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「ブログを暫く休みます」 「中国写真ライフ」では、 中国で出会った写真を公開してきました。 ブログを休むと言っても再開はいつになるのか? ![]() 昨年残暑厳しい折にまだ若い妻が早朝キッチンで 脳出血のため倒れており、偶々帰国していた私は 救急隊に連絡、緊急搬送し一命は取り止めたものの 医師よりは「手術は成功しましたが、奥さんの麻痺は 左半身で歩行困難な為、一生車椅子生活」と宣告された。 私は妻が一命を取り留めた事もあり、また中国の仕事の 事で妻を娘に託し私は中国へ行ってしまった。 ![]() 今回半年後に帰国し在宅介護中の娘に代わり介護中 私が2秒間ほど目を離した不注意で左半身不随の 妻が畳の上にバタンと倒れ、背骨圧迫骨折と 麻痺側の上腕骨折でチタンを入れる手術をした。 現在半年前に妻を病院に置いたまま私は中国へ 行ってしまった事に事あるたびに後悔していた。 現在私は中国へ行かず妻の傍に居るべきか思案中。 ![]() 私の母よりは「3人の子供を押しつけて好き勝手な事を して来たのだから、今後は妻の為に生きなさい」と言われ 今までも家族のために中国で働いてきたと思っている所へ 会社より「中国行チケットは取れましたか?」の電話に まだチケットを取っていない私は「はい」と弱弱しく 返答するが、今仕事を投げ出すべきか困惑している。 ![]() ブログに載せる中国内の写真画像はあるのだが 厳しい現状再開する気持ちのゆとりもなく 妻の傍らで手を握り締めているだけである。 まだ若い妻の顔を見ていると辛いが、不景気な世の中 小さな会社では長期休職などという申請も却下されるに 違いないだろう。そうかと言っても、専門職で中国語が 話せる人材を会社側が直ぐに探すのも大変だろう・・・。 でも妻の替わりはないが、会社での私の替わりは 不景気ゆえ、すぐに見つけられるのかも知れない。 私はただ自惚れているだけなのかも知れない。 ![]()
最終更新日
2012/04/05 06:16:16 PM
「南京事件15(完)」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 写真の「300000」の数字は今後も変わらないだろうし もちろん中国側からは変えようともしないだろう。 河村名古屋市長の南京事件はなかったのでは?との 発言に対し、名古屋市との交流を一時凍結すると 日本のマスコミが騒いだようであるが、こちらの メディアでは大きくは取り上げられてはいない。 また河村市長は昨年、南京市へ書面にて南京事件の 事柄を送っており、今回の交流一時凍結も南京側の 面子もあるが、交流団の中止は安全面を考慮して 全て中止としたが中国にいる日系企業はたまらない。 ![]() 私は右翼主義者でも左翼主義者でもない。 中国での日本人に対する言動についても 出張ベースで中国へ来られる人には 南京事件の事については何も言わない。 また片言しか中国語を話せない人にも 南京の虐殺については言わない。 上の写真は旧館の日本が造った記念館の遺骨だが 日本人の心を持っているならば、このような これ見よがしの並べ方はしないであろう。 ![]() 私のように中国の片田舎で20年近く中国の 人達の中で知人も増え交流が多くなる中で 日本人の残忍さを言われ続けた者にしか ブログに書いた辛さは分からないだろう。 上の写真は強制労働させられ病気で体が弱ると 日本人による残虐な殺人が行われた炭鉱労働者の 事柄を歴史教科書に載せて中学生に教育する。 犠牲者は10万人ほどと中国側では発表しているが その満州吉林「万人坑」で掘り起こされた遺骨が 南京の大虐殺記念館に展示し青少年教育している。 ![]() 日本人の残虐性の教育ばかり受けた若者たちが 日本人を憎むようになるのは当然の摂理であろう。 1992年以降の反日教育は共産党の思惑通りになった。 下の写真の花は「紫金草」や「二月蘭」と呼ばれる。 別名「諸葛菜」と呼び、孔明が占領陣地に食料として 栽培したということで諸葛菜とも呼ばれるようだ。 南京陥落から南京の紫金山麓で無邪気な少女が日本兵へ 手渡したとされる花であるが、南京では有名な話である。 ![]() 紫金山の麓で少女から手渡された紫金草の花の 種を採集して日本へ持ち帰り紫金草花の普及に 努めたのが今から70年以上前のことになる。 紫金草の花は「平和の花」として日本でも 多く咲いているので見た人もいることだろう。 