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碁法の谷の庵にて

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2008年02月08日
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 判決(4月22日)まで後2ヵ月半ですね。ちなみに、光市事件の後、1月に結審した秋田の2児殺害事件の判決は3月だそうです。これを見て何か感じる人はいないのでしょうか。


 さて、勝谷誠彦氏が、倖田來未氏の発言を巡るバッシングについて、大騒ぎをしているようです。
 確かに、つまらないバッシングをあおるような輩は後を絶ちません。その意味では、勝谷氏の見解は一つの立派な考え方といえるのかもしれません。倖田來未氏の発言を彼が弁護しているわけではなく、謝れば済むだろうといっていることからすれば、彼が発言を容認しているかのようなネットの見解には、賛同することはできません。


 しかし、私がこの発言に怒りを覚えるのは、勝谷氏が光市事件弁護団バッシングで何をやったかと言うことです。

 彼は、あの「たかじんのそこまで言って委員会」で、橋下氏が懲戒請求をかけてもらいたいといった後、「弁護団を精神鑑定にかけろ!!」と怒鳴り散らしました。
 感情の発露であるにしても、曲がりなりにもまじめな番組(を気取っている番組)に出演しながら、聞くに堪えない罵声を弁護団にめがけて飛ばしました。論評であるとしても侮辱罪の成立を免れるかどうか怪しいような発言で、さらに、弁護団の顔写真を出せ、住所や担当事件をさらせなどと言う、批判どころか人身攻撃そのものと言うべき発言を公共の電波に流したのです。
 その結果、あの弁護団はほとんど全ての情報がネット上に流出する事態となったのです。懲戒請求が広まったのには、彼の発言にも一つ原因があるというべきでしょう。むろん、彼の周囲で怒声を飛ばしまくっていたパネラー軍団や司会者も同等です。


 弁護団に関する懲戒請求の法的責任に関してはひとまずおくとしても、あの苛烈な弁護団バッシングをもたらしたのは、勝谷氏にも立派な一つの原因があるというべきでしょう。あのような空気を彼をはじめとするパネラー軍団が一緒になって作ればこそ、橋下氏があのような、法律家がこぞって非難する発言に走ったという側面もあると私は考えます。(だからといって橋下氏が免責されるとは考えませんが)
 その後、死刑制度が当該番組の議題になった際の発言については、sokさんのページが参考になるでしょう。私ではひっくり返っても書けない秀逸な文章をよく書かれる彼が、筆を滑らせました。この事に私は小さくない意味を感じます。


 にもかかわらず、ことここに至って、勝谷氏はそのことを総括・反省するでもなく、ネットでバッシングをあおる人間を徹底的にけなすという立場は堅持というのは、とどのつまり自分が攻撃すべき対象だとみなす者はバッシングし、少なくとも彼にとって攻撃対象にならない者はバッシング者をバッシングするということでしょうか。
 バッシングの内容批判はいいとして、バッシングに加担しておきながらバッシングと言う現象自体に噛み付くような言説は、理解しがたいことです。




 こういう人間がテレビで大きな顔をしているのですからほとほと困ったものです。法律家だってテレビに出てくる人の大半はそれっぽいことを言う人ばかりです。冤罪事件があればそれに詳しい弁護士(俗にいう人権派系)を出し、凶悪事件なら検察系で口の軽い(決まってもいないことをすぐ断定する)人ばかりが出てくる。
 テレビ評論家、それ以上にその選定を試みるテレビ局の性質にはあきれ返らざるを得ません。


 以前スルーしましたが、光市事件を巡る報道狂騒曲が、ついに報道機関の自浄作用にかけられることになりました。BPOのほうが、報道について調査をする旨決定したということです。一旦裁判中だから・・・と言うことで審査はやめようとしたようですが、結局委員会をつくって審査をはじめることになりました。

 この事件は欠席事件を皮切りに、弁護団の発言や本村氏の発言、被告人の「なめないでいただきたい」など、呆れるほどに燃料が続けざまに出てきた事件ですが、公判審理も止まり、本村氏の記者会見なども終われば、流石に燃料もなくならざるを得ません。その後議論を続けるには、事件に関して各人が心からの関心を持ち続けることが必要・・・と思われたのですが、いまや議論はすっかり沈静化。懲戒請求がはねられても騒ぐのはほんの一部。被害者問題に関する議論が深まったわけでもありません。
 今まで静かだった人たちがこの件をきっかけに被害者問題に興味を持つ・・・というのもほとんどなさそうです。こんな人たちが何の罪もない2人が無残に殺された事件の刑罰を論じ、弁護人バッシングをしていたという愚劣さには、開いた口がふさがりません。


 こんな人たちに燃料を供給し続けたのは、結局はマスコミ報道でした。上の行動の一つ一つは確かに弁護団や、被告人や、本村氏などの行動だったかもしれませんが、なぜここまでの事態になったのかと言えば、結局はマスコミに問題があると言うべきでしょう


