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いいこと探検家の人生冒険ポジティブ日記

いいこと探検家の人生冒険ポジティブ日記

阪神大震災・追悼



■大震災発生!



平成7年1月17日午前5時46分。

すさまじい揺れで目が覚めました。

突き上げてくる縦揺れ、そして横揺れ。

とっさに出た言葉は

「これはヤバイ!」。


窓の外は、稲光のようにビカビカ光っています。

「ミサイル!!!!!」。

大変なことが頭をよぎりました。

しかし、揺れがあまりに長いので、地震だと分かりました。


家の中からあちこちで、ガラスが割れる音がします。

外では、瓦が落ちる音もしています。

大きな3段式の書棚が3つとも倒れました。

なすすべがありません。

頭で覚えただけの防災知識は全く役立たず、ただ振り落と
されないようにベッドにしがみつくだけでした。



永遠に感じた地震が収まりました。


尼崎市では、六甲山と生駒山で反射された波が集まるので、
1分以上も揺れていたそうです。

真っ暗で何も見えません。

街灯は全部消えてしまったので、真っ暗です。

「これが真の暗闇であること」

を知りました。


ガラスが割れる音がしていたので、ケガをしてはいけない
ので、余震の恐怖に震えながら夜明けを待ちました。

わずかに明るくなってきました。

ようやく状況がつかめてきました。 

外に出ている人が、かなりいるようです。 
 

部屋を見渡すと(当時は独身でしたので2Kの間取りでした)、

散乱する本、

CD、

割れた食器・・・・・・。


どこからどう手をつけていいか途方に暮れながらも、

「生きていて良かった」

と思わず感謝したのを覚えています。



兵庫県南部を襲った大地震は死者6433名(名目)という
大惨事となりました。

人的被害だけでなく、ビルや家屋の倒壊、高速道路・鉄道高架
の崩壊、防潮堤の陥没や亀裂など、物的被害も甚大でした。


私の自宅(兵庫県尼崎市)の近くでは山陽新幹線の橋桁が
2ヶ所で落下していました。

友人が橋桁の目の前に住んでいましたが、外は煙がモウモウ
で、間違いなくミサイルが落ちたと確信していたようです。


その場所を始発の「ひかり」が通過するのは6時5分です。

しかも、そこはカーブになっています。

「ひかり号」は直進しかできません。

地震の発生があと20分遅れていたら、確実に巻き込まれて
いたことを思うと、背筋が凍ります。

全長400メートル、時速200キロのミサイルですからね。

そうなっていたら、私はすでにこの世にはいないでしょう。


私が住んでいる尼崎市は、神戸、芦屋、西宮などに比べて
被害が比較的小さいとされていますが、それでも死者49
名、全半壊家屋が5万戸以上とすさまじいものでした。

水門が壊れていて、復旧が少し遅れたら市内の3分の1が
水没していたのです。

また尼崎市は、武庫川と猪名川の三角州で地盤が弱いので、
市内の大半が地盤沈下しました。

平均11センチ、最大29.4センチだということです。


しかし実は、マスコミは「尼崎は大したことはない」と報道
していたのです。

友人たちからも「そんなところにじっとしていないで早く
被災地に来い」と連絡がありました。

「どうして?・・・・近所の家が潰れているのに」。

「立花ではアパートが燃えて十数名が亡くなったんだぞ!」。

でも信じてくれません。

「じゃあ、こっちに来てみろ!」。


友人たちがやってきました。


彼らの第一声は「ゴメン、知らなかった」でした。