2007年南京記念館の拡張工事で当時83歳の 故・山口誠太郎さんの息子さんが日本各地で 1000万円の募金を集め南京に寄付した。 ![]() 南京市は記念館に紫金草花園を造園し紫金花少女の 像も建て日中両国人民が共に平和を祈念する シンボルとして多くの人が少女を訪れる。 紫金花少女が左手に持つのが紫金草の花である。 反日デモも南京だけは一度も起こってはいない。 まだ南京大虐殺の写真は有ったが「大虐殺」の 活字は目にしたくないと言う少数ブロガーの 意見を尊重し、今回で終了と致しました。 私は一時帰国のための準備に入りブログの更新は 帰国してより、その時まで・・・。 次回は日本からの更新になりそうです。 ![]()
最終更新日
2012/03/28 11:37:50 PM
「南京事件14」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 旧日本海軍は朝鮮半島、現在の韓国済州島や 東支那海の空母から爆撃機で中国沿岸部を爆撃し 中華民国の首都南京へ兵を進め、南京を攻略した。 下の画像は中国の軍旅詩人「王久辛」が書いた 「狂雪」詩集で、王久辛は1956年生まれる。 「狂雪」は1990年に発表、1995年記念館へ。 大虐殺の事柄は1991年中国高校歴史教科書に載る。 翌年の1992年には中学の歴史教科書にも載った。 1991年当時、17歳として37歳ほどになっており、 中学で教育を受けた人でも34歳ほどである。 最近起こっている反日デモに参加している人々は 若い人や大学生が多く反日教育の副作用である。 ![]() 1937年11月、旧日本軍は上海を占領し上海から 南京まで移動する中、蘇州、無錫、揚州などで 潜む中国国民党革命軍に神経を集中させながら 南京へと向かい南京を包囲した。 蒋介石は南京を易々と日本軍には渡さない6ヶ月間 守りぬくと述べたが、6日間で陥落してしまった。 そして蒋介石は最後まで戦わず重慶へと逃げ去った。 取り残された国民党軍5万の将兵と25万の南京人民が 日本皇軍兵から大虐殺を受けたと主張するのが 所謂、南京事件であり南京大虐殺と呼ばれている。 下の画像の足型は、78歳から89歳の人達が多い。 南京事件の証言者の足跡の形をとったものである。 ![]()
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2012/03/27 06:12:39 PM
「南京事件13」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 上の写真は南京大虐殺を描写した油絵であるが リアルさを超えて実に奇妙な油絵である。 旧日本皇軍の二人の将校が腕組みをして 仁王立ちしている姿を描いたのは旧日本軍の 兵士が如何に残忍だったと印象付けたいからだ。 多くの中国人は、この油絵を見て日本人の 残虐さを確信しただろうし、日本鬼子と呼ぶに 相応しい絵に仕上げられているが、もし私が その場に居たのなら、直視は出来ないと思う。 ![]() 南京大虐殺は中国共産党により捏造された。 中国国民党の調査で大虐殺前の南京の人口は 20万人であったと報告されている。 だが、南京大虐殺での犠牲者数は30万人とされ また同じく南京安全区国際委員会の事務局長の 報告では旧日本軍の南京陥落の3ヶ月後の人口が 25万人であったとされ、旧日本軍が南京へ 入り物資を配る噂で人口が増えたとしている。 万が一にも中国共産党の主張する南京大虐殺が 本当に有ったとするならば、南京の人々は 我先に逃げ出しているのではないだろうか? ![]()
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2012/03/26 07:45:22 PM
「南京事件12」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 「通州事件」の事も手伝い旧日本皇軍が 南京占領時に復讐心で南京事件が勃発した。 孫文と結婚した宋慶齢の妹の宋美齢は蒋介石と 結婚したが、南京事件の事をアメリカにおいて 反日運動の目的で世論に訴えたが反応なしだった。 宋美齢は南京事件の犠牲者の数を大幅に改ざんし 中国兵が犯した「通州事件」の残虐な写真を レイプ・オブ・南京として日本兵の仕業だと発表。 中国側が行った満州馬賊の惨たらしい公開処刑写真も 日本軍の残酷な仕業の証拠写真として発表した。 ![]() レディー・ファーストの国アメリカは人道主義に敏感で レイプ・オブ・南京のテーマで反感ムードが一気に 高まり、ここでも宋美齢の策略の罠に落ちた。 アメリカ大衆は南京での日本軍の野蛮行為に憤り 悪い日米関係に火を注ぎ反日の感情は高まった。 このアメリカ世論の意識を行動へ誘導した中国側の プロパガンダ作戦は成功し更に中国側に武器を提供 アメリカの武器により旧日本軍兵士の多くが死亡した。 (画報は大阪毎日と東京日日の特派員の写真を掲載) ![]()
