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碁法の谷の庵にて

1831

> 「相克に苦悩する」という弁護士の宿命が全く分からないのだ。その結果、「被告人に対する誠実義務」だけをしたり顔で主張してしまい世間の顰蹙を買うことになる。

「職務を離れた一個の人間」としては、苦悩することもあるだろう。
 職務上有罪判決を書くしかない裁判官。
 職務上起訴するしかない検察官。
 職務上弁護するしかない弁護士。
 そんなことは、法律家をやっていれば多数回あって、人間ならではの苦悩にさいなまれることもあるだろうと思うし、しんどい決断も少なくないだろう。

 だが、どんなに少なく見積もっても、バカなことを言っている被告人を見捨ててよい、その弁護活動を手抜いてよい、被告人に不利な訴訟活動をしてもよい等という結論はあり得ない。
 最終的な結論は「とっくのとうに決まっている」のである。   

 市民的正義感や個人的正義感に反するから被告人に不利なことをするのは弁護の自殺行為である、と少なくとも司法研修所の実務テキストには書いてある。いかな苦悩しても、外に向かっては、最大限弁護活動をしなければならないという結論は揺らいでくれない。
 苦悩は全て自身の内心での苦悩として克服しなければならず、外に向かってはオクビにも出せない。安田弁護士らが、いや、私もこんな弁護していいのかと苦悩したんです、なんて言えるわけがない。
 それが分かっているから、多くの弁護士が少なくとも荒唐無稽な弁論については、安田弁護士らを(テクニックの問題としてはともかく)倫理違反などと非難しなかった。むしろ、自分もこんな立場に立たされる可能性があるということで、懲戒請求に抗議声明を出したりした。

 そこまでわかって、初めて弁護士の宿命を理解したことになる。twitterの短文をそのまま鵜呑みにしてはい分かりました、では全然ダメなのだ。


>さすがトホホ論法の名手である。他人をだしにつかって何かをほのめかしつつ、自身の責任は逃れる。

 当たり前だ。私の主観だけを並べ立てたところでなんの益もない。
 少なくとも私より優れているであろう人の見解を並べる。それだけだ。論文であれこれ参考文献を引用するのは文責をそっちに押し付けるのだ、とでも言う気なのだろうか?
 人には資料を引用しろだ何だとさんざん言っていたくせに。
 

>「弁護団」というのは「モーニング娘。」「AKB48」のような記号である。「モーニング娘。と一口に言うけど、デビュー当時と今とは全然メンバーが違っていて、…」なんて語り出すのは、たいていの場合は見当外れだ。「モーニング娘。」の本質は構成人数、構成員にあるわけではない。

 人の心性などをこき下ろす場合においては、大切なのは個人であることが動くはずがなかろう。
 文脈で判断できるというが、その程度のことも区別できず懲戒請求を送りつけた人物があの頃は余るほどいたし、荒唐無稽な弁論をした「弁護団」をぼろぼろに非難しておきながら、いきなり何の断りもなく欠席事件を付加する。
 そうすると、この人はまさか分かっていないのではと思われて当たり前である。というより、それで分かっていないんだと騒ぐような論法を一番使ってきたのはhide-w氏本人であろう。

>彼の言う「ネット世論」というのは「光市事件弁護団に批判的な意見」だけを指すらしい。

 どうしようもない言い分だとしか私には思えない。
 「世論は民主党を支持している」→「自民党を支持している連中はどうなるんだ!」なんて話にはまずならない。世論というのは多数の傾向である。そこに置いて少数のそれが切り捨てられるのはおかしな話ではない。
 世論の多数は・・・と言えばいいのだろうか?

>弁護団批判は他のメディアでもあった。しかし彼はなぜか「ネット」だけ特別視する。

 むろん大問題だ。だからBPOは意見書まで出している・・・と言ってももはやhide-w氏はそれを読む気すらないようだが。
 だが、懲戒請求という、実害の大きい事態にまで至らせたのはネットだ。橋下氏も、ネットを使っていたのだ。懲戒請求の多くは、ネット上にアップされたテンプレートがそのまま使用されていたのである。
 http://sok-sok.seesaa.net/article/46983331.html
等もみるといいだろう。

>まるで「一般人」という特定の人格が存在するかのようだ。

特定の人格は存在するはずがない。しかし、確実に両者はかぶっていて世論を形成しているのは間違いない。石の声に実例複数。
あんな弁明をすれば怒るはず…とかいってたのはどこの誰だったのだろう。


>悪質教えてくん

あの単語は別に必死に作ったものではなく、3年以上前に作った単語を流用したものなんだけど。というか、そう書いた気が。

>自説の参考資料(補強材料)を提示することはゲームでいう「カードを切る」「切り札」ということだ。

んで、その切り札とやらに対してどこ吹く風を決めこんでいるのはどこの誰なんで?

