目にあわないですんだのにと、
山で予想した通りだと思うが、侍女たちも、訳がわからない、呆れた事だと、
騒ぎあっているが、新婚三日ほどで婿が通って来なくなったような騒ぎである。


「穏やかにしていればよかったと思う」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



あの人は、どんなことがあって来られなかったのか、せめて、
その理由だけでも知らせてくれたら気も休まるのにと思い乱れていた。
そんな気がふさいでいる時なのに来客があった。


 
来客と聞いたときは、なぜこのような気分の時にと思うが、
いろいろと話しているうちに、少し気分が紛れて来ていたから不思議だ。  
夜が明けると、子供が何故父が来られなかったのか聞いて来ると出掛けた。



その返事を受けて戻って来て、昨夜は気分が悪かったそうですと言う。
急に、ひどく苦しくなったので、行けなくなったと話したようだ。  
そんなことなら、なにも聞かないで穏やかにしていればよかったと思う。



一言、差し障りができたなどと伝えて下さっていたのであれば、あれこれ、
悩まなかったのにと不快に思っていた時に、尚侍様から手紙がある。
手紙を開いて見ると、まだわたしが山里にいると思われたらしく、
とてもしみじみとした趣で書いていらっしゃるので読み返した。


「夫婦の愛情が色あせていく嘆き」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



尚侍(ないしのかみ)とは、日本の律令制における官職で、
内侍司の長官(かみ)を務めた女官の官名で、その方の手紙だった。

どうして、そのような物思いのつのる住まいにいらっしゃるのでしょう。
そんな物思いにも、くじけることなく夫に連れ添っていく人もいると、
聞いていますのに、あなたが兄と疎遠になったようなことばかりおっしゃる。



いったい、どうしたのかしらと心配でたまらないので手紙をしたためたと。

いもせがわ むかしながらの なかならば 人のゆききの 影は見てまし

あなたがた夫婦は昔のままの仲でしたら 絶えず通って行く、
兄の姿を見ることができたでしょうに と詠んでいる。

 

さっそく、返事の歌を詠みしたためて届けた。

よしや身の あせむ嘆きは いもせやま なかゆく水の 名も変はりけり

わたしたち夫婦の愛情が、あせていく嘆きは どうしようもありません 
もうわたしたちは妹背〈夫婦〉とは言えない仲に変わってしまったのです。



山の住まいには秋の景色を見るまでいようと思いましたが、山でも、
心が晴れないでふんぎりがつかないまま下山して、中途半端な状態です。

わたしの深い悩みはどなたにもわからないと思っていましたが、
どのようにお聞きになったのでしょうか、それとなく、
おっしゃるのもごもっともなことですなどと申し上げた。


「一緒に初瀬のお参りに行くことにした」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



こうして、その日は物忌があいて、次の日また物忌になったと聞く。
明くる日は、こちらの方角が塞がっていたが、その次の日には、
今日は来てくれるか待ってみようと性懲りなく思っていると、
夜が更けてからあの人がやっと、供を携え来てくれた。



先日の夜のことを、これこれだと弁解して、せめて今夜だけでもと、
急いだので、忌違えに家の者がみな出かけるのを送り出して、そのまま、
後のことは放っておいてやって来たなどと悪びれもしないで、
平然と言うので、内心呆れて言葉も出ないほどだった。



夜が明けると、知らない所に忌違えに出かけた人たちが、どうしているか、
気になるからと言って来たので、あの人は、急いで帰って行った。
それから後、訪れもなく七、八日が経ったが、地方官歴任の父の所では、
初瀬のお参りに、一緒に行くことにして、精進をしている父の家に移った。



場所を変えた甲斐もなく、正午前後頃に、急に先払いの騒がしい声がする。
呆れたことに、誰だ、あちらの門を開けたのはなどと、父も驚いている。
あの人はすっと入って来て、私はここ数日、いつものように香を盛って、
お勤めをしていたが、あの人は香を急に投げ散らかし、数珠も放り投げ、
乱暴なことをするので、まったく意味が分からないまま過ぎた。


「いかにも場所柄に相応しく見えた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



あの人は香を急に投げ散らかし乱暴なことをしていたものの、
その日は、訳が分からないまま過ごして、次の日に帰って行った。
その日より七、八日ほどして、初瀬へ出かけることになり、
午前十時前後頃、従者を多く連れて、家を出た。



きらびやかに行くようで午後二時前後頃に、あの按察使大納言さまが、
所有していらっしゃる宇治の院に到着した。父の一行はこのように、
賑やかだが、わたしの気持ちは寂しく、あたりを見渡すと、感慨深い。
按察使(あんさつし)とは. 奈良時代の地方行政を監督する官職のこと。