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2012/03/25 08:27:36 PM
「南京事件11」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 初め難色を顕にした中国共産党幹部に日本社会党が 資金を提供してまで推し進めた大虐殺記念館とは何か。 それまで日本が大好きと言っていた中国の青少年までが アンチ日本となり反日デモの先陣を切っている。 反日デモをする彼らに、大虐殺記念館を建てたのは 日本だと話した所で信じないだろうし逆効果でしかない。 1937年7月7日盧溝橋付近に駐屯する旧日本軍に中国 共産党革命軍は中国国民党と日本軍の緊張状態の中 ゲリラ軍の共産軍が発砲し両軍の戦闘を招いた。 旧日本軍は中国国民党革命軍と思い込み発砲したが 問題が大きくなると判断し発砲を中止した。 これを中国共産革命軍は日本が弱腰になったと さらに発砲を続け盧溝橋事件勃発へとつながった。 旧日本軍は完全に共産革命軍の罠にはまった。 ![]() ゲリラである共産革命軍はその場を逃げ去った。 盧溝橋事件が勃発したが、停戦協定がなされ 落ち着いたものの今度は中国国民党が協定を破り 攻撃を仕掛けてきた。更には通州事件へと発展する。 中国支那保安隊による虐殺は日本本土へ知らされ 日本国民の世論も手伝い軍部を激怒させた。 日本では直ぐに派兵をするべきか意見が分かれた。 中国側は戦争を継続させる為、停戦協定も何度となく 破られ、遂に日本は派兵を採決し支那事変となる。 中国国民党に対し米英は、武器と資金を支援し日本に 対しては経済制裁を行なうなどの行動をとった。 日本海軍は空母から爆撃機で中国沿岸部を爆撃し 中華民国の首都南京へ兵を進め、南京を攻略した。
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2012/03/24 07:09:04 PM
「南京事件10」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 上の絵の写真は虐殺を始めたところの1シーンだが 日本皇軍で使用されていた機関銃は九九式軽機関銃。 1分間に550発を発射させる事ができるが装弾可能は 30発なので何度も装弾しなければならない。 1ヶ月余りの期間、南京市内を巡回して残党兵を 射殺するだけでも大変な精神的苦痛を受けるだろう。 その前に残党兵は戦意を喪失して士気が下がり 白旗を掲げて投降して来たのではないだろうか。 中国の映画やテレビでは、投降した便衣兵を集め 虐殺に及ぶシーンを延々と映し出しているが 当時の日本皇軍の機関銃では延々と射撃できない。 ![]() 中国側が問題にしているのは日本の残虐行為だけで 南京攻略までに至った前後関係には口を閉ざしている。 日本人が忘れ去ろうとしている。または全く知らない 中国軍による日本人居留民の虐殺「通州事件」の事を。 中国の居留区に暮らす大勢の日本人を虐殺した。 「通州事件」日本の世論を奮い立たせ日本皇軍を動かし 南京攻略に踏み切り命を下したが上海で戦死者が続出した。 下の写真は「支那事変」で皇軍連戦勝利の「画報」である。 ![]()
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2012/03/23 07:31:31 PM