>筋悪だが勝てない碁敵に対して、このようにいちゃもんをつけるのは単なる負け惜しみである。

碁と違って議論は客観的に勝敗が出ない。
碁なら、応対拒否は負けだが、議論はそうではない。応対しないことが正当化される場合もあるし、応対を拒否したって客観的に負けと言う事態にはならない。
負かしてみろ負かしてみろと彼は挑発するが、それは無いものねだりだ。

>外形的にケチがつけられない場合には「考え方が間違っているかもしれないから、外形的に正しくてもダメ」となんだかよく分からない理屈

結論が正しいかどうかは分からないけど、考え方が身についていない、信用できない、と言っているのである。
何度も言ってきた。李昌鎬が頭を抱えているようなシーンで、初級者が言った手を誰が信用するのだ、と。もちろんその初級者がばっちり応対しきればよい。しかし解が出せる世界ではない以上、そんなものは無理だ、ということ。

>そういうことは「考え方の間違い」を暴いてから言って欲しいものだ。

あなた、今まで何度法律について無知がばればれの文章を書いたのか?
再審の要件とか裁判所の訴訟指揮とか弁護人の義務とか。裁判所の訴訟指揮については明らかにすいっと無視して話を進めている。
分かったから黙っているのかと思いきや、次に言い出すのはこれでは、どうしろというのか。

>法曹は各自勝手なことを言い、勝手な解釈をするだけでも困らない、そういう世界なのだろう。

それで裁判に勝てるはずは無い。
もっとも、裁判官も聞く耳は持っているから、提示した物を読まないなんてことはない。

>囲碁は遊び・ゲームだからこそ、冷静に考えられるし、筋を通すことも可能ですが

恐ろしい意見である。「冷静に考えられる、筋を通さなければならない」のは裁判や司法のほうである。人情としての可能不可能の問題ではないことは法治国家、法の支配の常識に過ぎない。
逆に言えば、囲碁だからこそ、ある程度まで鷹揚な考え方が許される。
重大なことをすればするほど手続が厳格になってくるのは、常識だろう。刑事訴訟だって、法定刑その他に応じて処罰が重くなればなるほど手続は厳格になっていく。
そして、私は何度も自分の考えた世論の根拠が脳内であることを認めているし、また刑事訴訟の世界では社会通念はこうだという主張や判決を書くのにわざわざアンケートをとらない、という話も既にした。
そこをいつまでたってもしつっこく蒸し返しているのはhide-w氏のほうだ。

この話題についてはループが目立ってきたので、彼から新たな論拠や反論が出ないうちは、何を言ってきても反論しないことにする。

>裁判に期待すべきでないものの筆頭は 正義 だ。
>官僚や政治家どもの教養はおおむね 人を煙に巻く のに役立てられて終わる。
>官僚 の仕事とはもっぱら彼らを必要とする仕事を作り出すことだ。
>官僚たち、ついで政治家たちに最も効率よく、かつ確実に存在理由を供給する組織が 国家 と呼ばれているものだ。

さらっと批判風のことを書いた・・・ようにしか私には見えない。

1番目・・・その通りかもしれない。少なくとも、各人の頭の中にある正義がそのまま実現されるとはいえない。個別的事件用の正義もあるが、全体を貫くルールのほうを優先すべき時だって、確かにあるのだから。
民事で和解もすることなく、まともにバトルするような裁判なら、片方にとっては不当判決であって全くおかしくない。

上から2番目は、聞くほうに聞くつもりがない場合が多い。
国を動かす基本的な仕組みも分かっていないし、勉強する意欲も無い人たちには、それは煙に巻いたと思われるのかもしれない。

上から3番目。法律家が紛争を焚きつけるというのだろうか?

上から4番目。コメント不能。

>別のコメントを見つけた。

 2年余の間に、当然私は本村氏の言説をそれまで以上にあちこちで見ている。
 2年余の言説からみて、本村氏は、相当考えているという結論に達した。それだけの話である。
 私からすれば批判すべき点もあると見る2年前の言説が「考えていなかった」のか、「考えたけどそっちの結論に達した」のかはわからない。
 むろん、あのネット世論と本村氏を重ねてみてしまっていた部分もあり、その点は私の反省しなければならない点であろう。同旨のことは下のブログに院生というHNでコメントした。
 http://sok-sok.seesaa.net/article/94491571.html
 個別の各論レベルはどうかわからないが、少なくとも彼は自身の発言の影響を慮っていることはよくわかった。
 そのため、彼はほとんど言論活動をしなくなってしまった。差戻し控訴審判決以前も、世論が弁護団vs遺族という対立構図に流れたことを痛恨とし、自分自身で出てこなくなり、判決でやっと記者会見をしただけ。
 懲戒請求扇動訴訟第一審判決では、毎日新聞に賠償を認めた判決は正当とまでコメントを寄せたという。
 いくらなんでもそこまでしなくても・・・と個人的には思うのだけども、本村氏はその辺よく考えているという結論に私は達した。