ここが大納言さまが心を込めて手入れなさっていると聞いた所なのだ。
今月は、一周忌をなさっただろうが、そんなに経っていないのに、
荒れてしまったと思うが、管理をしている人が、迎える用意をしてくれ、
立ててある調度類で、あの大納言さまの物だと思われる。



みくり簾や網代(あじろ)屏風、黒柿(くろがい)の横木に、
朽葉色(くちばいろ)の帷子(かたびら)をかけてある几帳など、
いかにも場所柄にふさわしのも、しみじみと趣深く見えた。


「目が冴え夜中過ぎまで物思いにふける」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



疲れているうえに、風が払うように吹いて、頭が痛くなるほどなので、
風よけを作って、外を眺めていたが、あたりが暗くなると、何艘もの、
鵜飼い舟が、篝火を灯しながら、川一面に棹(さお)をさして行く。



この上なく面白く見える光景に、頭が痛いのも紛れたので、端の簾を、
巻き上げて、外を眺めながら、私が思い立って初瀬へ参詣した時、
帰りに、あがたの院をあの人が行ったり来たりしたのは、
ここだったのだのだと、改めて思い起こしていた。



ここに按察使(地方行政を監督する官職)さまがいらっしゃって、
いろいろな贈物をくださったのには、身にしみて感激した。
按察使(あぜち)は、のちに陸奥と出羽の2国だけになった。

不幸なわたしの生涯でも、あんな楽しいことがあったのだと思う。



思いを巡らしていると、目が冴え夜中過ぎまで物思いにふけっていたが、
鵜飼い舟が川を上ったり下ったり行き違うのを見ながら、

うへしたと こがるることを たづぬれば 胸のほかには 鵜舟なりけり

水の上と下と、体の外と内とで焦がれるものはなにかと考えてみると 
わたしの胸の焔(ほむら)のほかには鵜舟の篝火だったなどと感じる。


「雨が激しく降って風が強く吹いていた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



夜明け前には、鵜舟の篝火が輝く夜の鵜飼とは打って変わって、
網で魚を捕る網漁(いさり)というものをしているが、この上なく、
おもしろく感心したが、夜が明けたので、急いで出かけて行く。



贄野(にえの)の池や泉川が最初見た時と少しも変わってないのを、
見るにつけても、じぶんの変わりようが身に沁みるばかりである。
色々と物思うことが多いけれど、騒がしく賑やかな周囲に気が紛れる。



道をそれて少し進んだ森に車を止めて、弁当などを食べる。
誰もがおいしそうに食べている。春日神社に参詣ということで、
ひどくむさくるしい宿坊に皆で泊まることとなった。



翌日、そこを出発すると、雨が激しく降って風が強く吹いていた。
三笠山を目指して被り笠をさして行くが、その甲斐もなく、
ずぶ濡れになる供人が大勢いるが、やっと神社に着いた。
神に奉献する供物の幣帛(へいはく)を捧げて、初瀬の方に向かう。


「夢の中で道をたどるような感じで」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



飛鳥寺に灯明(とうみょう)をあげるので、その間わたしは、
牛車の轅(ながえ)を釘貫(くぎぬき)に引きかけたまま、
あたりを見まわすと、木立がとても美しい所であると気付き、
境内がきれいで、泉の水もとても澄んで飲みたくなるほどだった。



飛鳥井に 宿りはすべし をけかけもよし 御水もよし 御秣もよし

催馬楽の飛鳥井に詠われた馬子唄で、催馬楽は平安時代の初期に、
庶民の間で歌われていた民謡や風俗歌の歌詞に、外来の楽器を、
伴奏楽器にして新しい旋律の掛け合いを生み出すこととなった。



激しい雨が降り止まず、ますます降ってくるので、どうしようもない。  
やっとのことで、椿市に着いて、あれこれ参籠に必要な物を整えて、
出発する頃には、日もすっかり暮れてしまっていた。



雨や風はまだやまず、松明を灯していたものの、風が吹き消して、
辺りは真っ暗なので、夢の中で道をたどるような感じで、気味が悪く、
いったい、どうなることだろうとまで思い途方にくれていた。


「精進落としというが精進のままである」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



ようやく祓殿(はらえどの)にたどり着いたが、雨の状態もわからず、
ただ川の音がとても激しいのを聞いて、ひどく降っていると思う。
御堂に登る時に、気分がたまらなく辛く苦しい気持ちになる。