「南京事件9」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 東京裁判で日本軍将校2人が日本刀でどちらが早く 100人を斬るか競ったとされる将校が死刑になった。 将校が腰に掛ける軍刀は指揮を高めるためのもので 武士の魂の日本刀ではない。日本刀であっても一度に 人を3人斬れば刃こぼれがしてしまうであろう。 座頭市のように一度に何十人も斬れるような映画の 世界ではない。人を斬れば血糊が付着し切れ味が 悪くなってしまう。骨まで斬れば刀は曲がりくねる。 それとも将校は30本以上の軍刀を事前に用意して 100人斬りを行ったのだろうか。不思議である。 ![]() 上の写真は5連発発射できる小銃だが、例えば 日本皇軍兵士3千人で1人が100人虐殺すれば中国 共産党の主張する「300000」の数字には到達できる。 戦後66年過ぎた今でも、多くの中国人の恨みを残す 「南京事件」が今でも日本との政治の駆け引きに 必ずと言ってよいほど使われてしまう。 「南京事件」はあったのは事実であり認めてもいる。 中国の各工場を訪問した折、初めはピリピリしていた 中国の若い人達も、私に慣れて来ると南京事件の問題を 必ず言い出すが、どこの工場の作業員も同じである。 私が黙っていると、黙っているのは認めているからと 薄笑い顔で言い出すので、何とも辛い思いをしていた。 (館内は全面撮影禁止であるので注意)
最終更新日
2012/03/22 08:20:34 PM
「南京事件8」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() 写真は「平和の鐘」の書かれた中国文を アップで撮ってみたが上手に撮影できていない。 内容は1937年12月13日に日本侵略軍は南京を 占拠し6週間の長きに渡り残忍な暴行大虐殺を 行ったと書かれ、レイプの事も書かれている。 平和の鐘は2006年9月24日に寄贈されたが 寄贈したのは日本2団体中国5団体を含む10団体。 2011年12月13日の南京大虐殺74周年記念の 追悼集会に平和の鐘が撞かれ鐘の音が響き渡る。 中国の報道では、日本は南京事件を避けているが それでは双方の国民感情のわだかまりは解けない。 何故日本は南京事件に向き合って話が出来ないのか 日本の首相が南京を訪問し犠牲者に献花し謝罪すれば 必ず分かり合う事が出来る筈だと報道した。 ![]() 2012年の12月13日には75周年儀式を挙行し その儀式に日本の首相が参加し犠牲者に献花する事が 一番望ましく日本人に対するイメージも大きく変わる。 中国人の日本人に対するイメージは74年経った今でも 何も変わってはいないし、テレビや映画で描かれる 抗日戦争の日本人は極悪卑怯で小心者として描かれる。 中国国民の日本人に対するイメージは毎年ダウンし 現在の多くの若者は極悪日本人と記憶されている。 だが、そのようなイメージ作りを誰がして来たのか 日本ではなく中国共産党の政治戦略の中で中国国民が 騙されていた事実を知ったならば、どうなるのだろう? ![]()
最終更新日
2012/03/21 09:56:38 PM
「南京事件7」 「中国写真ライフ」では、 江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。 ![]() (写真は日本軍の大虐殺が行われたとされる 1937.12.13-1938.1までの刻印である) 「南京大虐殺」いわゆる「南京事件」は捏造や 虐殺人数を改ざんし、いつの間にか変化していった。 一人歩きしたと評論家は言うが、私はそうは思わない。 毛沢東は日中国交回復の時点で周恩来総理に中国 共産党が勝利を収めたのは日本が蒋介石軍と戦い 打撃を与えた為、共産党は国家を樹立出来たと言った。 南京大虐殺記念館は大日本帝国皇軍と中華民国国民党の 蒋介石政権との間で行った日中戦争で中国抗日戦争に まつわる記念館として中国最大規模の記念館である。 然るに一人歩きではなく、中国共産党が故意に捏造し 代々の首脳陣に受け継がれたがゆえに、今回の河村市長の 南京事件はあれほど酷くは無かったのではの発言にまるで 反抗期の子供のように友好凍結などと言い出したと思う。 ![]() 抗日戦争で死亡した中国軍は380万人余りで中国人民の 死亡者数は1000万人と発表していたが1985年の 抗日戦争勝利40周年記念の折に2000万人と2倍の 死亡者数にすると、改ざん数を発表した。 大日本帝国の犠牲者は軍人230万人余りで一般市民は 広島長崎の原爆犠牲者も含めても80万人余りである。 この死亡者数から推測しても南京での虐殺が 30万人とは、誰が考えても不思議この上ないと思う。 南京大虐殺記念館は抗日戦争の代表格として中国共産党の 愛国主義教育基地に指定されており、この記念館を 事もあろうかユネスコ世界文化遺産に立候補している。 (写真の平和の鐘を支える柱は1本で10万人を意味する)
最終更新日
2012/03/20 08:12:22 PM
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