このときばかりは、マスコミを恨みました。

「ちゃんと、自分の目で見て報道して欲しい」と。




★ここで「マズかったこと」と「良かったこと」をひとつ
  ずつ挙げておきましょう。


【マズかったこと】


懐中電灯の場所が分からなかったことです。

これは極めて大切なことだと思います。

「ガラスが割れていたので動けなかった」のも、懐中電灯
がなかったからです。

もし、火の手が迫っていたとしたら・・・・ゾッとします。


ただ、私のように足が不自由な場合は、外の方が危険ですの
で、火災以外はじっとしている方が良いでしょう。



【良かったこと】



丸イスが身体を救ったことです。


家具の倒壊防止策がいろいろ言われていますが、あまり実行
されていないようです。

私も対策を取っていませんでしたが、倒れた大型書棚の前に
たまたま丸イスを置いていました。

これがクッションとなり、直撃を免れたのです。



アッ、今ひとつ思い出しました。


隣の人はテレビが飛んできて、ケガをしてしまいました。

しかし私は大丈夫でした。


それは、テレビ、パソコン、オーディオなどをキャスター
付きの台に乗せていたからだと思います。

キャスター付きの台が、地震の揺れにあわせてフローリング
の床を走り回っていました。


それらはあらぬ場所に移動していましたが、落下を免れました。


今、私の家では、タンスなどはひとつの部屋にまとめて、
そこでは寝ないようにしています。

ただ泊まり客があるときは・・・・地震が起こらないよう祈って
います。




◆水が出ない!~身にしみた水の大切さ、ありがたさ


 

この地震では、水道・電気・ガスといういわゆるライフライ
ン(実際には、パイプラインやケーブルラインというモノ)
がズタズタに寸断されました。

特に、生命にとって重要な水が途絶えて、極めて深刻な問題
を引き起こしました。

飲料水がない、トイレが使えない、お風呂に入れない、火事
が消せない・・・・など、水の大切さ、ありがたさを身にしみて
感じた方も多いのではないでしょうか。


私も1ヶ月間の断水にあい、不自由な体験をしました。


こんな中で、「水」について数多くの氣づきがありました。


いくつか挙げてみましょう。



★コップ1杯の水でできること



とにかく、今までいかに水をムダに使っていたか思い知ら
されました。


蛇口をひねると水が出る。

これはまったくの幻想でした。


当然のことながら、近所の家も断水中で、誰からももらえま
せん。


トイレをしても流す水がありません。

水洗トイレは、水がないと役に立たないのです。


「水洗便所、水がなければタダの肥だめ」なのです。


こんな当たり前のことが、水がなくなって初めて氣づきました。


私の場合、飲料水がペットボトル2本分ありましたが、近く
のコンビニエンスストアには1本も残っていませんでした。

いつ水が出るのか分からない以上、節約を考えないわけには
いきません。


そこで、「コップ1杯の水で何ができるか」を試してみる
ことにしました。

すると案外たくさんのことができたのです。


歯を磨く+ゆすぐ+歯ブラシを洗う+顔を洗う+残りを飲む。

これらのことが、たったコップ1杯の水で可能でした。

残りを飲むといっても、コップの下から2センチ程度ですが、
ノドを湿らせることができました。

やればできるのですね。

歯を磨いている間、水を流しっぱなしにしていることがよく
あったことを反省しました。



さて、どうして「コンビニからペットボトルが消えた」の
でしょうか?


