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碁法の谷の庵にて

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2011年12月13日
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カテゴリ:法律いろいろ
 某氏と論争?していて改めて思ったことに関連して、少しまとめてみました。
 それは、「責任の制限」です。

 近代民法の原則は、過失によって他人に損害を与えたなら、不法行為あるいは債務不履行としてその損害について賠償責任が問えるということになっています。(民法415条、709条など)

 あなたには過失があるでしょ?
 それによって被った損害が私にあるでしょ?

 と言うことになったら、被害者から金を請求されても文句は言えない。これ自体はごく普通の論理です。私もよく使います。


 ところが、「責任制限」と言う現象が実は法律の世界にはあります。

 事例で考えてみましょう。

 労働者がほんのわずかによそ見をしたために、雇主(使用者)が所有していた高額な機械が壊れてしまい、かつ他人に損害を与えてしまった。会社がこうむった損害と立替払いした他人への賠償額(例えば)5億円まとめて支払いなさい!!

 と裁判が起こされたとしましょう。

 最初の原則に照らし合わせれば、労働者が損害額を全部払うのは当たり前だ!!となりそうです。
 ・・・ところが、そんなあり方を容認して本当にいいのかよ、と言う問題意識がそこにはあります。


使用者は、人を大いに雇って大いに利益を上げることが可能です。
使用者は、人を雇った際に様々な業務命令を下します。時には業務命令に従った中での過失と言うことすらあり得ます。
使用者は、相互監視の人事システムを構築したり、機械を導入するなどして事故を避けることができます。
使用者は、保険に入るなどして危険を分散できます。


労働者は、給料くらいしかもらえません。仮に任務に成功しても、普通は昇任や昇給程度の見返りしかありません。
労働者は業務命令を拒否すれば、懲戒の理由になりえます。
労働者は、人事のシステムに問題があると思ってもそれを変えることができる立場ではまずありません。機械の導入も労働者の一存でどうにかなることではありません。
労働者が自分でもっていない機械に大金をはたいて保険に入れというのも無理な相談です。


 そんな状況なのに、労働者は成功しても大した報酬はないのに、僅かなミスをした途端に破産するしかない債務を負わせられる。使用者は損失があれば責任は問い放題、利益は自分で吸い上げ放題。
 これは不公平ではないのか、と言う問題意識は、「言われてみれば」という点はあるでしょうが、真面目に勉強していればなるほどと思われることでしょう。
 そのため、最高裁判所が示した法解釈が、「使用者から労働者への損害賠償請求は制限すべきである!」と言う考え方です。

 最判昭和51年7月8日(判決文はこちら)は、
「事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」
で、賠償を制限することを認めています。

 過失ではなくて故意や重過失では、賠償制限は通りにくいでしょう。
 また、危険に見合う分の報酬が与えられていたあるいは予定されていたような場合などには、考慮しても相当と認められる限度が高くなって、制限はされにくくなると思われます。
 それでも、軽過失ならば責任は軽減するという考え方はむしろ当たり前なのです。


 他にも、国家賠償法による賠償請求が認められる件では、公務員個人に対する民事責任は問えません(判例あり)し、国や公共団体が公務員個人に求償することも故意または重過失の場合に制限されています(国家賠償法1条2項)。
 支払いの確実な国や公共団体が負担すれば被害者の救済には十分であるのと、軽過失で公務員個人の責任を問うのは、前記の視点から不公平ではないかと言う視点がそこにはあります。
 国民の血税(個人的に血税という言葉を使う人はあまり好きではないのだけど)を使うことになりますが、我々も公務員使って公務の恩恵を得ている以上、仕方ないだろう、という訳です。

 また、会社法では、取締役の会社に対する責任を事前に制限することが認められています。取締役の義務にちょっと違反したからと言って何百億もの損害賠償の請求を負担せよ(ライブドア前社長堀江貴文氏の対会社の損害賠償額は208億円にもなる)と言うことでは、誰も恐ろしくて取締役なんか引き受けられません。あるいは、取締役になるためにそれに見合うだけの報酬を要求するしかありません。あるいは、自身の損得勘定もろくにできない人しか取締役になりません。
 それで取締役が見つからないのでは本末転倒です。
 さらに、冒険的取引をやって失敗すれば破産必至、成功しても報酬がちょっと上乗せ程度、それでいて株主は利益を得てウハウハ…これではあんまりだ、という視点から責任の制限が認められているという訳です。



 人がおよそ経済合理性に欠ける職業に就くことに何ら躊躇しないことを当然の前提として、責任追及のあり方を考えることは、甚だしく不当と言って差し支えないものです。
 私も今年一世を風靡したアニメ、「魔法少女まどか☆マギカ」を見ていますが、不都合な点を聞かれないから黙ったままで魔法少女と契約させたキュゥべぇとやっていることが何にも変わりありません。

 経済的合理性を保とうとすれば、責任を制限するか、あるいは責任に見合うだけのバカがつくほど高い報酬etcを用意するかが必要なのです。
 そしてその考え方が、労働者であろう多くの人たちの暮らしを守っているということも、また知っておくべきことでしょう。





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最終更新日  2011年12月16日 09時43分18秒
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