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一 夢 庵 風 流 日 記

本居宣長と津田左右吉



本居宣長津田左右吉は相反する対立者のように書かれるが、それは違うと思う。

単に「記紀」へのアプローチスタンスが違うだけで、どちらも日本を愛した男だった。


1.本居宣長

宣長は、早い段階から「源氏」を読込み、源氏物語の本質は「もののあはれ」

知る事にあると言う結論に達する。 彼は成果を「紫文要領」に纏める。

そこで人の真の情は未練で愚かな物であり、雄々しさはうわべを取り繕った物ではないかと

考えた。 「あはれ」とはそうした情が何かに触れて喜怒哀楽の区別なく強く

動かされることで、物語はこの「あはれ」を、即ち人の情をどれだけ理解して描けているか

により評価さるべき物であり儒教・仏教による善悪の基準で計るべきではないと述べる。

そして「源氏」はただの娯楽に留まらず自己満足な告白・感想に持たれかからず

「あはれ」の世界で自足していると評価し、物語は論じられるより寧ろ生きた感受性に

よって迎えられた意であろうと感じた所に宣長の特性がある。

次に、「日本書紀」は日本元来の言葉でなく漢文で書かれたため不自然であり

「古事記」にこそ価値があると考えた。 古事記にも素直に接し、そこに太安万侶の肉声を

感じ取ろうとした。 稗田阿礼による「誦習」も文字通りの暗誦と捉え、古事記を

阿礼の口伝そのままと考えた。 宣長はこれまでの歌や祝詞・宣命などの古語研究から、

言葉は音声で本来用いられた物だと言うことを強く意識していた。

祝詞は神からの言葉、宣命は神への言葉であり、共に相手を動かす力つまり言霊が

重んじられる物であった。 そもそも内容より表現重視なのである。宣長にとって、

古事記は最初から言語問題だったのである。 そのため序文での「旧辞・帝紀を纏めた」

という記述においても、宣長は「辞」を言葉の事と感じ「旧辞」を天皇の読み上げる

言葉をそのまま写したものと捉えた。 宣長の古事記への接近法は直観と想像とで

古事記の世界に突き進み「古言のふり」つまり文の姿・流れを知るというものになるのは

当然の成行きであった。 宣命などを通じて古言を知った上で、作中人物の心中を

思い遣る事で訓が定まってくると考え読み進んだ。 彼にとり「あはれ」を知ることと

古事記の読解とは切り離せぬ物であり、宣長にとって重要なのは言葉(言霊)を素直に

感じることであり、歴史的事実は二の次であったのだ。

      「 敷島の大和心を人とはば 朝日ににほふ 山桜花 」


国学思想の史的研究   本居宣長改訂版   近世神道と国学




2.津田左右吉

津田左右吉は『古事記および日本書記の新研究』で、「神武天皇東征」

「ヤマトタケルの命の西伐東征」「神功皇后の新羅征伐」などを「すべてが空想の物語」

だと断じた。 「記紀は国家の歴史であり、民族の歴史でないとすることは、

二つの意味をもっていた。 日本民族の起源がはるか太古だと主張することが可能になった。

国家の歴史が2600年だとしても、民族はそのずっと前から列島にいたのである。

次に、異民族の不在と平和的な日本民族という主張が補強された。

つまり、単一の平和的民族がいただけのはずの日本に、神武東征などの征服神話が存在するのは、

記紀が国家権力によって作られた物語であるからだった。 しかも、記紀の記述には、

政府がとりいれた中国思想の影響が多大に及んでいたというのである。

噛み砕いて話すと、津田がなぜ「記紀」を切り捨てたのかは、民族論にある。

神武の降臨が日本国民族の最初とすると、それ以前は日本に古来民族が存在しない

しかし、大陸には人がいることから、日本は大陸人が流れてきた雑多の国ということになる。

津田は、徹底的にシナ、大陸を忌み嫌っていた、日本には独自の文化が根付いており

シナ文化は朝廷が取り入れた、ごく一部であり、民族には伝わらず、純なまま日本は続いた。

「記紀」を否定すれば、記紀以前から日本には固有の単一民族が存在し、シナとの関係を

否定できる、単一民族の歴史と天皇家がシナ文化流入後に取り入れた思考のもとに

つくられた歴史を切り離す、これが津田のもっとも最大のテーマだった。

しかし、時代が悪かった、彼のこの考えは、皇国史観右翼に攻撃を受ける、それはなぜか?

天皇制への不遜だからではない、この頃、日本は大陸制覇、併合がもっぱらの目的であったから

日鮮同祖論は重要だった、日本も大陸も元は同じ民族だから、ここで古代のように

ひとつになることが当然の帰結とする思想は、大陸制覇を考える軍部にとっては

なくてはならないものであり、単一民族説を唱える津田は邪魔な存在でしかなかった。

津田の本を読めばわかるが、天皇制を愛し、反共を貫く、それは宣長とは違う

日本の愛し方であったのだ。 戦後、津田の都合のいいとこだけを切り取って天皇制批判、

記紀批判に捻じ曲げて使ういびつな左翼が跋扈したために、津田は左翼と思われている。

彼は歴史自由主義者であり、愛国心のある人間であった。


宣長は言葉に着目し、日の本を感じ取ろうとした、あるがままにこころで感じ取り

その伝統を読み取ることに尽力した、津田はシナ朝鮮を徹底的に嫌い、日の本に眠る

民族の歴史に着目しようとした。 

ただ、方法論が違うだけで両者ともに日本を愛していたのだ。


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