>堪忍袋

 私が堪忍袋の緒を切ったのは、おおなかこなかの主の不誠実さにある。
 青いのはとっくに自覚している。まだまだ私など若造だ。
 だが、おおなかこなかの主はそれを上回る不誠実な態度で人をののしったのだ。例え青いと言われようと、誠実に検討した結果を言っているのなら私は受けたつもりである。
 だから、万に一つでも撤回するかもしれないと、あの頃まで我慢していたのだ。

 
>反対言論に「やめろ、だまれ」という本音を吐露してしまう

 反対言論が崩れて行くのを見てゲタゲタ笑えるのは第三者同士の話である。
 誰がお前なんか法律家としてやばいみたいなことを分かっていない人に言われてそういう本音を持たないと思うのだろうか。

>具体的にその「明らかにした」部分を引用(URL付記)して欲しい。

 なんで彼向けに書いた文章を再度引用するのだろう。ついでだから他の人に書いた文章も書くけど。
 もう一つ、懲戒請求に絞って言えば最高裁判決(最判平成19年4月24日判決など)も参考になる…というか当然知っておかなければならない。

 http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002007
 
 非難や批判が変な形でいけば、弁護士の「信用」も傷つく。今回がまさにそうで、懲戒請求という形であのバッシングは結実した。
 弁護士が依頼人から信用してもらえなければ、依頼人の利益はきちんと守れない。そうなれば、弁護士本人はもちろん、その弁護士に依頼していた依頼人だって損をしてしまうことがある。(依頼者が信用して喋ってくれれば対策があったのに、信用しきれず喋ってくれなかったために裁判でよもやの見通し違いなんてことはありえる)そういう意味であんなバッシングは重大な業務妨害なのである。

 http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/002013

 世間一般にとって、彼が悪いことをしたといわれるのは、車を作って売る企業があの企業の車は欠陥車だと言い立てられるに等しいです。例え真実そうでなくとも、営業に多大な影響が及びます。
 また、個別の依頼者から依頼者から信用を失えば、職務の遂行に支障をきたす恐れが出てきます。(相手が勝手に情報を隠したりすれば、正確な見通しが立てられずアドバイスもろくにできなかったり)

 >彼は少しでも自分の気に入らないことがあるとそれを針小棒大に言ってヒステリーを起こす。

 部分をつまんで一部でも理解できていれば、それで全体が分かっていると思っているのだろうか。発言の責任は被告人にある、という一部が分かっているだけでは何にもならない。
 針小棒大というが、「針小」という判断をすること自体が「分かっていない」のである。 

>「あの教授」や「過去記事」の具体的内容(URLだけでよい)なんて人に問われる前に示すべきことだろう。

 別にそうは思わないが。
 まして、過去記事示せなんて、つまり特集まで組んでいる他人の記事を読んでいない証拠だし。

>事実を正確に捉えて表現する能力がないことの例証である。

 自説を盾に他人をボロカスに批判する場合には、大好きなという表現を私は用いる。もちろんそれは関心があるだろうなという判断が前提だ。
 一回しか批判していない?一回でも「冤罪を作っている」などと、ボロカスに非難していたじゃないか。
 相応に関心があるものと判断した。実際には関心があるだけであっちとこっちで言うことに統一性なしのカメレオンだったが。

>彼のブログはほとんどこれしか書いていない。足利事件は司法関係のブログにとって重要な話題であるにも関わらず彼はノーコメントでした。つまり、興味・関心が極端に偏っているということです。

 別に、光市事件については一生懸命論じていたけど他は論じていない弁護士ブログならいくつか知っているが?
 あいにくこっちにだって私生活の都合というものはある。あの頃はまだ大学院生だったが今の私はそうじゃない。そこにも思い至らず、「興味関心が偏っている」というのは、hide-w氏はよほど暇な生活を送っているのだろうか?
 光市事件の場合、問題点の共有ができていなかったが、足利事件の場合は、一通りの問題点の共有もあると見ている。DNA鑑定の問題点を指摘した記事なら一般論として過去にも書いたことがあるし。

>しかし、内容的に 1. と 2. はほとんど関係ない。BK氏が「事象Aの特別例」として引っ張ってきた人物を、風の精ルーラ氏は「事象Bの一般例」として用いている。

 同じ人物を使っているからずるいと言っているのではない。
 人の出した例だけ、「例外」とさらりと言ってのけるのがずるいというのである。何か反証を出すたびに、あれは例外、それも例外と重ねて行く論法はずるさの極みだ。例外だ、と言ってはいけないわけではないにしても、何がどう例外なのか説明してもらわなければ困る。
 まあ、BK氏の30件では分からない指摘ならその通りであるが。

