日本の習俗vol.5杜とカミ
< 森・山と社 >
縄文時代、日本列島の9割を覆う「森」の中で、採集・狩猟・焼畑農業を
行っていた古代日本人、弥生時代になると、平地の森を拓いて定住した人たちが
水田稲作を営んだ。後ろにそびえる山は、「里山」と呼ばれ、防風・水田に必要な水
を送ってくれることから、カミのいる聖地と崇めていく。
古代人はカミは姿を見せないものとして、
自然物をカミの依代(よりしろ)と崇めていたが、やがて、
里山の中でも特に古い部分をカミの居所として崇める信仰が育まれていった。
万葉集では「森」「社」「神社」のいずれも「モリ」と訓ませており
また新撰字鏡(平安初期)では「杜」「毛利」「佐加木」を同義としている。
この「佐加木」は、祭りのときにカミのよりましとして使う「榊」のことだ
また東北や四国などでは標高1000メートル余りの高い山も
森と呼んでいたり(例:西高森、雨ヶ森など)、
東北では黒森山などに見られるように森山などの呼称が見られる。
つまり「森」と「山」が同義で用いられているのだ。
「森」「杜」「神社」「毛利」「榊」・・・
古来日本では森や山はカミのいます処、あるいはカミの世界と里との境界
両者を取り持つ聖なる場所とされてきたのだろう。
次回は「森におはしますカミ」です。
< 森にいますカミ >
森のカミ←(崇められる)←麓に住む氏人から
「氏上を中心に祭が行われる」
氏人→死→森へ葬られる
肉体を離れ、山へ行った死霊は、盆、正月、追善法要などで子孫から供養され
33周忌の弔い上げを終えるとカミとなって氏神と融合!
森の中では、カミの依代(よりしろ)を崇め祭りを行った。
祭場も定め、祭りの時以外は俗人はもちろん、神職も入ってはいけなかった。
禁足地が森や山全体に及ぶ時は、神体山と呼ばれ、木の伐採も禁じられた。
やがて、この森の麓に「神社(モリ)」をつくり、カミの常駐を願うこととなる。
神社は「ヤシロ」ともいい「社」「屋代」の字をあて、
この社は本来カミを指す言葉から*神籬(ひもろぎ)を立てて
カミを祀る霊地、さらにカミを祀る建物にと展開した。
*神籬・・・大和言葉でのひもろぎとは、ひ=神霊
もろ(古語で天下る事をあもると言ったのが約まった言葉) き、
即ち木である。即ち、ひもろぎとは、神霊の天下る木と言う解釈になる。
< 鎮守の森 >
「鎮守」という語は、748年東大寺の鎮守として宇佐八幡神が勧請されたように
寺院などの建立にあたって在来のカミより強力な神格を勧請して、
その土地を守ってもらおうとの信仰に基づいている。
これが展開して、各国、荘園の鎮守が祀られ、近世は城下町、
村や町の鎮守にと広く用いられた。
そして近代になって鎮守の森が、カミそのもの、カミの居所としての森の持つ、
住民を守護する機能を指す語になったのだ。
明治45年(1912)に尋常小学校唱歌「村祭り」にある
「村の鎮守の神様の~♪」は、ここからきている。
< ウブスナ >
氏神≒鎮守≒「産土(ウブスナ)」、これらはほぼ同義語である。
この語は日本書紀の推古天皇三十二年(624)十月の条に、蘇我馬子が葛城を
蘇我氏の本居(うぶすな)の地だと主張しているのが初出だ。
その後、「ウブスナ」に「産土」「生土」の字があてられた。この産土のカミは、
その土地の住民の死後の霊魂を導くと共に、子孫を守護し、
再生をはかる働きを果たすとされている。
「氏子」を「産子」と呼んだり、誕生後の初詣りの慣習はこれに基づいている。
次回は「鎮守の森による癒し」・・・
< 鎮守の森による癒し >
禁足地とされた鎮守の森は自然のままだ
現在も、神社は木々を生い茂らせ人々のこころを癒してくれる。
またこの木々の四季を織り成す姿を自分の人生になぞらえたりもした。
中世後期、熊野比丘尼が絵解きに用いた
「熊野勧心十界曼荼羅の人生の階梯」には背後に
少年期は春の梅や桜、青年期は夏の松や杉、壮年期は秋の紅葉、
老年期は冬の落葉木と、それぞれを示す男女が木の小枝を持って
歩む姿が描かれている。
産土のカミは人に生を与え、成長を守り、死後の往生をもたらし再生をも司っていた。
鎮守の森の四季による変化も、これに対応して考えられていたのかもしれない。
そして、この日本の「森=杜」の四季と人生の対応は海外でも見受けられるのだ。
「葉っぱのフレディ」(バスカーリア教授)というミリオンセラーのなった童話では
森で新芽を出し、花を咲かせ、若葉となり、紅葉も、やがては散っていった葉っぱが
土となって木々に新しい養分を与え、新しい芽を育んでいく話が語られていく。
鎮守の森の木々はそうした、自然の、人生の循環を語りかけているのだろう。
そう、「森」は「木」と「土」で、「杜(モリ)」なのだ。
日本人の一生を象徴するとともに、四季折々に、一生に渡って
安らぎを与えてくれる「森の鎮守」の回は、これにて閉幕としよう。
次回から、日本人の死生観について、生まれ変わり・転生までいきます。
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