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碁法の谷の庵にて

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2011年07月17日
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 さて、私は先日、橋下氏と光市母子殺害事件弁護団の訴訟の最高裁判決を紹介した上で、判決を受けて弁護団が敗訴したという外形的事実だけを捉えた弁護団に対する冷笑的反応を厳しく批判しました。

 ・・・しかしながら、私自身は最高裁判決に賛成か、と言うとそうでもありません。
 前回は、最高裁批判をすると最高裁判決も読んでいない人たちに誤解されかねない(そういう意味で、弁護団の記者会見は得策ではなかったようにも思います)のでほとんど出しませんでしたが、そういう人たちへの配慮を抜きにして、判決に対する「正直な」感想は「ちょっとひどいよ・・・」です。


 最高裁は、弁護団が被った損害を表現の自由から受忍限度であるとしました。


 確かに、弁護士をやっているからには、ある程度まで批判や懲戒請求に受忍義務がある、という一般論は否定できません。
 仮に、「結果的に懲戒すべきでない事案であった」としても、その一事をもって、その懲戒請求を不法行為とすることはできない、とする理屈は理解できます。また、弁護活動に対する批判についても、筋の通っていない批判をしたから違法、とは言えません。
 無論、その批判が当を得ていないものであることについて反論を受け、批判者サイドも厳しく批判されること、ときに全く虚偽の事実を述べた場合に名誉毀損等になり得ることは別問題です。

 しかしながら、これまでの判例で、懲戒請求は「例え1通であっても」不法行為が成立するとしています。
 判例変更がされていない(判例変更なら大法廷が開かれる)以上、平成19年4月24日の最高裁判例(こちら参照)は、変更されておらず今でも有効なのです。
 600通懲戒請求が殺到して、仮に全てが同じ文面の懲戒請求であったとしても、懲戒請求が受忍限度だ、と言う理屈が本当に正しいのなら、どうして平成19年判例にはこの理屈が当てはまらなかったのかと言う点が大きな疑問です。
 平成19年判例において、懲戒請求が違法とされた理由は、懲戒請求が「法律的に正しい管轄?そんなもの関係ない、目の見えない自分にそこまで行けという主張が濫訴だ」という救いようのない内容のもので、そんな至極当然のことに対する感情的不満で懲戒請求するのは違法だ、と言ったのです。
 今回の件も、被告人の言い分を離れて弁護を組み立てられないことは最高裁も認めている所、「被告人の言い分をでっち上げた」という推測でしかないことで、被告人の主張を前提に法廷で主張するという当然のことを懲戒請求と言ったのです。
 内容的には、平成19年判例に比べれば少しはマシかもしれませんが、今回の場合、これをテレビで広範囲に放送されたこと、現実に来た懲戒請求は600に及んでいることが加わります。更には、懲戒請求以外でも、その名誉が失墜しています
 それなのに、今回の事例は受忍限度で、平成19年の判例は50万円。この違いがどこから来るのか。
 ただ単に、今回の件が有名な事件だからとか、懲戒請求そのものではないからでは納得できかねるものです。むしろ、有名な事件であればこそ、情報をきちっと調査することは比較的簡単になるはずなのです。それも嫌、というのは「調べない!!懲戒請求したい!!」という発想です。

 平成19年判例の事案を離れても、どんないい加減な懲戒請求でもいい、ということであれば、個々の弁護士の負担が増えるだけでなく、弁護士会の負担も増えますし、本当に重要な懲戒請求がいい加減な懲戒請求に埋もれるという事態にもなりえます。
 いい加減な懲戒請求の排除の要請と、幅広い懲戒請求を受け入れる要請。
 両者のバランスをどこで取るかの問題ですが、600通懲戒請求が来ても、推測でしかないことで懲戒請求されても、発言者が弁護士で本来分かっているべきなことについても、有名な事件だから受忍限度だ、というのは、あまりにも懲戒請求者に優しすぎる解釈ではないでしょうか。
 しかも、平成19年判例は、「懲戒請求について規定した弁護士法58条は、広く免責を認める趣旨の規定ではない」と断言しているのです。それなのにこんなところに受忍限度のラインを設定するなんて、広く免責を認めているのとどう違うのか、私には皆目分かりません。
 ここまで受忍限度を広く設定するなら、せめて平成19年判例を変更すべきではないかと思います。


 それに、この判決の論理は、重大事件の弁護なんかもう引き受けるものか!と言う弁護士を増やします。

 仮に懲戒請求されても何の救済もないので、重大事件の刑事弁護は引き受けない
 あるいは仮に引き受けても「耳触りのよい主張」にとどめて、被告人の弁解を握りつぶし、法律の知識に乏しい被告人が懲戒請求してこないのを幸いにする・・・なんていうもっとひどい事態だって、起こりえます。下手をすれば、その中に重要な主張があって、弁護人が冤罪に加担するなんてことだって起こりえます。弁護人だって、それをしないと懲戒請求されて対応しなければならなくなるのですから。
 民衆法廷が被告人を前裁きするのを恐れて弁護人が活動できない。どこの魔女狩り国家ですか(こういった事態は時に国家権力の干渉より危険とは須藤裁判官補足意見)。
 引き受けるとすれば、刑事弁護に対して、懲戒請求されようが構わない、収入にならなくてもいい、と言うほどの使命感を持つ人物・・・個人的な心当たりは安田弁護士あたりですかね。