>光市事件での一面的な言説も「刑事弁護のタテマエ」という一点しか考えられない次元の低さに起因しているのだろう。

 タテマエを動かして何が「民主主義の手続」「法治国家の手続」か。
 
 むしろ、「いかなるホンネがあってもタテマエでなすべきこと」が分からない人がいる(それ自体は、決して悪い心情だとは思わないが)から、職務をやっている人たちはホンネを外に出すことができなくなる。
 彼等の前でホンネを漏らせば、結局タテマエも壊してしまうからだ。
 また、正面から人に言いがかっておきながら自分では被害者面をするような不届き者の相手を慮る人間は、当然だと思うのだろうか。

 そんな中で、腕まくりしてタテマエを押し立てることを持って次元が低いというのなら、私は次元が低くて結構である。誰しもお釈迦様や良寛様ではないのだ。


>「起訴して無罪になる」ことがまるで検察の失敗であるかのように考えられていて、確実に有罪にできる案件しか捜査・起訴しないということをやっている。逮捕されれば、ほぼ「罪人」扱い、起訴されれば「罪人」確定というのが日本の現状だろう。

 実際、そのようなあり方でよいのか、と言う問題意識は確かにある(ぶっちゃけ、私の師匠の元裁判官がそうだった)。今の日本のあり方を精密司法と呼ぶのに対し、ラフ・ジャスティスと呼ばれるようなあり方であり、決して突飛な問題意識ではない。
 ただし、である。今の日本のようなやり方をとらず、疑わしきは起訴という運用を固めた場合にどうなるか。
 当然冤罪あるいは裁判で無罪判決を受けるべき者が検察の段階で、早期に開放されるというメリットはがくっと落ちてしまう。また、証拠不十分段階で起訴せざるをえなくて無罪判決になってしまい、後から決定的な証拠が偶然出てきたけどもうやり直せないと言うオチになることもある。
 イギリスなどは、確実に有罪で無い事件もボカスカ起訴する代わりに冤罪も多く、再審の認められる件数はかなり多い(私の師匠の元裁判官談)上に、死刑制度も冤罪の発覚によって止めることになった。(hide-w氏は廃止論だが、死刑制度は内閣府の世論調査でも幅広く支持されている)

 少なくとも裁判官をきちんとさせるために、無実の可能性が高い人間をいつまでも被告人にしておく、と言うのを認めることであるというのは認識しておくべきだろう。
 その上でもそれがいいのだ、というのであれば主張していけばよい。

>神の視点で「冤罪率が低い」ということを言っているなら「有罪になるべき罪人が無罪になってしまう」という過失も合わせて考える必要がある。極端なことを言えば、全ての容疑者を無罪に扱えば、冤罪発生率も 0% である。

 神の視点、というつもりだが、それがなぜ有罪になるべき罪人が無罪になるという過失まで引っ張りこむのか、あいにく私にはわからない。神の視点で言っているからと言って、そこに神の能力をも求めるのは筋違いだ。神の能力がない分は、フェイルセーフで補うしかない。
 また、極端な話について言わせてもらえば、真実発見による真犯人の確実な処罰と人権保障の相克は、日本に限らず世界的に見ても難しい問題であることを、さらさらと語るhide-w氏がどれだけわきまえているか疑問だ。
 BK氏のよく主張している、「取調撮影」なら、外国は取り調べに依存しなくてもいい刑事実体法や司法取引手続、被告人に部分的ながら挙証責任を課すような国だってある。それも先進国と言われる国でだ。司法を真実発見の場と捉えがちな日本人に、ある程度真実を捨象する司法取引が受け入れられるか。検討しなければならない課題は多い。(官僚作文だが、検討した結果には従うつもりなのでこの表現使用。)
 身柄拘束期間だって、被疑者・被告人の立場で見れば長いが、ドイツ・フランスなどからすれば短く、なんで日本はこんな期間で捜査できるんだ?とさえ言われる。(かつての取調撮影反対あるいは慎重派実務家の論文を探して読むとよいだろうし、ここでもその話題は扱っている)

>語義・用法はともかく「誤りを認めて反省する。謝罪する」という態度が大事である。

 一般論としてはその通りであるが、裁判所の取れる立場におのずと限界があることも、認識しておくべきだろう。それを越えた謝罪要求は、すっきりするための自己満足でしかない。もちろん、足利事件も同じで、多くの人はその限界で対処できることだったじゃないかと主張しているのだ。
 荒唐無稽な弁護をした弁護人が荒唐無稽だったし実際間違っていたからごめんなさい、といえるかどうか考えてみればよい。
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