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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
四国遍路 ルート 前編 阿波徳島~土佐高知
阿波徳島 1竺和山霊山寺(一乗院)阿波は十里十カ寺といわれ、一番から十番までは、およそ十里の道のりのなかにまとまっている。 ~8普明山熊谷寺(真光院)四国霊場最大といわれる二層の楼門。 ~10得度山切幡寺(灌頂院)最後の四十二段は男の厄除け坂。 ~12摩盧山焼山寺(正寿院)標高八百メートル。十一番からの遍路道十六キロは遍路ころがしといわれる。 ~19橋池山立江寺(摩尼院)心やましい者は渡れない九つの橋があり、「最初の難所」といわれた。 ~23医王山薬王寺(無量寿院)三十三段の女厄坂と四十二段の男厄坂、そして六十一段の還暦厄除け坂。 阿波の三難所::12焼山寺 20鶴林寺 21太龍寺 「とっていわく」さんのお話に出てくる、11番の藤井寺から12番の焼山寺へ行く道は最初の難所で、朝出立したとして着くのは夕方になるといわれる。さらに焼山寺への山路は「遍路ころがし」といわれ高所への難路だ。 土佐高知 24室戸山最御崎寺(明王院)四国東南端の霊場。 ~34本尾山種間寺(朱雀院)薬師如来が本尊だからか安産祈願の参詣多し。柄杓を持参、帰りは底を抜いてもらい、通りをよくして安産!。 ~36独鈷山青龍寺(伊舎那院)仁王門をくぐると百七十段の石段が待つ。昇り降りだ三百四十段!。 ~39赤亀山延光寺(寺山院)眼病に霊験があるといわれ、「目洗いの井戸」は霊水といわれる。 弘法さんの水を出す話は多く、地勢学者であるかのような的確さ。 29国分寺近くには、かの紀貫之が土佐国司として赴任した際の国府跡がある。 続いて「遍路」の際のファッション 「菅笠(すげがさ)」 厳しい遍路の際の、日よけ雨よけには笠は必需品であり、 旅の途中で死んだ際には棺のかわりに笠をかけたといわれる。 笠の中心から四方に向かって、四句の偈(げ)を記す 迷故三界城・・・迷うがゆえに三界の城あり 悟故十方空・・・悟るがゆえに十方は空なり 本来無東西・・・本来、東西なし 何処有南北・・・いずくにか南北あらん ーー意味ーー 迷い多い此の世の中に浸かり、もろもろ欲望にとらわれていると、せまく苦しい。 心身を清めて迷いの世界から解放されると、澄んだ明るい境地に立つことが出来る。 東だ西だととらわれる事から解脱せよ、本来、世界は自在である。 そこには、悩みやこだわりはなく、広い自由な境地がある。 「金剛杖(こんごうつえ)」 白木の杖の上部に「地水火風空」を意味する梵字が書かれている。 昔は行き倒れた遍路の墓標として立てられたともいわれる。 厳しい道のりの友である杖、お遍路さんはこの金剛杖を「お大師さま」と 思い大切に扱い、宿に着くと杖の先を洗い清めるのだ。 ーー逸話ーー 「十夜ヶ橋」の下で吹雪に耐えて弘法さんが夜を過ごしたという伝えから、 大師の苦難を思い、「橋の上では杖をつかない」のが心得とされる。 白衣は、袖のあるもの。笈摺(おいずる)は、袖のない法被。 バックには「南無大師遍照金剛」の文字! 「同行二人」(大師様と一緒)としるされた頭陀袋を持ち、 経本を片手に白足袋まで履いた日には、あなたも立派なお遍路さん♪ *ただこの白装束ルック、戦後につくられたようだ、 歴史古い西国観音巡礼なんかにも白装束は出てこない。 お参りの心得で、四国88ヶ所の「お接待」の習慣、これに惹かれる~♪ お遍路さんに手助けとしてお茶を用意してくれたりするようだ、 大きな神社にいくと必ずある「お茶休憩所」 私はお茶大好きなので、グビグビいただく、88ヶ所でもグビグビグビグビ、呑んでみたい。 次回はお遍路ルート後編:伊予愛媛、讃岐香川、そして補足です・・・ 人気プログに参加しています、一日一善クリックにご協力をお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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