切実に願うことがたくさんあるが、このように気分が悪いので意識も、
朦朧としていたのだろうか、何もお願いしないうちに夜が明けてしまった。
雨は同じように変わらず降っているし、昨夜の気味悪さに懲りて、
ずるずると出発を遅らせ、昼まで延ばしてしまった。



森の前を、物音を立てないで通らなければならないと思うと心が騒ぐ。
ふだんは騒がしい一行であるが、さすがに、静かに、静かにと、手を振り、
顔を振って、大勢の人たちが魚のように口をぱくぱくするので、
黙って通るのは当然とはいえ、どうしようもなく可笑しく思われる。



椿市に帰って、精進落としなどと人々は言っているが、わたしはまだ、
精進落としできないままで、そこをはじめとして、もてなしてくれる所が、
先に進めないほどたくさんあり、褒美の品などを与えると、
こころのほか、一生懸命に接待をしてくれるようである。


「夜が更けるのも忘れて見ていた」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



泉川は、水かさが増していて、どうしようなどと言っている時に、
宇治から腕のいい船頭を連れて来ましたと言うが、舟は面倒なので、
いつものように、さっと渡ってしまおうと、男たちは決めたようだ。



だが、女たちが、やはり舟で渡りたいと言うので、仕方なく、それではと、
皆船に乗り、はるばると川を下って行くが、時節がら気持ちのよいもだ。
見どころがあって素晴らしいと言うと、船頭をはじめ、大声で歌う。
宇治が近くなってきた所で舟を降り、また牛車に乗った。



京の家は方角が悪いということで、宇治に泊まることとなった。  
鵜飼の準備がしてあったので、鵜飼の舟が数おおく川一面に浮かび、
賑やかな声が聞こえ騒いでいるので、近くで見物しましょうと、
川岸に幕などを立てて、踏み台を置き、降りながら川を見おろした。



わたしが立つ下で鵜飼をしている舟が行ったり来たりして、灯りに、
群がる魚など、今まで見たこともなかったので、おもしろく思われる。
旅で疲れ気味だったが、夜が更けるのも忘れて、ひたすら見ていると、
侍女たちが、これ以上特別な事はありませんからお帰り下さいと言う。


「早く早くと急き立てられて家に帰る」

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舟から岸にあがり泊まる部屋に入ってからも、飽きもしないで外を、
眺めていると、例によって一晩中、篝火をあたり一帯に灯している。
少し眠ったが、停めてある船端をごとごと叩く音がする。
まるでわたしを起こすように聞こえて目が覚めた。



夜が明けてより外を見てみると、昨夜捕れた鮎が、ずいぶん多い。
京にいるあちこちの人たちへ贈物をしなければならないと、
配分するようだが、好ましい旅の風情である。日がほどよく、
高くなってから出発したので、暗くなって京に帰り着いた。



今日の父の家でしばらく体を休めてより自宅へ帰ろうと伝えるが、
侍女たちは疲れたということなので、帰ることはできなかった。
次の日も、昼頃まで父の所にいると、あの人から手紙が来た。



お迎えにと思ったが、貴女だけの旅ではないから、具合が悪いと思って、
いつもの家に帰っているのかなどと書いてあるので、侍女たちから、
早く早くと急き立てられて、家に帰ると、すぐに見えた。


「時間だけが虚しく過ぎるだけだった」

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あの人が、こんなに気を使うのは、わたしが昔のことをいろいろと、
悲しく思い出しているだろうと思ったからだろうと思った。
翌朝は、相撲(すまい)の節会(せちえ)などのあとで、その日の勝負に、
勝った方の近衛大将が自邸で配下の人々を召して饗応が近いと帰った。



何かと口実をつけて帰るもっともらしい言い訳をして帰っが、今更に、

いつはりと 思ふものから 今さらに 誰がまことをか われは頼まむ

偽りだと 思うものの 今さら 誰の真心を 頼りにできるだろう
あなたを頼りにするしかないと古今集の読人しらずを思うと、悲しくなる。



時の過ぎる速さが年々早くなっているように感じる事が多くなっていた。
その日から四日間、あの人はいつもの物忌ということだった。
物忌が終わってから二度ほど姿を見せただけだった。



還饗(かえりあるじ)は終わり、殿は奥深い山寺で祈祷をされることに、
なってなどと聞いてから、三、四日経ったが、連絡もないままだった。
雨がひどく降る日に、 心細そうな山住まいをしていると、普通の人なら、
見舞うものと聞いていたが時間だけが虚しく過ぎるだけだった。


「涙があふれてくるのもつまらない」

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忘れねと 言ひしかなふ 君なれど とはぬはつらき ものにぞありける

