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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
本日11月11日は「きりたんぽの日」だそうだ。ザッと調べたが、
どうやらきりたんぽを囲炉裏に立てている状態が1111・・・なんとも安易でイイ! きりたんぽといえば秋田、秋田といえば「なまはげ」だ。 そういうわけで(かなり強引)、今日は「なまはげ」を取り上げる。 男鹿半島において、大晦日の夜に行われている。 村の若者らが、鬼のようななまはげ面をつけ、ワラ製のケラミノやケダシ、脛布(はばき)を着けて、 素足にワラグツを履き、手に木製の出刃包丁を持ち、やって来る。 なまはげ行事は、年越の晩に神が訪れ人々に祝福を与えるという形をとっている。 この場合のなまはげ自体は、年に一度やって来る一種の歳神なのである。 「泣ぐ子はいねがー、怠け者はいねがー」「親の言うこど聞がねガキはいながー、こごの初嫁(初婿)朝起ぎするがー、すねがー、ウォーウォー」 ↑ クローズアップ あんだけ怖い格好をしていながら、言っていることはまっとう(笑 さらに、一通り暴れたあと、酒と肴でもてなしを受けると行儀良くなり いい気持ちになって、帰っていくのだ! 日本のカミは幸せと災いをもたらす二面性を保持しており、どっちの顔を見せるかはこちらのもてなし、心の持ち様で変化するのだと思う。(畏れを利用) つまり 日本の神様:叱りはするが決して見放さない「許しの構造」(母性神)を持つ 一神教 :裁きの構造を持ち、善悪二元論であるといえる <なまはげってどっからきたのだろう> 現在定説となっているのが「武帝説」。漢の武帝が五匹の鬼を従えて男鹿に渡り 正月15日の一日だけ鬼たちに自由を与えた。喜んだ鬼たちは初めての人間社会への外出とあって畑を荒らし、娘をさらい、村人たちを散々に苦しめる乱暴を繰り返した。 これに困った村人たちは、鬼たちにかけを申し入れた。「海辺から本山の頂上まで、一晩で、しかも一番鶏が鳴く前に、千段の石段を築くことが出来たら、娘を毎年一人ずつ差し出そう」。 一方、鬼共は日の暮れるのを待って石段造りに取りかかった。 寒風山から大岩石を抱えて門前まで一飛び。あれよあれよ見る間に石段が築かれていく。 これでは一番鶏が鳴く前に完成してしまう。慌てた村人は鶏の鳴き声の上手な人に頼んで、 千段まであと一段というところで、「コケコッコー」とやってもらった。 鬼共ははね上がって驚き、逃げていったという。 浜から続く石段。門前にはこの石段を登りつめた山腹に、五つの社が整然と並び建っている。 ここに五匹の鬼が祭られ五社堂には、今もなおこの五匹の鬼共を祭っている。 素行の荒い五匹の鬼を、いわばだまし討ちにして村を追い払ったことから、その鬼たちの祟りを恐れて、年に一度若者たちが鬼に扮して村を訪れ、それがために村人は充分にもてなし山に帰ってもらう、という行事がなまはげの始まりというお話。 (祟らないでという願いと福の神への生まれ変わりを祈願して祀ったのだろう) もうひとつ 囲炉裏(いろり)にあたってばかりいる、怠け者の手足にできた火型を火斑(ナモミ)といい、そのナモミを剥いて懲らしめ、真面目な人間にしてやるという意味で、ナモミ剥ぎがなまって「なまはげ」になったという。 懲らしめるだけに生まれたなまはげと思うだろうが、 なまはげの装束であるケデから落ちた藁くずは無病息災の護符ともされてきた。 日本の神様の許しの構造、怖いだけではない、許すだけでもない。 そこには原始宗教と統治者の「畏れ」を利用した信仰統治も見え隠れすると思った。 *「なまはげ」は昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。 さらに秋田には限定「なまはげキティ」があるらしい、見たい・・・。 人気プログに参加しています、クリックしないと「なまはげ」が来ます。(多分・・・) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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