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碁法の谷の庵にて

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2008年04月23日
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判決を受けて弁護団を批判する人が現れたので、今回の判決を受けての話でもいいですが、本件の弁護方針策定の当時において、弁護団はどうすればよかったのでしょう?

条件は以下の

「被告人は、現実にドラえもんや魔界転生、殺意なしなどの話をしており、どうやら本気のようである」
「無期懲役以下の判決が取れるだけのより合理的な主張は見当たらない」

と言う点だけです。


なお、一つだけ、あらかじめ答えを出しておきます。

一、弁護人を辞める(引き受けない)べき
→弁護人は、好き勝手にやめることはできません。被告人に不利な形で辞めてしまえば懲戒処分の対象になりえます。また、辞めた後は国選弁護人がつけられますが、彼は裁判所の許可を取らないと辞められませんし、裁判所がそれを無制限に認めるとは考えられない(結局弁護人がいなくなってしまう)から、その際の問題も登場します。辞める(引き受けない)をみんなで選んだら誰も弁護しないと言うわけです。
 




ちなみに、判決直後、某テレビで元検事の弁護士が「自由心証なんだから良心に従った事実認定を批判するのはおかしい」と言うようなことをいっていましたが、確かに法令上「自由心証」と言う言葉が使われてはいますが、自由心証は合理的心証主義とも読み替えられるべき(松尾浩也教授など)ものであり、決して裁判官に無制限な白紙委任されるものではなく、何が合理的か法律で決めることはごく一部の例外(自白のみ有罪の禁止)を除いていたしません、何が合理的なのかは裁判官の判断に基本的に任せますということです。あまりにもばかばかしい認定をすれば、それが経験則違反などと言う形で違法とされることはありえます。
自由心証主義で裁判官の良心に従ったものと言えど、批判の対象になりえないわけではないと言うことを伝えておきます。




※※※※※第一次追記※※※※※


私の疑問は広島高裁の判決文に書いてある、旨はてなのブックマークで指摘されていたので、その点について私見を述べさせていただきます。

確かに、広島高裁の量刑理由においては、より真摯に罪に向き合っていればと言うようなことが指摘されています。本村氏もその旨を語っていました。被告人に向ける言葉として、私はこの言葉は本当にごもっともと思っており、判決主文と理由に不当な部分がない限りこの指摘も不当とは考えません。
しかし、当然ながらこれは被告人本人が本当に反省してくれなければどうしようもありません。事実関係を放っておいて弁護団が情状路線で攻めたとしても、最高裁までで既に方針変換を明らかにしてしまったわけですし、被告人が法廷で勝手に言い出したら全ては崩壊する恐れが高いのですから、今更どうしようもないと考えられます。
そして、事実を争うことは反省していない兆表、と裁判所が判断した以上、今枝弁護士の路線で争ったからどうなった、とは正直言って思えません。今枝弁護士は何も事実関係を争うなということで弁護団と分かれたわけではないですし、今枝弁護士と弁護団の方針のずれは、主張の「力点」のおき方だったと記憶しています。今枝弁護士の主張は全く主張されなかった、と言うわけでもないのでは?と考えています。
また、弁護団も、殺意否認関連はもちろんながら、その他の部分でもなんとかしようと、おそらくは反省させるために努力したのだと思います。謝罪の手紙が送られたり、とか。(その処遇がどうかは、今更語る必要もないでしょうが)

高裁の裁判官だって、別に弁護団を名指しで非難したわけではありません。それどころか、この弁解は「被告人のものだ」という判決文は産経新聞の判決要約にも記載があります。

今枝弁護士の方針を採っていれば・・・と言うのは、可能性がない、とは言わないまでも険しい道のりであり、弁護団の方針が誤りであったことということには到底ならないであろうと考えます。

なお、今枝弁護士と弁護団の経緯は私も詳細を記憶しているわけではありません。今日はほとんどテレビなど見ていないですし。何か誤りがあるならば遠慮なく指摘をお願いしたいと思います。


※※※※※第二次追記※※※※※

毎日新聞の記事は、最初読んだときは正直衝撃でした。

判決は新供述について、「虚偽の弁解を弄(ろう)したことは改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「21人の弁護団がついたことで、(被告は)刑事責任が軽減されるのではないかと期待した。芽生えていた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」と弁護団の存在が元少年に不利な状況を招いた可能性を示唆した。

判決の弁護団がついたことで・・・の部分は、最も詳細と思われる産経新聞の要約には見当たらなかったし、マスコミがここをとらえて大騒動と言うことは別になかったのですが・・・。
もちろん、周辺文脈はよく分かりません。弁護人がせっかく熱心に弁護をしたのに、裏切ったと言う意味でも被告人の刑事責任は重い、と言うニュアンスかもしれませんし、最初は衝撃を受けましたが、ちょっと落ち着けば直ちに弁護人を非難するニュアンスを導くことはこの一部分から直接は導けません。
第一、弁護人は当然つくし、その利益を擁護するために最善の弁護をするのが大前提(日弁連弁護士倫理46条)ですから、それに手前勝手な期待を抱いて反省しなくなるなら、被告人は所詮はその程度の人物だったと言うべきでしょう。
まさか、精力的に弁護をしたらそのせいで反省しなかった、不当弁護だと言うのが本心なら、高裁判事でありながら刑事弁護を理解していないと言われても文句は言えないと思われます。

なお、法務省幹部とやらは「明らかにおかしかった」と言っていますが、ぜひその法務省幹部とやらに上記の質問に答えていただきたいな、と思います。





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最終更新日  2008年04月24日 01時49分52秒
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