今回は、多次元的生命体(まあ我々もそうであるわけですが)について少し書きたいと思います。
平たく言うと、宇宙人についてです。
宇宙には、無数の銀河があって、地球型惑星があって、その中で高度な知性を持った生命体がいるに違いないと思われている方もおられるかもしれません。
これは、宇宙というのは、同一の次元に存在し、我々の同一の時間・空間の中に存在し、我々と同一の空間認識を持ち、我々と似たような物事の把握の仕方をする存在が「いるはずであろう」という前提の上に成り立っています。
つまり、高次に言わせれば、「それは間違いとはいえないが、きわめて『あなたなりの』把握の仕方だ」ということになるのだそうです。
まず、宇宙というのは、同一平面状すなわち同一次元には存在しないようです。
ここでいう「次元」という言い方は、我々がよく用いる次元をさしています。
このブログ上でも何度か次元についての考察を試みましたが、まだ次元そのものについての正体をつかみきれていないというのが正直なところです。
現段階においては、次元とは、ある観念体系に基づいて組織化されたもの、ぐらいの意味で私自身は捉えています。
まず、大前提として私たちが考えている、「宇宙は同一次元上にある」というもの自体、高次はそうではないと伝えてきます。
我々のものの見方というのは、ありとあらゆる点において、多次元的な視点から見て捻じ曲がっているとお考えいただければと思います。
我々が目にする広大な宇宙、それは、とりもなおさず、我々の内面の表れなんです。
スターラインズなどに参加された方ならば、ピンとくるかもしれません。
内面の表れを、我々独自のものの認識の仕方や、知識や、価値観にあてはめて捉えるという思考形態を何万年、何千年と積み重ねてきた結果生み出されたのが、自分自身とは切り離された「大宇宙」です。
多次元的に見れば、大宇宙は自分自身であるという言い方もできます。
我々は知識としてはそういったことを知っているのに、いざ宇宙人のこととなると、「あの宇宙人はプレアデス星人だ。私はプレアデス出身である。」とやってしまうわけです(もちろん私もよくそういう認識の仕方をします)。
もちろん、それは間違いとはいえないんですけど、きわめて人間的な見方であるというお話をしています。
外宇宙というのは、内宇宙の表れだと捉えることができますが、たとえば外宇宙に現れているアンドロメダ銀河と我々が呼ぶものがあります。
一つの見方として、あれは我々の住む未来の銀河系の具現化であるという見方ができると高次は言います。
他にも、無数の銀河が広大な宇宙には存在しています。
高次によれば、これらはすべて、別バージョンの地球ないしはそれを包含する銀河系の諸相であると捉えることができます。
では、我々は、「あの存在はプレアデス人であり、プレアデス星団からやってきた」と表現した場合、
それはいったい何を見ていることになるのでしょうか。
一つのものの見方として、それは別の次元からやってきた、我々とは別のものの認識体系を持つ、多次元的存在であるということが言えるのではないかと思います。
実際、高次によれば、我々のような空間認識や時間認識をもち、我々のような思考方法をとり、我々の世界に適応していける多次元的存在はほとんどいないといいます。
比喩的に言えば、いわゆる宇宙人と我々との関係というのは、映画館の観客と、スクリーンで上映されている映画に登場する登場人物に似ています。
宇宙人が映画館の観客で、我々地球人が映画の登場人物です。
宇宙人は、我々とは異なった体系に住んでいますから、我々に直接的な影響を与えることはできません。
ですから、我々が友達に会うように、頻繁にリアルに宇宙人と会うということは日常生活においてはないわけです。
なぜなら、すむ世界(次元)が異なるからです。
ですが、我々は、大本ではみなつながっていますから、意識間では言語を用いない(テレパシーによる)交流があります。
そちらは、かなり高度な情報交流も可能となっており、多次元的能力に秀でた方であれば、それを「自分なりのやり方で」ダウンロードして、我々の思考体系や知識や空間認識の仕方にあてはめて、
言葉として表現することができます。
それが、「あの存在はプレアデス人であり、プレアデス星団からやってきた」となるわけです。
他方で、我々の現実体系の仕組みやものの捉え方、空間認識や時間の捉え方、価値観や文化等を徹底的に学び、自分自身をそれに順応させてやってくる多次元的存在もいます。
それが、我々が把握している、バシャールやセス、あるいは冥王星オコツトなんかがそうです。
ちなみに、我々はよく、宇宙人にはポジティブな存在とネガティブな存在がいるという見方をしますよね?
実はこれも非常に人間的な見方なんだと高次は言います。
極論すれば、ポジティブもネガティブもないということになります。
もしそういった見方があるとすれば、それはそう認識した人の問題であるということになります。
いかなる存在であっても、我々の意識や魂の本体に直接的な影響を与えられる存在はいません。
もし自分が何者かに攻撃されたと感じるならば、それは「攻撃されるという現実を自分自身で作り出したからだ」ということなんです。
なぜなら、体験とは、我々の認識によって生み出された産物だからです。
空間認識が我々とはまったく異なる存在は、我々のような三次元的空間認識をとりませんし、我々のような時系列的な、順序だった思考方法をとらない存在は、「我々のように」物事を思考しませんし、我々のようにはとらえません。
多次元宇宙においては、同じ「土俵上」にいないのが普通であって、それを無理やり同じ土俵上の出来事として捉えることに、そもそもの問題があるように思います。
我々の意識や魂の本体(エンティティ)に直接的な影響を与えうる存在は、我々自身を置いて他にはいませんし、自分以外の何者かにダメージを与えられたという現実を共同創造できるのは、同じ土俵上にいる存在だけです。
その共同創造する現実すら、我々は自分の意思でそれを作るかどうかを選択していくことが「できる」というのは、最近セス関連でずっとお話している「現実は自分自身が作り出している」という話につながっていきます。
(写真:ナショナル・ジオグラフィック公式サイトより)
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