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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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平成ソクラテス

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2007.06.04
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カテゴリ:時事問題
東京新聞は,「『修身』復活はごめんだ」と題する社説で,徳育の教科書作成について次のように否定的見解を述べた。

すでに小学校では副教材「心のノート」が使われているが、これには一定の考え方や感じ方を教え込むものではないかとの批判が出ている。検定を受け、一定の枠にはめられた教科書で徳育を教えることはその傾向がさらに強まる(6月2日付)。

社説子は,一定の枠にはめることを忌避しているということなのだろうか。<検定を受け、一定の枠にはめられた教科書で徳育を教えることはその傾向がさらに強まる>などと分かり難い文章を書かれているので真意をつかみかねるのであるが,社会には一定の枠が必要なのは言うまでもないことである。
 簡単に言えば,徳育の1つの目標は,社会の秩序を維持するために制定されている法律の抜け穴を埋めるということであろう。言い換えれば,法に触れなければ何をしてもよいなどという考え方が生まれないように,法を超えて人としてのあるべき姿を示すのが道徳というものであろうと思われる。
 例えば,国会において光熱水費の水増し問題において,法的に適切に処理していると言うだけでは説明責任を果たしたことにならないというのは,国民の間に一定の道徳観が共有されている必要があるということである。
 ただし,この枠とはどのようなものであるのかについては一定の議論が必要である。私が懸念するのは,このあたりの議論が曖昧で不十分であるということである。(続)





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Last updated  2007.06.04 02:27:32
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