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碁法の谷の庵にて

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2008年11月15日
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カテゴリ:その他雑考
世の中には、深読みをする人がいます。
無論、「読みが鋭いこと」自体は、決して悪いことではありません。社会を生きていくうえで、先を読むことは大切です。私も、どこまでも先を読めるようになりたいと思ったことは何度もあります。

碁を打っていれば、盤上の着手の読みは勿論のこと、打った手から相手が今何を考えているのかまで読んでしまいます。囲碁と言うゲームを人間が究め尽くしていないが故に、そういった心理戦の要素も出てきます。
まして社会のあり方が極めつくされることなどたとえ囲碁が極めつくされようとありえないのですから、そういった読みが自分を守るために必要になってくることはあります。深読みをして、それが的中した場合に備え、身を守っておくことが必要になるケースは多々あることと思いますし、深読み能力はぜひともほしい能力です。
また、深読みが的中すると、爽快でもあります。穏健派の私が崖っぷちに立たされて、大死一番読みを入れて、見事読み勝った時のあの快感!!囲碁やっていて最も気分いいときの一つです。一般の世界でも、そうでしょうね。

しかし、忘れてはいけないのは「深読みは深読みでしかない」、ということです。
統計や一般的・具体的事実といった、もろもろの分かりやすくかつ信頼性ある証拠を前提にして、経験則に基づいて、蓋然性高く導かれる推論のことを、「深読み」とは言いません。(そういう意味では、囲碁の読みも答えが出るので深読みとは言えないことになる)そして、深読みとは言わない一般的な推論でなければ、ネット上ではともかく(それだってマナーがいいとはいえない)、まじめな議論の場では相手にされないのが通例です。
そして、自分の言っている事が単なる可能性の一つをあげただけの深読みにすぎないと理解できない人間も、問題があるとみなされるでしょう。例えば、年末に超常現象バトルを繰り広げている某氏なんかがその例です。私なんか呆れを通り越して腹を抱えて笑っていますが、深読み披露と言うのは、あれを一般社会でやっているのと同様だと思えば、どれほど問題があるかすぐ理解できるでしょう。


深読みは、他にもいくつも推論の道筋があり、その中の一つが「可能性」として取り出されているに過ぎない場合が大半です。
つまり、「これが正しい」というには、深読みほど眉唾なものはないということです。

こういった深読みでも、自己防衛の手段としてなら、それなりに有益です。深読みが実現して自分がやばいということになったときに、防衛ができます。単なる自己防衛だけなら、「大概」誰にも迷惑がかかりません。深読みが外れても、ほっとするだけですむことが多いです。

ところが、論争などで「攻撃」の地位に立ってしまうと、「深読み」は決していいことがありません。
深読みは先述したように客観性に乏しく、一つの可能性の域を出ない場合が大変多いものです。つまり、深読みというのは攻撃として質が悪く、外れる可能性が決して低くなく、しかも例えあたっていても他人にわかるようになりにくく、自分のお仲間以外のまともな人に対する説得力は乏しいのです。
そんなもので質の悪い攻撃を仕掛ければ、当然失敗の可能性は特級品であり、「強硬な攻撃ほど強硬な反撃を招く」以上、大反攻を食らって撃沈することになります。
もし深読みで名誉毀損的なことを言えば、裁判で訴えられたときに裁判官に呆れ顔をされて請求認容で終了と言う話が本当に成り立ちえます。
しかも、一般的に受け入れられうる、ある程度蓋然性のある推論をやったけれども結果として外してしまったというだけなら、まあしょうがないか、彼のせいではないと言ってもらえるかも知れませんが、深読みをほいほいと出して大外しすれば、彼の発言の説得力自体が失われ始めるということが起こります。少なくとも、深読みと合理的推論の区別ができないような人間は、社会人として問題があるし、議論のできる相手ではないと断言しても差し支えないと思います。
深読みというのは、使い方を間違えれば本当に恐ろしいものなのです。



深読みで痛い目にあった例として、やはり例の懲戒請求騒動に出てきて頂きましょう。失礼ながら、この懲戒請求騒動を考えると面白いように人生の教訓や論争のマナーが浮かんでくるんですよね

橋下氏の懲戒請求騒動において、一つの前提となっていたのは、「あの荒唐無稽なことを言ったのは安田って弁護士が引っ張ったとしか考えられない」と橋下氏がいったことにあります。
確かに、安田弁護士らが仕込んで言わせているというのは、可能性としては一つ成立します。しかし、もっと現状を見据えれば、それは単なる深読みでしかありません。例えば
「被告人が裁判で弁護人に言うことを変えさせられたなどと訴えてきたらそちらこそ懲戒になりかねない」→懲戒になってまで変えさせようとしていたということになる
「被告人は死刑になる公算が極めて高い裁判を戦っていた」→死刑を免れるための弁論と言う立論が十分に成立しうる
ということを知っているだけでも、それが単なる深読みであることは容易に感づけた(感づけないなら論理力に問題あり)はずなのに、それをしませんでした。

「死刑廃止論のために事件を利用している」
といっても、
「死刑廃止論は法廷ないし記者会見において弁護団は一度も主張していない」
「この事件で死刑廃止を主張しても何の利益にもならないし死刑廃止への道筋も導けない」→つまり死刑廃止論者の「自己満足」という路線しかないことになる

と言う事実を無視した、それは深読みの域を出ないものでした。

で、こんな深読みに基づいて攻撃をしたら、目も当てられない結末、つまり発言した橋下氏は敗訴して大金を払わされた上、一般請求者まで生殺与奪権を弁護団に握られてしまう(一旦彼らがその気になれば百万単位の金をむしりとられかねない!)と言う結末が待っていたと言うわけです。


深読みは、的中すればかっこいい・気分いいし、ある意味では面白いですが、場を弁えない攻撃的深読みを簡単に披露するのは、自らの発言の説得力や法的責任という意味でも自殺行為同然になりうると言うことです。
深読みは、自分の脳内にとどめておきましょう。





さて、次回は「そんな程度の教訓なら、持っていないほうがマシだから捨ててください」ってな話でもしましょうかね。





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最終更新日  2008年11月15日 19時39分28秒
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