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碁法の谷の庵にて

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2006年03月16日
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カテゴリ:その他雑考
 先日時効が成立した札幌信金の殺人事件を中心に、ニューヨークタイムズが時効について語った記事。これを朝日新聞が取り上げていたのだが、関係者が揃って呆れ返っている。



さて、以下の文章をなんと訳しますか。


In Japan, Justice Is Not Only Blind, It Holds a Stopwatch


 not onlyの意味は高校生なら分かるでしょう。「○○だけでなく」と言う意味。「Holds a Stopwatch」はストップウオッチを持っているということ。

 朝日新聞でこれを書いた記者は、最初「日本の正義は不平等なだけでなくストップウォッチまで持っている」と訳した。

 最初、原文を知らなかったので、ふーん、と思った。日本の司法は平等や公正と言ったところでは比較的よくできてると思うけどなあ、裁判の構造なんかアメリカ流の刑事裁判だし・・・と思って内容自体にしっくり来なかったのだが、まあ心の隅にとどめておいた。

 ところがどっこい、後日の夕刊を見ると、朝日が訂正記事を載せている。
日本の正義は公平だが、ストップウオッチを持っている
 だったという。ネットで原文を調べてみてびっくり。そう、誰かがBlindを不平等という意味にとっていたのである。

 目が見えないというのを「不平等」とかの意味に取られたのは残念だし、正直なところ憤慨している。別にそれは盲目の人であれば性格が曲がっているという差別をあおっているからと言うわけではない。



 実は、正義の女神ジャスティス(ギリシャのテミス・アストレイア、ローマのユスティティア)は、右手に裁きを意味する剣左手に正義をはかる天秤を持っている。(彼女の詳しい解説はこちらへ
 天秤は弁護士バッジの象徴であり、夜空のてんびん座だ。また、彼女自身がおとめ座になっている。(私は13星座ならおとめ座)
 だが、本当はもう一つ、彼女は自ら盲目になるべく目隠しをしているのである。外見やよけいな先入観にとらわれず、あくまで正義のみを公平に見定めるためだ。目隠しは正義に要求される公平の象徴なのである。
 私はここを開設して3日目にその話をしたので、これもよければ見て欲しい。


 そう、本文の正解は「日本において、正義の女神ジャスティスは目隠しをしているだけでなくストップウオッチまで持っている」と言う訳が私の解答。この文章を書いてきたら私は花丸をつける。
 もうちょいわかりやすく「正義は公平だが・・・」でも十分合格だが。
 見出し文字の単語の冒頭が全部大文字なのが一つ訳しにくい原因で、「justice」だったら正義の意味になり「Justice」なら固有名詞で「正義の女神ジャスティス」ということで多少分かりやすくなる。


 いずれにせよ、外国語能力の低さのために研究者と言う道を放棄せざるを得なかった私の能力からしても、Blindというのを、「不平等」などと取ってしまった上に、それを一度でも堂々と新聞紙上にのっけてしまった朝日の記者
 元英語教師に見せてみてもBlindを公平などと言うように取ることには一瞬えっ?と言うイメージを得たようなので仕方がないといえば仕方ないかもしれないが、司法関係を担当する記者の教養レベルは図らずも露呈してしまったといえる。


 もともと、マスメディア関係者は司法関係については極めて素養が疑わしい
 その場しのぎの知識を書き連ねることはできても、こいつ理解できてないんじゃと思うことは何度もある。

 最初からアンチ憲法の上に、正直に法律より世論に味方する社論タイプの産経新聞とかは諦めるしかない。
 だが、その社論は建前を打ち出すことで有名な朝日新聞堂々と司法の素養が疑われる記事を載せているのだから、レベルがしれてしまうというもの。
 マスメディアの法的ないい加減さは法律関係者にとっては常識と言ってもよい。学者を連れてきてコメントさせたって十分に意味も取れない人間の集まりだから仕方ないのかもしれないが。


 しかし、もう一つ今回の事件で思ったこと。
 日本では、最高裁にあるジャスティスの銅像に目隠しを設置していない。(写真はこちら
 見栄えがよくない、と言うのもあるかもしれないが日本ではそれは真実から目を背けるものだと考えられやすいためだ、と言われている。外国でも目隠しについてはつけるかつけないかが分かれているようだ。
 確かに日本ではそうなのかもしれないが、見栄えはもちろん、「それでは真実から目を背ける」という外野の言い分だって、考えてみれば勝手な先入観ではあるまいか。
 マスコミとかが持ってくる勝手な正義論を断固排除するという意味で、なお目隠しの意義は失われていない。

 ここは一つ最高裁は勇断を持って、彼女に目隠しを設置し、正義とはこういうもんだと言うことを頑として知らしめるべきではあるまいか。
 それとも、最初から天秤や剣を持たせてジャスティスの銅像と称するのはやめて、新たな正義の女神でも神様でも象徴でも作ってはどうだろうか。



 これ以降の話は教養になりますが、反転して読んでね。

 この事件について、被害者の遺族の方は「日本は法治国家か」というが、一般に「法治主義」と言う概念は「法律で決めてあればその内容は問わない」というもの。(いわゆる形式的法治主義)
 戦前のドイツや日本で採用されていたものであるが、その内容は正直なところどうでもよかったため、法律をいじってしまえばそれまでである。ために、戦前のドイツはナチスによる独裁やユダヤ人虐殺を合法的に行うことになった
 時効制度批判のように、法律の内容をどうこう言うのは、「法律を作る国をも拘束する」こと。それには「およそ国家権力は一定の内容を持った法に従わなければならない」という「法の支配」と言う概念まで進まなければならない。

 日本ではなぜか法治国家と言う言葉ばかり多用されるが、現代において重要なのは法律で決めること自体ではなくその内容である。と言うわけで、皆さんも法治国家と言う言葉以上に重要な「法の支配」という概念を憶えてね。






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最終更新日  2006年03月16日 14時39分42秒
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