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碁法の谷の庵にて

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2009年05月08日
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テーマ:囲碁全般(745)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
2ちゃんねるをふっと昼休みに見た時、藤沢秀行名誉棋聖死去、という話が書いてありました。

最初は、悪質なネタを書く奴がいるな、と思いました。
秀行先生など、言ってはなんですが「殺したって死なない」ようなイメージさえある人物です。がんで余命いくばくという噂が立ったと思ったらいつの間にかがんが消えていたという話もあり、下手しなくとも私より後まで生きてそうな人物です。


それがなぜなくなられたのか。
私は、未だ彼を生で見たこともありません。小さな頃にテレビで見たことはありますが、声を思い出すこともできません。
私としては心残りです。


秀行先生と言えば、初もの食いや異常感覚と言った数々の異名を持ち、囲碁界に偉大な足跡を残した人物。豪放磊落で無頼、それでいて碁に対しては中韓に遠征するほど熱心。高尾紳路九段、依田紀基九段、結城聡九段、三村智保九段、森田道博九段、坂井秀至七段など多数の棋士を育てました。昔のレッツ碁に、「今自分の所にも有望株がいて、そいつを李昌鎬に対抗させる」と書いていました。今思うと、高尾九段のことでしょうね。
引退しても、かわらず囲碁界に貢献し続けました。独自免状発行騒動で除名ということもありましたが、それとても彼なりに囲碁界のことを考えた結果であることは疑いません。

大昔の棋道を読んだことがありますが、中国で一番有名な棋士は誰かとアンケートを取ってみると、第一位は多数回の訪中で名をはせた藤沢秀行、第二位は小林光一(当時中国棋士が一度も勝ったことのない棋士だった)でした。
中国で囲碁協会ができた後もたびたび訪中してご意見番であったようで、社会的なニュースとしては、むしろ日本より中国の方でネームバリューが大きいかも分かりません。

一時多数の棋譜をコレクションしていたこともありますが、私の手元にある藤沢秀行名誉棋聖の棋譜は88になります。完全なコレクションでないのでこれっぽっちなのが残念この上ありません。


ともあれ、ご冥福をお祈りします。

レクイエムでも聞くのが本筋かもしれませんが、藤沢九段の場合、笑って送り出した方が喜ぶかもしれません…(といいつつ、涙が止まらないのはなぜだろう)





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最終更新日  2009年05月08日 18時37分31秒
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