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碁法の谷の庵にて

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2010年12月11日
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テーマ:ニュース(99426)
 昨日、鹿児島地裁で死刑求刑事件に無罪判決が下ったとのこと。
 争点は概ね現場に残されたDNAによって被告人が犯人であると認定できるのか、と言う話でした。




 刑事裁判における事実認定は、自由心証主義といって裁判官・裁判員の自由な心証に基づきます。(刑事訴訟法318条)
 しかし、そこにおける自由と言うのは「どうぞご勝手に」と言う意味ではなく〇〇があれば有罪、〇〇があれば無罪というような縛りをかけないという意味での自由であり、その心証はあくまでも合理的で、論理や経験則に沿ったものでなければなりません。この点について今日の学説実務で異論はないと断言して差し支えないでしょう。

 この事件の判決について、判決文を読んだわけでも証拠を具体的に検討した訳でもないので報道を聞いたり日経新聞掲載の判決要旨を見る限りでは、という留保を付した上で言えば、まあ無罪にもなるのかなぁ、と言う感はあります。

 被告人の指紋やらDNAが現場に残っていたとしても、「いつ残ったのか」分からなければ結局ただの間接証拠(状況証拠)。別に間接証拠で有罪の認定をしても全く差し支えない(大体直接証拠なんて自白か犯行そのものの目撃証言や防犯カメラ画像くらいしかない)のですが、どれくらい犯人性を認定できるのか、と言う点を厳しく検討する必要はあります。私がDNA鑑定があるからという公訴時効延長説に何度か疑問を挟んで来た理由でもあります。

 動機関連で被告人が金に困っていたとは認められない云々の事実認定も否定されたらしいですが、仮に困っていたとしてももともと被疑者が金に困っているから殺人をした、なんてのが決定的な理由になると考える実務家はそうはいないでしょう。この不景気の時代、金に困っている人なんて世の中に余るほどいる訳ですし、逆に金に困ってない癖に遊ぶ金欲しさとかでバカなことに走る奴もいる訳です。

 また、強盗目的と言った割には金などに手がついていない点も指摘できるでしょう。
 検察のストーリーが否定された格好です。そもそも裁判員裁判では、判決は検察の論告や弁護側の弁論を評価する路線で判決が作られる可能性が高いと以前から言われていました。検察の作ったストーリーにのっけから重大な疑問符がついてしまえば、後の心証形成も検察側にとってガタガタになる恐れも否定できなかったと言えます。
 弁護側としても、裁判員裁判では独自の求刑をする(本件ではなく自白事件限定ですが)、無理筋すぎる量刑主張は避ける等という方法でその点工夫しているようです。





 では、被告人は嘘をついているという指摘が一部で指摘されていますが、この点はどうでしょうか。
 被告人は現場に行っていないにもかかわらず、現場から被告人の指紋やらDNAが出て来たじゃないか、と言う訳です。一応この点について弁護側はねつ造を主張したようですが、捏造までは認められなかったとのこと。

 これについて、実務上、「虚偽弁解をしたから被告人が怪しい、犯人だ」と言う認定は、少なくとも刑事裁判の判決段階ではしません。虚偽弁解をしたという事実だけで犯人だ、と言うだけではなく、他の証拠と合わせて、被告人の犯人性を強める、と言うやり方もしないと言う訳です。
 現状実務家ではない私ですが、少なくともその点については、法科大学院などで私の知ってる検察実務家、裁判官実務家は皆口を揃えていますし、司法研修所などでも揃ってそう教えているはずです。


 
 検察側の主張を弁解をすることによって崩すことができえますが、虚偽弁解では崩せません。その意味では不利です。
 虚偽の弁解をする中で、犯人しか知りえない、或いは知らない可能性が高いことをぽろっと漏らしたりすれば自爆!と言う可能性だってあり得ます。(弁解せず黙秘する方が有利になる場合としてはこういう場合でしょうか。もちろん、黙秘してれば無罪に持ち込めるという前提が必要ですが)
 虚偽の弁解をしたことで反省がないとみなされ、刑がより重くなるということもありえます。
 判決ではなく捜査の段階であれば、虚偽弁解をすることで結果的に捜査機関が更に怪しいと見て捜査を厳しくしてくることはあるかもしれません。

 それでも、「嘘の弁解である」というだけでは「犯人であるという認定には使わない」、と言うのが私の知る限り実務家の一致した見解です。おそらく、今回の件でも嘘をついたから怪しい、という理屈を使おうとした裁判員がいたとすれば、裁判官が適宜歯止めをかけたのではないかと思われます。

 そもそも、被疑者や被告人には、刑罰の危険が迫っている訳です。
 その中で「無実なのに自分に疑いがかかる事項」については、例え嘘をついてでもギリギリまで排除したいと考えるのは当然の心理でしかありません。虚偽弁解は真犯人であろうと無実であろうとするものである、ということがいえるでしょう

 例えば、殺人事件で、事件と関係ないのだけど被害者とトラブルになっている・・・と言うことだって当然起こりえます。
 その場合に、被疑者としては「ここで自分が被害者とトラブルになっていたと言えばどうなるか。もしかしたら自分が犯人にされてしまうかもしれない。それなら、もっと早いうちに予防線を張っておいた方がいいんじゃなかろうか」と疑心暗鬼に駆られて虚偽弁解に走ることは十分に考えられます。そして、虚偽弁解をする奴はその一事を持って有罪にしていい、と言う法制度は今の日本にはありません。

 そう考えると、虚偽弁解をしたから犯人だと言う理屈の無理は明らかになってきますよね。
 もちろん、犯人にしかできない虚偽弁解、先程の例で言えば、弁解の中で犯人にしか知りえない事項を漏らしてしまうようなことになれば別ですが、それも虚偽の弁解をしたから云々ではなく、犯人にしか知りえない事項を知っていたからということになるでしょうね。


 この判決が控訴されるのか、あるいは上級審で破棄されるのかは分かりませんが、仮にそうなったとしても、今後の立証に重大な指針となる事件であることは間違いないでしょう。
 裁判員制度を無意味にしないよう、裁判員の判断はひっくり返さないように上級審も運用する(高裁はけっこう弁護人にとっては鬼門と言われるらしい)と言われていますから、裁判員裁判での無罪判決は検察にとってクリティカルヒット同然。今後とも高裁を当てにするのではなく裁判員の要求に耐える立証をする必要があります。





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最終更新日  2010年12月11日 16時56分47秒
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