カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える
昨日、非嫡出子相続分について、嫡出子と非嫡出子で差を設ける規定について違憲判決が下りました。判決文はこちらからどうぞ。 国籍法違憲判決の判示を見た段階で、判決文はほとんどそのまま非嫡出子相続分に当てはまるんじゃないか?と思っていました。 その後、この問題が大法廷に回付されたのですが、この事件は当事者が和解して終わらせたため、最高裁は判断を示しませんでした。 また、最高裁まで争う気が起こらなかったのか、下級審の違憲判決がそのまま確定したという件もありました(大阪高裁H23/8/24)。 違憲判決はなんと14人(1人は審理に加わっていない)全員一致。 大法廷に回付した段階で違憲判決は予想されていたことと言えますが、(大法廷は判例変更の場合に開くのが通例)これまでの件でも合憲説が多数説だったこともあり、反対意見もそれなりにあると予想していました。 個人的には違憲判決より全員一致に驚いているかもしれません。 かの尊属殺重罰規定違憲判決(最大判昭和48・4・4)も、一人は合憲説で書いていましたからね。 国会サイドもすぐさま規定の削除に移るということなので、合憲違憲の論争それ自体には、「実務的な」意味合いはほとんどなくなったものと言えそうです。(まだ、今までの審判や遺産分割協議等をどうするかと言う問題は残っていますしそこも判決で触れていますが、この記事では触れません) 違憲となった根拠は、私が細々書くよりは、判決文に直接あたってもらう方がいいかな、と思いますし、様々な先生方がいろいろ書いていますし、合憲説も違憲説も「どっちもあり」と言う感もあるので、今回私の方では扱いません。 ちょっと違う視点から、今回私が思ったことは、「相続における公平」という考え方です。 相続の相続分に関する基本的な考え方は、中学生でも習うかと思います(中学生で習った記憶があります)。 被相続人(要するに亡くなった人)に、相続人が一人しかいないのであれば、彼が全部持っていきます。非嫡出子しかいない、ということであれば、非嫡出子が全部持っていきます。 被相続人に配偶者と子がいるのであれば、配偶者が半分で、子が残りを均等に受け取ることになります。 ここで、嫡出の有無によって子が均等に受け取れない、というのが今回の違憲判決が下された規定の問題点です。非嫡出子「しかいない」のであれば、均等云々の問題は生じず、非嫡出子が半分貰っていくことになります。 ちなみに、相続人となる配偶者はあくまでも届を出した法律上の夫婦でなければありません。いわゆる内縁関係の場合には、相続権はない、と言う考え方が現行法では完全に確立しています。(今回の判決の考え方を徹底させると、その考え方にメスが入る可能性を何となく感じるのは、私の気のせいでしょうか?) そして、配偶者は日本の法律上一人しかいないのでよいとして、子どもは複数人いる場合がごく普通にあります。 複数の子については、基本的に均等に相続するということになっています。昨日の違憲判決でますます公平の度を増したということも言えるでしょう。 ところが、本当に均等に分けるだけでいいのか?と言う考えが、非嫡出子など絡まずとも当然のように出てきています。 形式的な相続分ではどうしても生じる実質的な不都合があります。 放蕩息子と介護に尽くした妹が同じ相続分でいいのか、と言う問題は当然出てくるでしょう。 同じ相続分の結果、介護に尽くしたために仕事も家も貯金もない妹は他の兄弟に持ち分を取られた段階で住む家までも追い出されてしまう・・・なんてことも、当然考えられるわけです。 もちろん、現行法だって手をこまねいてみてはいません。 形式的に均等にするのは変、ということで、公平を保つための制度として、 一、特別受益(死亡以前にもらった資産や利益などについて、生前にたくさんもらったのだからよいだろう、と言う考え方) 二、寄与分(死亡以前に被相続人に特に尽くしたので、その分は増やそう、と言う考え方) などもあります。 しかしながら、これらの規定が柔軟に使われて妥当な解決がされているか、と言うとうーん、と言うところがあります。 例えば寄与分は、被相続人と相続人の関係上一般的なものは含まないと考えられています。結果、「介護するのが当然」である限り考慮はされず、任せて余所に行っていた者も腐心した者も同じ、という結論になったりします。 更には、相続人ではない第三者が面倒を見ていた場合などは悲惨なことになります。 たまたまいた放蕩息子が全てをかっさらい、世話に腐心していた方は1円ももらえない、ということさえ起こりえるのです。特別縁故者に対する分与(民法958条の3)で第三者に対する救済はありますが、相続人がいないのが前提なので、相続人が一人でもいたらそれまでになってしまいます。 もちろん、現行の在り方も「やむを得ない」とは言えるでしょう。 理論的な問題点はいろいろありますが、貰った物すべて特別受益だ、とか、親に払った生活費が全部寄与分だと言い出したらそもそもきりがない、という点もあるでしょう。 相続の段になって、過去の経緯を全てつまびらかにすること自体がどだい無理な相談です。 感情的な対立が発生している両者の言い分から何があったのかを推測するのは非常に困難です。 他方で、今回私が思うのは、もしこれらの規定が柔軟に使われていたならば、違憲の問題が生じえただろうか、と言うことです。 非嫡出子が家計を共にしていないため、被相続人の財産形成や介護にも関与していないから、それ故に相続財産が減るのだ、と言うのであれば、これは実質的公平が保たれた判断であり、違憲とはならないでしょう。 逆に非嫡出子が介護につくした(嫡出子の母親が離婚を徹底的に渋ったりすればあり得る)から遺産を多く分け与えられる、ということにもなります。 今回の違憲判決はもちろん重大な判例ですが、相続に関する宿命的な問題が背後にあるからこそ、こうした争いが今日まで続いたのではないのか・・・ などと、昨日から愚考を巡らせました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年09月05日 19時24分12秒
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