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碁法の谷の庵にて

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2005年10月18日
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カテゴリ:法律いろいろ
 先日の関東リーグで他の大学の某くんが法学部なんで法律のところも興味深く見ていると教えてくれた。ありがたいことだ。
 と言うわけで今日も法律の話をしよう。いつ頃ネタ切れになるか、ちょっと楽しみかもしんない。


 では本題。

 刑法は、国民の人権を直接制限する法律である。法律はないがこうする方が公平だから罰してしまえ、などと言うことは断じて許されない。たとえそれで本来処罰すべき人間が処罰されなかった、軽い罰で済まされたとしてもそれはきちんと法律を整備しておかなかった国会議員、あるいはそういう国会議員を選んだ国民の責任である。裁判官の責任ではない。

 だが、民事法はそうではない。一般的な契約・権利主張の中で、直接国民の権利をぶち壊すというような性質のものとは言い難い。そこで民事法の根本である民法は1条2項信義誠実の原則(信義則)を、1条3項に権利濫用の禁止を定めている。
 要するに、世の中に存在する信義に基づいて誠実に行動しなさい、そしていくら権利があるといっても不当な行使(濫用)は認めませんよ、と言っているのだ。
 こうした条文は別に「法律の解釈で分からないところがあったら信義・誠実に従え、濫用を排除しろ」というような解釈の方針を定めただけではない。例え法律の条文その他の中で正しい権利があるとしても、信義に反するやり方で行ったり、権利濫用と見るしかない権利行使は認めないぞ!!と言うことであると考えられている。


 分かりやすい裁判があるので、事例を解説しよう。
 通称「宇奈月温泉事件」。大学の法学部で最初に知る判例はこれかも、と言うくらい有名な判例だ。


 「ある112坪の土地はその隅っこに富山県の宇奈月温泉に続く引湯管がかかっていた。Aはそれに目をつけ、その土地を買い取った上で宇奈月温泉関係者の鉄道会社にその土地と周辺の土地合計3000坪を時価の数十倍の値段(坪7円、ちなみにAが土地を買った金額は坪26銭)で買うか、管をどけるかを請求した。鉄道会社から管のかかっていた土地を買い取りたいという申し出があったが応じなかった
 なお、この112坪の土地は植林などにも利用できない荒地だった上、管が通っていたのは僅かに2坪分だった。また、管をどけるとなると宇奈月温泉の工事日数は270日、費用は戦前の物価で1万2千円、しかもその間温泉は操業停止に追い込まれ700人近い住民が困窮に陥る。」


 所有権を持っている人間は、自分の所有権の行使を妨害するような人間に対してそれをやめろ、ということができる。こうした権利は所有権と言う権利の性質上当たり前のことだと考えられており、これを疑う学説は存在しないといってもよい。隣の家の人が自分の土地にはみ出して物を作ったりすればどけろ、賠償しろと言えるのはそういうことだ。
 法律の形式的に考えれば、勝つのはAである。ほとんど利用価値のない土地とはいえ管が土地利用を妨害しているのは事実だし、いくら重要な管でも他人の土地を通って管を通していい理由はない
 買い取りの申し出を突っぱねるのも、どうしてもと言うのなら他のところと抱き合わせで高く買えというのも、契約をするのは人の自由なのだから何ら文句を言われる筋合いはない。
 法律的に形式論理を組み立てるとそうなる。

 しかし、Aは自分でそのことを知りながら土地を買い、暴利をむさぼろうとしているし、そのために相当700人以上もいる温泉街の住民に致命的な損害を与えるような行動は、一般市民の感覚に限らず取引の世界に行っても正常な観念から外れた行動だ。
 そこで、大審院(現在の最高裁判所)は、これを「社会的に認められる所有権の行使を逸脱した行動で権利濫用に当たり、認められない」と言う判断をした。(大審院判例昭和10年10月5日)この判断は今でも一般的に支持されているといってよいだろう。

 ちなみにこの事件を特集しているページを見つけたので見てみたい人はこちらからどうぞ。と言うよりこのページを見つけたことがこの文章を書いたきっかけと言える。


 権利濫用・信義則違反と見られる場合は、大きく

一、権利行使によって得られる利益が僅かなのに失われる損失が膨大な場合
二、権利行使の目的がそもそも利益ではなく他人の損失にある場合
三、自分のこれまでにした行動と矛盾した行動を取って他人に予測できない損害を与える場合

 などに分けられる。宇奈月温泉事件の場合は、概ね一の類型に該当するといってよかろう。


 もっとも、こうした権利濫用、信義誠実の原則をあまりにたくさん使うのは問題がある。権利濫用、信義誠実の原則はどうしても基準がはっきりしないし、原則である法律の条文を乱す。こうした条文は使い方によっては既にある法律をぶち壊すようなことさえ可能なのだ。いくら民事法だとはいえ、憲法違反でない限り国会が決めた法律を無にするような法律解釈はそうそう許されることではない
 例えば「時効」。特に他人への不法行為への時効など自分で不法行為をやっておいて逃げ回って時効を主張するなどそれ自体信義誠実違反とも思えるが、法律に規定がある(民法724条)し、それで時効を主張するのは信義誠実違反で認められないというのでは法律の条文の意味がなくなってしまう。国民が法律を知って自分の行動を律することも難しくなるし、裁判になったらなにを立証したらいいのかも難しくなる。

 実際のところ他の法律の条文の解釈で何とかなるときは使わないし、ちょっとやそっと不公平だなあ、かわいそうだなあと言うだけではなかなかこうした条文は使えないのだ。



 民事裁判にも思わずえーっ!!と言いたくなるような判断はある。そして、民事裁判にもこうした「非常階段」は用意されている。
 しかし非常階段を普通の階段のように使ってはいけませんよ、と言うのが今日のお話でした。

 ちゃんちゃん。





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最終更新日  2005年10月18日 13時40分38秒
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