 こんな重大事件の刑事弁護が収入になるか、と言えばあまり・・・・と言わざるを得ないのです。(ごく簡単な自白事件ならよいのですが)
 被疑者や被告人の中には、弁護人に対しても反抗的態度をとり、弁護人が信頼関係を築けずほとほと困り果てる(辞任する他なくなる例もある)ような例だってあります。
 嘘としか思えない弁解だって、主張されれば出すしかありません。
 特に、今回のような全国的注目を集める事件の場合、弁護人に必要な苦労は想像を絶します。司法研修所の刑事弁護起案は100頁程度の記録を7時間もかけて、それでも皆ギリギリまで書いているのですが、光市事件の記録は一万頁、単純計算で700時間、睡眠も他の業務もせずぶっ通しでやって1カ月必要です。(現実にはそこまでにはならないと思われますが・・・)
 それなのに、その苦労を少しでも人数を増やすことで軽減しようとしたら、集団で本村氏一人と戦うとは何事かと文句が出てきました。(国選弁護だと人数が少なくなって迅速に裁判することが難しくなります)

 今回の基準でもし仮に疑問を感じたらドンドン懲戒請求を出していい、それが調査不十分でも構わない、マスコミ報道に基づいたものでもいい、ということであるならば、弁護人は、マスコミ報道された事件では懲戒請求に怯えながら刑事弁護をしろ、ということにならざるをえません。

 誰がそんな件をやりますか。私はお断りです。
 ただでさえ、使命感の類がなければ成り立たない重大事件の刑事弁護なのに、更に使命感をもっと増やせということです。
 合理性を無視した根性論に依存した制度は成り立ちません。

 かつて「たかじんのそこまで言って委員会」大会議室で獅子奮迅していたすちゅわーです弁護士の言葉を借りれば、
(ここにコピーが残っています。コメント欄のwada氏の、子どもを持つ親の発言とは信じたくない発言も必見です)

「難しい試験を通って、何年もの実務経験を経て、一人前の刑事弁護人になっても、こんな処遇しか受けないのでは、やりきれなく思います。」

 という言葉も当たるでしょう。(無論私は何年もの実務経験等ありませんので、刑事弁護人としてまだまだ半人前以下ですが)
 「ドラえもんなんて言わなければいいんだ」という反論はネットではよく出てますが、被告人が曲げない限りはドラえもんでも言うしかありません。それで反論してくるのは、結局まじめに弁護するなと言っているのと何にも変わりません。最高裁とて、被告人の弁解を聞かなければ弁護できないことはしっかり言っている訳です。





 ただし、です。最高裁判決も救いがない訳ではありません。

 まず第一に、橋下氏の発言に対する弁護士法上の懲戒処分については別論であるとしていることです。 つまり、この判決で不法行為の成立が否定されても、懲戒処分をすることまで否定した訳ではない、ということになります。従って、懲戒処分と言う抑止効果は働きえます。(ただし、弁護士相手にしか使えませんが・・・・)

 第二に、最高裁判決が指摘していることに「橋下氏は行動を促しただけで、損害の拡大には個々の懲戒請求者やテンプレート作成者が主体的に関わっている」と言うことを挙げているということです。
 要するに、個々の懲戒請求者は、単に引きずられただけの人間ではなく、「自ら懲戒請求を起こした」と認定している訳です。弁護団サイドの人たちから評判の悪い竹内裁判官補足意見も、実は特に力を入れて「個別の懲戒請求者が主体的に取り組んだ」と言っているのです。
 個人的には、その点について本当かよ、と思っていますが、もしこの判断が正しいのだとすれば、この裁判でも、もしかすると個々の懲戒請求者やインターネット上にテンプレートをアップした者をターゲットに訴えを起こせば、平成19年判例の基準にのっとって、損害賠償を取ることができた、とも取れる訳です。
 なお、二審判決は、個別の懲戒請求者は橋下氏に誤解を植え付けられたことを理由に不法行為は成立しないとしました。
 しかしながら、最高裁の論理からすれば、むしろ「主体的に関与した」個別懲戒請求者やテンプレート作成者に平成19年判例同様の注意義務が成立する可能性は高まっていると言え、今後同種の事件が起こった際には、個別懲戒請求者への不法行為の成否が課題と言えるのかもしれません。

 懲戒請求に対しては、弁護人は当該懲戒手続ではなく、民事不法行為訴訟での反撃を試みることは十分考えられることです。
 というより、内容のいい加減な懲戒請求に対して、反撃をするにはこれ以上ソフトな手はないのです。(出鱈目が度を越せば、虚偽告訴罪の未必の故意ありと判断して刑事告訴、なんていう最強硬手段もあります)
 無内容な懲戒請求と言う武器をちらつかせる者に対しては、こちらも武器を持ち出すしかありません。個人的にはそういうあり方は制度のあり方としてどうなのか、と思いますが、さりとて弁護士にだって立場と言うものがあります。いい加減な人たちに立場を蹂躙されて耐え忍ぶことにも限度があります。







 懲戒請求という制度自体が知れ渡ることは悪いことでもなんでもありません。
 本当に懲戒されるべき弁護士がいるならそれに対して懲戒請求されることも、称賛されこそすれ何の悪事でもありません。
 
 問題なのは、懲戒請求と言う制度が、弁護士に対するいい加減な批判や感情的不満を、クッションなくダイレクトに叩きつける制度に堕落することです。そうなれば、弁護士会サイドで個々の懲戒請求に対して、運用でぞんざいな扱いをする(例えば、内容のなさそうな懲戒請求については、読んだだけで却下するというような)ようにせざるを得なくなっていくでしょう。

 月並みですが、今後懲戒請求なさる方には、改めて懲戒制度の趣旨に思いをはせていただいた上で、法律面・事実面とも調査をきちんとした上で、懲戒請求をしていただければと思います。





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最終更新日  2011年07月18日 01時09分34秒
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