マスコミが「尼崎は断水したのは3分の1の世帯で、芦屋の
100%と比べて被害が軽微」と報道したのです。


そのころ、阪急電車は西宮北口まで動いていました。

その電車に乗って、各地からボランティアの人たちや被災者
の家族が続々やってきました。

その人たちが、尼崎市内に3つある阪急の駅でいったん降り
て、そこら中のコンビニからペットボトルを買い漁っていっ
たのです。

そんなわけで、私は水が入手できなくなってしまったのです。


そんなとき、西宮の夙川で避難生活をしている友人から電話
がかかってきました。


「そっちは大丈夫? こっちはたくさんの人たちの支援で、
ありがたいことに、水と簡単な食糧は確保できているよ」。


「う、うん。部屋はメチャクチャだけど、身体は大丈夫だ
よ。でも・・・・水が・・・・手に入らなくて・・・・」。

「えっ、そうなの。じゃあ、こっちにはたくさんあるから、
そちらに持っていってあげるわ」。


という感じで、ようやく待望の水が確保できたのです。


あるところにはあるが、ないところにはない。

これが実態でした。


マスコミも、少し考えると「尼崎の3分の1(16万人)の
方が、芦屋の100%(9万人)よりも遥かに数が多い」と
いうことが分かるはずなのですけれどね。

また3分の1といっても、3軒のうち1件が出るというので
はなく、「出ないところは地域全体が断水」なのですけどね。


まあ、このような当たり前のことが分からなくなるくらい、
マスコミもうろたえていたのでしょうね。

だから、誰に責任を押しつけるつもりはありません。


しかし、情報が一人歩きする危険性と、救援物資の行き先が
偏る可能性をキチンと理解しておくべきです。

もし関東で震災があったとき、東京だけがクローズアップ
されかねないからです。




◆生活に必要な最小限の水の量は?



幸いなことに実家が断水を免れたため、トイレやお風呂を
借りることができました。

しかし、私には「もったいない」という感情が育ってきて
おり「たくさんあるから自由に使ってもいい」という発想が
頭から消え去っていました。

そこで、いくつかの実験をしてみました。


私にとって必要最小限の、

1)歯ミガキの量とその歯をゆすぐ水の量、

2)顔を洗う水の量、

3)体を洗う石ケンの量とその石ケンの泡を洗い流す水の量、

4)シャンプーの量とそれを洗い流す水の量、

5)トイレの水量、

を調べてみたのです。


その結果、すべての場合でふだん使っている量は、必要最少
量よりもはるかに多いことが分かりました。


たとえば、歯磨きは米粒程度の量でまったく問題ありません
でした。

その後、塩だけでも(あるいは何もつけなくても)きれいに
磨けることが分かりました。


またシャンプーは平素の3分の1で十分ですし、それを洗い
流す水量も何と10分の1しか必要ありませんでした。

頭にかけたはずの水のほとんどが、泡に触れずにムダに使わ
れていました。

確実に泡を巻き込むように少しずつ水をかければ、そんなに
水量は必要ないのです。

シャンプーがない場合でも、水だけでも案外きれいになるこ
とも分かりました。


◆近くに海があるのに「水を下さい」って?



テレビで被災地の上空の映像が流れていたときのことです。


ある大学のグランドに「水を下さい」という文字が書かれて
いました。

「水がなくて大変だな」と思って見ていると、そのグランド
の近くには海が広がっているではありませんか。

海水(塩水)は大量にあるのです。

そうです。

水がないのではなく、飲料に適する水がないということなの
です。

海水は飲料水には適しません。

では川の水は?

・・・・汚れてしまって飲めません。

それでは地下水は?

・・・・もし下水管が破損し、地下水に流れ込んでいたら大変です。


本来であれば、海水は飲めないにしても、川の水や地下水は
十分飲用に適するはずです。

私たちが汚してしまったのです。

特に家庭から出てくる生活廃水や工場からの廃水によって
水質が悪化してしまいました。

また、「雨水を貯めてトイレや洗車などの中水道として使お
う」と提案されています。

しかし、雨水というのは太陽の熱によって蒸発した水蒸気が
凝結した蒸留水であり、本来は水道水よりもきれいな水なの
です。

私たちが排出した汚染物質が雨水の中に溶け込んだために、
トイレなどにしか使えなくなったということを忘れてはなり
ません。


震災によって、これらのことが改めて浮き彫りにされました。

これは、生活の便利さを追求し続けてきた結果、水を汚して
しまい、こんな緊急時にツケとして廻ってきたと解釈すべき
でしょう。


確かにこれは大きな学びです。


しかし、私たちは「震災などの災害を通じてしか学べなくな
っている」としたら、少々情けなくなります。


人間が本来持っているはずの「感性」や「感受性」が発揮でき
なくなっているのかも知れません。





震災の体験については、Blue Rose Cafe さんが、実に
リアルな日記を書かれています。

私よりもさらに深く、「いのち」そのものに入り込んでおられます。


私も読ませていただいて涙が出ました。



ぜひ皆さんもお読みください。




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