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日本の習俗vol.4たましい


<日本人のたましい>

では、本日から日本人の霊魂への考え方
あの世と此の世の考え方に触れていきたい。


<日本人の成長>

日本人は自分たちの成長をどのように捉えていたのか?


たましい→→成長→→離れる(病気)→→完全に離れる(死)
 ↓憑く
赤子→→→大きくなる


肉体とたましいの成長を、図で示すと上記のようになるであろう。
肉体の成長は時間軸とともに成長、また憑いたたましいと肉体の関係は
上記図のように考えられた。

では死後はどうなると考えられたか?

死霊は子孫の供養を受け、あの世で立派に成長する
そして33回忌の弔い上げを経て、祖霊化し、さらに氏神を融合すると考えられた。

祖霊化儀礼の話の前に、たましいの憑依、そう「お産」について。

お産は、神社近くの川辺や海辺に設けられた産屋で行った。
これは川上や海の彼方
(あとで述べるが水平線や地平線はあの世と此の世の境界線と考えられていたようだ)
からたましいが漂着して赤子に憑くと考えられていたからである。

生後7日目には、赤子のたましいをあらわす「ウブ石」をのせた祝いの膳がかざられ、
産毛が剃られる。
また、お産はケガレとされ、ケガレがはれると宮参りをして
赤子は産土神(氏神)から産子(氏子)として認められた。

たましいの成長には穀霊を食べさせることが必要だった。
この頃の穀霊のエッセンスは餅であり、食をとるためには歯が丈夫でなければならない。

こうした理由から、生まれて100日目の百日の祝いや正月、
6月1日に赤子に丈夫な歯が生えるように願って餅をかませる歯固めが行われた。
また赤子が元気に這い回るように蟹を頭に這わせる儀式もあったようだ。


今回はさわりということで、この辺で終了します、
たましいによる死生観と日本人の世界観をこの先、書いていこうと思っています。

次回は、赤子とたましいの成長と儀式・・・



 < 祖霊化の儀礼 >

「死」 ⇔ たましいの完全分離    と考えられた。

臨終を迎えると、今一度、死者のたましいを身体に引き戻すことが試みられた

「末期の水」・・・水によってたましいを呼び戻す
「枕飯」・・・・・茶碗に盛ったご飯に、箸をブッ差す
「たまよび」・・・大声で死者の名を呼ぶ(たまに返ってくるようだ)
「ふたりの使い」・たましいが行きそうな寺などに探しに行く

いろいろ試みた結果、「死」が確定すると

「死」⇔「死装束」⇔「通夜」⇔「葬儀」 という流れと移行する。

葬儀は、僧侶が死者に「戒名」を与え、死霊を他界に赴くように引導を渡す儀礼
この後、位牌を持つ後継ぎ、供物を持つ妻、遺影、棺などを中心とした
葬列を組んで、墓に行くこととなる。

そして棺を墓穴におさめたうえで土をかけ、その上に喪屋を設ける
            ↓
今では、棺は霊柩車で火葬場に送られ、荼毘にふされ、遺骨が埋葬される。


死後は、初七日~四十九日(七回の法要と百箇日)、1,3,7,13,33周忌
最後の十三回目の法要である三十三回忌の弔いあげにより、死霊が祖神となって
氏神と融合し、墓に生木のうれつき塔婆を立てたり、これを寿いで舞がなされる

東北地方では、巫女が遺族の求めに応じて、梓弓を用いたり
恐山で口寄せをして、死霊の想いを語ったりしている。

南島では、死体がくちた頃に取り出して骨を水で清めたうえで
埋葬する「洗骨(せんこつ)」の習俗が認められる。


次回は人生儀礼と祖霊化の儀礼の対応です



  < 人生儀礼と祖霊化の儀礼の対応 >


  誕生と死の対応は以下の通り

  出産⇔葬儀   産屋⇔喪屋    産飯⇔枕飯   産湯⇔湯灌
  産衣⇔経帷子(きょうかたびら)  赤子命名⇔死者の戒名

  これは、此の世での誕生とあの世での新たな門出が対応しているということだ
  こういうところからも、肉体は借り物であり、たましいの成長が
  此の世でもあの世でも、大切なことと信仰されていたことがわかる。

  それでは人の成長過程にはどう対応するのか??

  お産の忌み明けの宮参り(前回話したが、氏子に入ること)
  ⇔死の喪が明ける四十九日の中陰
  
  歯固めの餅噛ませの百日祝い⇔百箇日法要     初節句⇔初盆   
  初誕生⇔一周忌   七五三⇔三周忌・七周忌   十三祝い⇔十三周忌
  成人式や結婚式(成長の証)⇔弔い上げ(死者のたましいが清まって祖神となる)

  
  基本的には、昔は病気などが多く、それから守るために赤子時代には様々な
  儀礼を行い、氏神さまに守っていただく形をとったのであろう。
  現在、このような風習が減少したのは、医学の発達もあるかもしれない。


  死霊も供養しないと祟るものとして恐れられたために、
  此の世のほぼ対応する儀礼により子孫や僧侶により、供養された。
  この供養を受けて、祖神さらに氏神(産土神)となった神は、
  子供の成長を守ると信じられたのだ。

  
  ( 余 談 )
  米(コメ)のことをシャリという、舎利は仏教では骨である。
  日本人はコメを主食として、
  穀霊によりたましいが成長すると思っていたと話したが(餅の歯固め)
  もしかしたら、日本人は骨となり土に帰った祖先は
  稲が芽生えたと同じように再生すると信じたのかもしれない。

  様々な国々にも見られるが、脱皮する蛇や蟹が儀礼で扱われるのは、
  生まれ変わりや無事なる成長を祝う意味においては重要なファクターと考えられる

  
  次回からは、「鎮守の森」、そう自然とカミのダイナミックな関係です


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