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先日、シネマヴェーラ渋谷で「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」を観た。
2005年にビデオレンタルで見たときに「この作品の真価は劇場で見なければわからない」と思って以来なので 十年越しの念願がついにかなった。 実際に、VHSとは比べ物にならないくらいに色も線も音も圧倒的に鮮明で、びびった。 テレビやまんがの「ちびまる子ちゃん」の得意技といえば、 さくらももこが「ちびまる子」だった当時の、芸能や子供文化などの固有名詞をばんばんだすこと。 それにくわえて、「あるある」ネタとか「いたいたそんなヤツ」ネタとかが感情移入の取っ掛かりになっていた。 ところがこの映画の中では固有名詞ネタを出す事はほぼ封印されている(山田や藤木が「傷だらけのローラ」「ゲゲゲの鬼太郎」と言うくらい?)。 既成の楽曲が何曲か使用されているがどれも当時の流行歌ではない。 そのかわり、日常の描写がものすごく充実している。 屋内の色々な小物や、画面の端に映るクラスメイトに道を通り過ぎる兄ちゃんなど群集一人一人の芝居まで、細かく描きこまれている。 こういうのは「あるある」ネタに比べると即効性はないし、手間のかかる方法ではあるけれども、より一般的だし情緒的であると思う。 登場人物の感動が、絵空事としてではなく、よりリアルなものとして迫ってくるような効果を支える力があると思う。 また屋内のシーンではテレビに近い、ミドルショットで平板な構図が中心になっている一方、 屋外、とくに移動シーンではロングショットで透視図法上奥行きを強調した構図が多用されている。 その意図が一番わかりやすいのがまる子と大石先生の下校シーン。 たいへんなロングショットが空間の広がりを、夕暮れ時のあかく染まった色彩が時間の流れを強く感じさせ、 「別れ」についてのまる子と大石先生との会話が観る者の胸に迫ってくる。 気持ちは離れずとも、空間と時間という物理的な障壁はどうにもならないという切ない思いを、 このシーンはセリフやキャラクターの表情に頼らずに見事に表現していると思う。 ほかに、大石先生のメガネがさっと曇るカット。 一瞬インサートされる戦時中の出征を見送る回想と合わせて、大石先生の気持ちは まる子との会話よりも内省に向かい、感傷が高まっていることが分かる。 表情を抑え、画面全体で感情のうごきを表現する演出が非常に映画らしくて、スクリーン映えするシーンだった。 あと水谷優子さんがつい最近亡くなったばかりで、ラストあたりのお姉ちゃんがまる子を優しく抱き寄せるところは泣きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.06.27 21:46:37
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