 ドラえもんがどうだの、ちょうちょ結びだのと言う言葉だって、マスコミが言葉の断片を切り貼りしたために、少なくとも弁護団が発表していた以上に人の神経を逆なでするような被告人像・弁護人像が出来上がっていきました。
 光市事件の報道を考える会とやらがBPOにいくつかの番組をピックアップして申し立てたそうです。私はワイドショーはほぼ見ない、のですが、ワイドショーとは異なる、曲がりなりにもニュース番組と呼ぶべきもの(私が見ているのは報道ステーションですが)でさえ、聞くに堪えないものでした。本村氏の立場を押し立てるのはまあいいとして、弁護団に対して一方的な推測を行い、大弁護団は政治・売名目的だの死刑廃止論がどうだのという印象ばかりを次から次へと与え続けるものでした。年報死刑廃止2006に掲載された弁論要旨もろくに読まず、記者会見の言葉は全てを伝えるのではなく一部を勝手に切り貼りしたのです。
 もちろん、基本となる法制への理解もおろそかで、差戻審の拘束力についても超重要判例があるのにそれには触れず、勝手なことばかりを言い続けました。

 弁護団が記者会見や今枝ブログ(辞任後は別としても)、年報死刑廃止2007などで言葉を尽くして説明している(その方法が下手であるというような技術的な批判はありますが)と言うのに片手間情報収集の域を出ない私でも知っている基本的な情報収集もやらず、やったとしても言葉を尽くさないと言うのは、報道機関としては根本的な怠慢があると言わざるを得ないでしょう。
 そして、テレビなどでいろいろとコメントしている人たちも。テレビ番組に出たからにはそれなりに雰囲気に合ったことをいわなければならない義理と言うものがあるでしょうし、その点は同情しますが、事後フォローを入れたという話は聞きません。(この件に関し、事後フォローを入れた芸能人ブログなどを知っている方はぜひご一報をお願いします。)

 江川紹子氏も、この件はBPOで取り上げるべきと指摘していましたから、まあ当然の結末だったのかもしれません。まともに検証すれば、一定の制裁や指導を受ける番組も少なくないでしょう。



 ただでさえ、裁判員制度を巡って予断や偏見を裁判員にもたせないためにどうするかと言うのが頭の痛い問題だったのです。報道規制をしようかという声がありましたが、何とかそれだけは見送られました。
 しかし、市民の司法参加がある国は報道規制があり、イギリスなら予断を与える報道は法廷侮辱罪で処罰の対象になります。イギリスの場合、下手な報道をすると犯人の家が焼き討ちに遭うなどと言うことが本当に起こったので、趣旨は他にもあるでしょうが。
 今回の報道を巡る一連の問題は、報道機関が対立する立場の双方の立場を客観的に紹介するという報道の基本さえかなぐり捨てたこと、更にそれに市民が派手に影響されたことを如実に物語っています。主要な問題が派手に露呈したと言っても過言ではありません。





 「美味しんぼ」(単行本未収録だと思いますが)で、カップ麺の成り立ちを見せた上で、自分でラーメンを作ったらすごい手間がかかる、それがカップめん程度の費用でできるなんておかしいと思わなければという話がありました。

 司法関係の報道だって、まさにそれと同じことが言えます。言われれば簡単なことです。
 事件を追いかける警察は、地道に最新の技術や長年のテクニックを駆使して何日もかけて調べていかなければならないものです。
 裁判だってある程度日数がかかります。起訴如何を決定する検察官だって、弁護人だって何時間も、みっちり事件記録を読みます。テレビで話題になるような事件なら、なおのこと時間は増えていきます。
 裁判員だって同じです。短期集中とはいえ、裁判官が側にいて法律に関することは何でも教えてくれて、数日間は集中して事件と格闘します。
 こんな世界で、長くて10分やそこらの事件解説と、法律家の1分やそこらの法律論解説で全てを把握しきって、正しい見解が作れるなんて、そんなバカな話はないのです。


 テレビごときでわかった気になるのは、甘い発想であると断じてよいでしょう。



 あなたは自分の人生を変えかねないような裁判になったとき、例えば不運にして満員電車で痴漢に間違われ、裁判にかけられたとして、テレビ番組や新聞が言っていた伝聞情報を頼りますか?「それでもボクはやってない」見たから大丈夫だと思いますか?
 普通は信頼できる専門職を直接頼むでしょう。テレビでやるような事件は、多くがそれで人生を左右される人が出る事件です。


 テレビを、一過性の情報として有用に使うのはよいでしょうし、それに基づいた見解を表明することも否定するつもりはありません。しかし、それが他人への攻撃となった場合には、本当にそれが信頼できるものなのか考えないと、逆襲に遭います。そこで「マスコミを信じたんだ」なんていったって、聞いてもらえません。常識に属する上記の知識さえあれば容易に考え付く論理なのにそれも考えず、被害者に泣き寝入りをさせていいんだ、なんてオレ様理論は許されないでしょう。
 光市事件の被告人だって、親の自殺など不遇をかこってきたのは一応事実です。それが人格形成に影響を与え、犯罪行為への抑止が働かない可能性もあったでしょう。だから命だけはみのがしてやる、と言う理屈を多くの人は採用しませんでした。それでいけないとは私は思いませんが、自分はOKで被告人だけは許さんと言うような手前勝手なダブルスタンダードは許されません。

 





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最終更新日  2008年02月08日 13時58分34秒
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