忘れてくださいと言って、その通りにしているあなただけど、
見舞っていただけないほど、つらいものはないと文に返事を認めた。



お見舞いをしなければならないとは、誰よりも先に気づいていましたが、
便りがないのはつらいものとわかってもらおうと思っていました。
わたしの涙は、もう一滴も残っていないと思いますのにこぼれます。



今ははや 移ろいにけむ 木の葉ゆゑ よそのくもむら なにしぐるらむ

今はもう 心変わりした 木の葉なのに 突き放されたわたしは、
どうして未練の涙が流れ落ちているのか、もう疎遠になっているのに、
涙があふれてくるのもつまらないことでと書いて送った。



また折り返し手紙を持って殿の供が持ってきたが、それから三日ほどして、
今日下山したと言って、夜になる頃見えたが、あの人がどんな気でいるのか
わからなくなったので、冷淡にしていると、あの人はあの人でじぶんは、
悪くないといった様子で、七、八日ごとに僅かに通って来ていた。


「ひどく思いつめてお参りした」

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九月の末頃になり、とてもしみじみとした空の景色になり、いつもより
昨日今日は、風がとても寒く、時雨が降ったりして、しんみりとした感じ。
遠くの山を眺めると、紫色の感じに見え、空も染まったように感じる。



み山には あられ降るらし 外山なる まさきの葛 色づきにけり

遠くの山ではあられが降っているらしい この山ではまさきのかづらが
色づいているといった感じで色鮮やかに、野の景色は美しと思ったりした。



見物のついでにお参りでもしたいわと言うと、前にいる侍女が、
ほんとうに、どんなに素晴らしいでしょう。初瀬に、今度はお忍びで、
お出かけになったとき、お参りをされるとよいなどと言っていた。



去年もご利益を試そうと、ひどく思いつめてお参りしたけれど、
石山のみ仏の霊験をまず見届けてから、春頃、あなたたちが言うように、
出かけましょうと話すが、その頃まで、こんな辛い身の上で、
生きていられるかしらなどと言って、心細くなって歌を詠む。


「名残りを惜しんでいるうちに」

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袖ひつる 時をだにこそ 嘆きしか 身さへ時雨の ふりもゆくかな

袖が涙で濡れるのさえ嘆いていたが 今は袖どころか身体まで時雨に濡れて
だんだん年老いてゆくと詠んだが、なにもかも生きてる事が無意味で、
つまらないと、しきりに思われるこの頃である。



そんな気持ちのまま毎日を過ごし二十日になり、夜が明けると起き、日が、
暮れると寝るのを日課としているのは、ひどく妙だとは思うが、今朝も、
どうしようもない思いで、外を見ると、屋根の上の霜が真っ白である。



幼い召使たちが、昨夜の寝間着姿のまま、霜焼けのおまじないをしようと
言って騒いでいるのも、とてもいじらしく思い、雪も負けそうな霜ねと
口を袖で覆いながら、こんなわたしを頼りにしているらしい人たちが
つぶやくのを聞くと、人ごとではない気がする。



十月もしきりに名残りを惜しんでいるうちに過ぎ去り十一月も同じような
状態で過ぎ、二十日になってしまったが、今日姿を見せたあの人は
そのまま二十日あまりも訪ねて来なく、手紙だけは二度ほど寄こした。


「妻戸を押し開けてあの人が入ってきた」

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あの人より、心穏やかではなく、あらゆる物思いをしながら生きており
気力もなくなった感じがして、ぼんやり暮らしていると、四日間の物忌が
次々に重なってね。せめて今日だけでもと思っているなどと文が届く。



不思議なほど、こまごまと書いてあるが、十二月の十六日頃のことである。  
肌寒い感じがしたが、しばらくして、急に空が一面に曇って、雨になった。
急な雨に、きっと困っているだろうと、さっきの手紙を思い出しながら
外を眺めると、暮れていくようであが、雨はとても激しく降り続いていた。



来られないのも無理もないけれど、昔はそんなことはなかったと思うと
涙が浮かんで、悲しくなるばかりなので、我慢できずに、使いを出す。

悲しくも 思ひたゆるか いそのかみ さはらぬものと ならひしものを

悲しいことにあなたはもう私のことを思わなくなってしまったのね。
昔はどのような雨も苦にせずいらしたものをと書いて使いの者に持たせた。



外を眺めながら、今頃使いの者が、着くころと思っている時に、南座敷の
格子も閉めたままの外の方で、人の声がして、使用人はだれも気がつかず
私だけが変だと思っていると、妻戸を押し開けてあの人が入ってきた。


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